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深層の滓(しんそうのおり)  作者: 麗 未生(うるう みお)
第一章 錯綜(さくそう)
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錯綜1-5-④:「あの人が、お母さんを――」妹も疑惑を持っていた

 浩太は、父のことを本当に優しい人間だと思っている。母とは正反対で、父は言いたいことを口にせず、どんなに母が強い口調で言っても、嫌な顔ひとつせず、決して言い返すこともなかった。声を荒げる姿など、生まれてこのかた一度も見たことがない。


 母は祖父母と良好な関係を築こうとはしなかった。浩太たちは祖父母の家を訪れることもなく、あの事件が起きるまでもう何年も会ってなかったのだ。父は、そんな母に意見することも無かったようだ。基本的に父は母の言うがままだった。今になって、時おりふと考えることがある。


「事を荒立てないことが一番だ」――父はそう思っていたのかもしれない。


 だがそれは、母には都合が良かったが、青父母にはきっとさみしいことだったのではないか。孫にも息子にも会えない生活。そういう想像を、父はしなかったのだろうか。


 もし、あの事件が本当に祖母の仕業だったのだとしたら、父の曖昧な態度がその引き金になった――父はそう思ったのだろうか。祖母が犯人として逮捕されでも、祖母を責めなかったのは、祖母を信じていたというより、母と祖母の関係を良くしようと努力しなかった自分への罪悪感からだったのではないか。父の優しさは、言い方は厳しいが「事なかれ主義」そんな風にも思ってしまう。


 ただ、それでも、事件後の混乱したあんな状況の中でも、毎日会社に行き、世間の好奇の目にさらされながらも愚痴ひとつこぼさず、黙って浩太たちを見守ってくれた父のことを、浩太は心から尊敬している。会社で陰口をたたかれなかったわけはない。いや、面と向かって何かを言う人だっていたかもしれない。妻が殺され、犯人が母親だったなんて――きっと針の筵だっただろう。だから、尊敬はしている。


 だが、「父のようになりたいか」と問われれば……素直にうなずけない、そんな自分がいるのもまた確かだった。


 夕飯を終えてしばらくした頃、舞奈が部屋にやってきた。時々、宿題でわからないところがあると聞きにくるが、今日は教科書もノートも手にしていない。


「ちょっと、いい?」

「何?」

「お兄ちゃん……なんで依智伽ちゃんのこと聞いたの?」

「なんでって……特別な意味はないよ。ただ、どうしてるかなって思っただけ」

「ほんと?」

「ああ」


舞奈はじっと、探るような目で浩太を見つめる。


「もしかして、お兄ちゃんも私と同じこと考えてるのかなって思ったんだけど」

「同じことって?」

「うん……」


舞奈は言いづらそうに視線を落とした。


「何だよ?」

「……あの、お母さんのこと」

「お母さんのことって?」

「お兄ちゃん、前に言ってたよね。おばあちゃんはお母さんを殺したりしないって」

「……うん」

「今でも、そう思ってる?」

「もちろん。でも、なんでそんなこと聞くの?」

「私ね、ずっと考えてたの。じゃあ……誰がお母さんを殺したの、って」


浩太は思わず目を見開いた。舞奈が、こんな話をしてきたのはこれが初めてである。母が死んだ当時、舞奈はまだ小学二年生だった。事件のことがわかる年齢ではあったが、それを“現実”として受け入れるには、あまりにも重たすぎる出来事だったと思う。五年生だった浩太でさえ、ずっとその荷物を背負い切れずにいる。


 けれど時間が経ち、少しずつだが冷静に「考える」ことができるようになった。舞奈も、そうなのかもしれない。今まで口にする事すら重かったことが言葉にできるようになってきたのだ。この家ではまるで禁忌のように扱われている話題であっても。それでも誰も口にしなくても、それぞれに重い石を心に抱えている。


「それでね……去年、依智伽ちゃんがうちに来た時、あの子の笑顔を見て、梗子さんのことを思い出したの」


舞奈はそう言って、少し唇を噛んだ。


「梗子さんって、すごく嫌な笑い方する人だった。顔は笑ってるのに、目がまるで笑ってなくて、……怖かった。だから嫌だった。お父さんが“結婚する”って言ったとき、あの人が家にずっといるって、お母さんになるかもって思っただけで……ぞっとした」


確かにそうだった。子ども心にも、あの笑顔が“作りもの”だと感じた。浩太も、あの笑顔が嫌いだった。


「そんなこと思ってたら、もしかして……お母さんを殺したの、梗子さんなんじゃないかって……」

「舞奈……」

「だって、あの人、『お母さんは大事な友達だった』って言ってたけど、全然悲しそうになんか見えなかった。ううん、むしろ……少し嬉しそうに見えたんだよ。お兄ちゃんも、そう思わなかった?」

「……俺は……」


――そう思っていた。


「お父さんと結婚したくて、お母さんを殺したのかもしれない、なんて……そんなふうに思ってる私、おかしいかな。考えすぎかな?飛躍してる?」

「……実は、俺も……そう思ってた」


舞奈がここまで口にするなら、もう否定する理由はなかった。人を殺すなんて、そんな話は妹としたくはなかった。けれど、舞奈にとっても“殺された”のは実の母親なのだ。考えるなというほうが無理な話だ。


「さっき、依智伽ちゃんのことを聞いてたのは……その事と関係ある?」

「まあ……そんなとこかな」

「実はね、去年の終わりごろ、依智伽ちゃんを見かけたの」

お読みいただきありがとうございます。

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