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深層の滓(しんそうのおり)  作者: 麗 未生(うるう みお)
第三章 陰影(いんえい)

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陰影2-5-⑮:取り戻せない時間ー間違った選択?

「済みません。紫園さんのお辛いお気持ちを思えば、私のような者が口を挟むべきではない事は充分承知しています。それでも、心療内科医として、いえ、朱音の友人としても言わせて下さい。今のままでは駄目です」


鳴海は一度言葉を区切り、相手の表情を確かめる。公洋は強張った顔で黙っている。その沈黙を受け止めた上で、鳴海は静かに続けた。


「寧々ちゃんは突然、母親と妹を失いました。しかし、それだけではありません。あの子は父親も失ったのです。あなたが悲しみに囚われ、生き残った寧々ちゃんを真っ直ぐに見る事が出来なくなった。その時点で、あの子の中の父親は居なくなってしまったのです」


自分の言葉が刃物のように鋭いと自覚しながらも、鳴海は視線を逸らさなかった。


「仕方がない面もあるでしょう。あなたの立場で、事件以前と同じ愛情を向けろと言うのは酷かもしれません。ですが、それでもあなたは父親であるべきでした。もしそれがどうしても無理だったのなら、親子関係を解消するという選択を取るべきだったのです」

「な、何を……」


公洋の声が震える。


「きつい事を申し上げます。あなたの寧々ちゃんに対する態度は、とても中途半端で、残酷です」

「わ、私は……」


言葉が続かない公洋に、鳴海は更に踏み込む。


「どうしてこの子だけが生き残ったのか、そう思ってしまったお気持ちは理解出来ます。極限の状況であれば、人は理不尽な感情を抱くものです。ですが、そう思ったのであれば、あの子を手元に置くべきではなかった」

「放り出せと言うのですか。それまで親子として幸せに暮らしてきたのに。母親を失ったあの子に、私は実の父親ではないと告げて、放り出せば良かったと?」

「はい」


鳴海は躊躇わなかった。


「あなたが以前と同じ愛情を持てなくなったというのなら、一緒にいる事の方があの子には辛い現実です。傍にいるのに見てもらえない。声を掛けても心が返って来ない。その状態がどれ程孤独か、考えた事はありますか。きっと、一人でいるよりも遥かに孤独だったはずです」


場の空気が重く沈む。公洋は視線を外し、拳を握り締めた。鳴海は胸の奥で小さく息を吐く。少し言い過ぎたかもしれない。それでも、公洋は鳴海に指摘されるまでもなく、その事実を理解していたに違いない。ただ、認める事が出来なかっただけだ。


 寧々を手放す決断も出来ず、かといって真正面から向き合う事も出来ないまま、年月だけが過ぎていった。見知らぬ男の子供であるという現実。しかし、愛する朱音が命を懸けて産んだ子である事も紛れもない事実だ。傍に置いておきたい思いと、顔を見る度に胸を抉られるような痛みに耐えられない思い。その狭間で、公洋はずっと揺れ続けていたのだろう。


 だがその揺れが寧々の心に影を落とすのは明らかだ。父親になれるかなれないか、それは大人の事情だ。子供に背負わせるべきではない。鳴海が言っていることはとても非常で酷なことだ。でも中途半端な優しさは相手を傷つけるということを鳴海は多くの患者から学んでいる。


「済みません……紫園さんがどのようなお気持ちで過ごしてこられたのか、私には到底想像出来ません。計り知れない思いを抱えながら生きて来られた事は分かっています。それでも、その思いをまだ幼かった寧々ちゃんに向けるべきではなかった、と思います」


鳴海の声は先程よりも幾分柔らいでいた。


「そんなつもりは……いや…結局、私のしたことはそう言うことか……」


公洋は独り言のように、頭を抱えて呟いた。


「……須藤さんの、いえ、先生の仰る通りです。あの子に優しくしたい。抱きしめてやりたい。何度もそう思いました。部屋の前に立ち、扉に手を掛けた事もあります。しかし、出来なかったのです」


言葉を探すように視線を落とす。


「時間が経つほど、それは難しくなりました。最初の一年、二年で向き合えなかった事が、三年、五年と重なるうちに、どう接すれば良いのか分からなくなった。私は何年も、あの子を避けるようにして生活してきました。遅く帰宅し、あの子の部屋の前で足を止めても、中に入る事はなかった」


公洋の声は低く掠れている。

お読みいただきありがとうございます。

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