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深層の滓(しんそうのおり)  作者: 麗 未生(うるう みお)
第三章 陰影(いんえい)

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陰影2-5-㉒:歪んだ執着の果てに

岳にとって、朱音を襲った行為は、朱音も望んでいた結果だと錯覚していた可能性がある。拒絶された現実を認められず、歪んだ論理で塗り替えていく。そうであれば、朱音の結婚は裏切りでしかなかった。自分の権利が侵害されたと感じたに違いない。


 もし彼が強い偏執的傾向を有していたならば、理屈を積み上げて執着を正当化し、過剰な自信で己を支える。誇大な自己像が崩れそうになると、攻撃性は一気に外へ向かう。その衝動が、殺人という極端な行為へと彼を駆り立てることも有り得る。朱音を殺す事で、永遠に自分のものにしたと錯覚した可能性すらある。


(朱音を殺したのは、山下岳……)


その思考は、重く冷たい塊となって胸に沈んだ。朱音に乱暴を働いたのが岳であるという推測は、既にほぼ確信に近かった。だが、命を奪った犯人が岳だという点に関しては、鳴海の中で未だに躊躇(ためら)いがあった。彼がそこまでの行為に及ぶとは、思いたくなかった。


 それでも、もし妄執的な執着が根底にあったとすれば、朱音の結婚という事実は岳にとって裏切り、もしくは大事な物を略奪されたという、彼の中の強迫観念を増幅させる。そして今度は誰にも取られないように、永遠に自分のものにする方法を取る。それが岳にとってはその命を奪う、という驚嘆な結論に至る可能性はゼロとは言えない。


 そして寧々が殺されなかった理由。もし岳が父親であったならば、説明は付く。寧々の年齢を考えれば、自分の子であると、岳が思っても不思議はない。というよりそうでなくても、そう思い込むであろう。寧々は岳にとって、朱音との愛の証だと。歪んだ幻想の中で生まれた存在であっても、傷付ける必要性はなかった。岳にとって、寧々には存在意義があった。


(そんな……事……)


鳴海は思わず頭を振った。思考を振り払うように、強く。それが真実だったとすれば、朱音は余りにも救われない。漸く過去を乗り越え、静かに幸せを築き始めていたはずだった。それなのに勝手な思い込みによって傷つけられ、同じ人物に命まで奪われるなど、残酷という言葉では足りない。現実であって欲しくないと、心が拒絶する。


 しかし、その仮説に立てば、散在していた事実が一つ一つ収まるべき場所へ嵌っていく感覚がある。まるでパズルのピースのように空白だった部分が埋まり、輪郭が明瞭になる。その一方で、鳴海の胸に別の痛みが込み上げた。何もかもの始まりは、自分だったのではないかという思いだ。


 高校時代のあの日。鳴海が岳と朱音を引き合わせなければ、この悲劇は起こらなかったのではないか。運命の歯車は、あの瞬間から狂い始めていた。兄の応援に朱音を連れて行かなければ、二人が顔を合わせる事もなかった。


 あの頃、騒いでいる女子達には目もくれなかった岳が、朱音にだけは関心を示していた。その視線を、鳴海は軽く受け流していた。特別な意味があるとは思わなかった。だが、今振り返れば、あの時から岳は朱音を標的にしていたのかも知れない。


 この推論が事実であれば、岳は朱音を奈落へ突き落とし、その人生を踏み躙り、終には命まで奪った。怒りが込み上げる。許せるはずがない。だが、その岳もまた何者かに命を奪われている。


一体、誰が。


「もし心当たりがあったら、私は迷わずそいつのところに行って、この手で息の根を止めていた」


公洋の言葉が、鮮明に蘇る。


(まさか――)


鳴海の胸が強く脈打つ。公洋は岳の存在を知らないはずだ。朱音に乱暴を働いた人物の正体も把握していない。それでも、もし何らかの形で真実に辿り着いていたとしたら。もし、知っていたとしたら。


 思考はそこから先へ進もうとするが、鳴海は唇を噛み締めた。推測だけで誰かを断罪する事は出来ない。だが、疑念は静かに根を張り始めていた。

お読みいただきありがとうございます。

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