陰影2-5-⑳:蘇る言葉ー絡み合う記憶の糸
あの言葉が、鳴海の中でこれまでも何度も脳裏を過ぎった。確か朱音が亡くなって間もない頃だった。兄が偶然出会った山下岳との会話の一部だ。断片的に聞かされたその話が、今になって妙に重みを帯びている。
やはり、そうなのだろうか。以前、桃香に指摘された時、鳴海も同じ可能性を考えた。探していたというのは朱音のことなのではないか、という事。しかし、どこかで否定したい気持ちがあった。信じたくないという感情が、理性に蓋をしていた。
あの時、兄は他に何か言っていなかっただろうか。鳴海は記憶を辿る。「最近、何か良い事があったみたいだった」とも兄は言っていた。
あの時、鳴海は岳のその言葉の意味を兄に尋ねた。兄も詳しくは分からないと言っていた。だが、他にも何か付け加えていたような気がする。思い出せない。喉元まで出かかっているのに、形にならない。
先程の公洋との会話の中で、何かがその言葉と引っ掛かった。だから今こうして唐突に思い出した気がする。偶然ではない。そう感じる。鳴海は携帯電話を取り出し、兄に電話を掛けた。呼び出し音は二度鳴っただけで、すぐに繋がる。
「今、大丈夫?」
「ああ、ちょうど仕事が終わったところだ。どうした。何かあったのか」
「あ、ううん。そういうわけじゃないの。ただ、ちょっと聞きたい事があって」
「何?」
「随分前の事なんだけど……お兄ちゃん、山下君に偶然会った事があったでしょう」
「何だ急に。そんな事あったか?」
「ほら、朱音が亡くなって暫く経った頃。電車で偶然会ったって話していたじゃない」
「朱音ちゃんが亡くなったのって、もう十年近く前だぞ。そんな昔の事……」
「山下君が結婚したとか言っていたでしょう」
「ああ……そうだ。あったな。偶々、電車の中で見かけたんだ」
兄の声が、記憶を手繰り寄せるようにゆっくりになる。
「あの時の山下君の言葉、覚えてる?他に何て言っていた?」
「ええ……何だったかな。他にって言われてもなあ……そんな昔の事、細かくは覚えてないぞ」
「思い出して。大事な事なの」
自分でも声が強張っていると分かる。
「そんな事言われても……十年も前にちょっと会って喋ったことなんて普通覚えてるか?」
「ほら、確か様子が変だったって言ってたでしょう。不気味な感じがして、あまり関わりたくない気がしたって」
「ああ……そう言えば、そんな事を言った気もする」
兄は暫く黙り込む。
「あれ、俺、何でそんな風に思ったんだろうな」
その言葉に、鳴海の胸がざわつく。理由があるはずだ。人は根拠のない違和感をそう簡単には抱かない。
「何かあったんでしょう。普通じゃないと感じる何かが」
鳴海は静かに問い掛ける。電話の向こうで、兄は小さく息を吐く。考え込んでいるようだ。
「山下君が何か言ったからでしょう。探していたモノを手に入れたとか、最近良い事があったとか……そんなような事を言っていたじゃない」
鳴海は努めて平静を装いながら告げたが、胸の内では焦りが膨らんでいた。断片的な言葉が、今になって鋭い棘のように刺さる。
「そうそう、確かにそんな事を言っていたな。何だ、お前の方がよほど覚えているじゃないか」
兄は苦笑混じりに応じる。その軽さが、鳴海にはもどかしい。
「他に何て言っていたのか知りたいの。ずっと探していたモノって、何だと言っていた?」
「ええ……何だったかなあ。どうして今頃そんな昔の事が気になるんだ」
「理由は後で話すから。何でも良いから思い出して。どうして不気味に感じたのか、きっと何かあるはずでしょう」
声に滲む緊迫を、鳴海は抑えきれなかった。
「え……っと……」
兄は言葉を探すように黙り込む。電話越しに微かな呼吸音だけが伝わってくる。鳴海は息を潜め、その次の一言を待った。
「そうだ。あいつ、変な笑い方をしたんだよ。口元は笑っているのに、目が全然笑っていなかった。その笑い方が妙に気味悪かった。何か、ゾッとしたっていうか、背筋が寒くなったのを覚えている」
兄の声が、当時の感覚をなぞるように低くなる。
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