陰影2-5-⑭:背負わされた命ー父である責任
「それに、朱音も莉子ももういないのだという事実が耐え難かった。誰かの手によって命を奪われた。その現実から目を逸らしたかった。私は仕事に逃げました。忙しさの中に身を置けば、何も考えずに済むと思ったのです。事件の事も、寧々の事も、全て忘れてしまいたかった」
「仕事に没頭する事で、忘れられましたか?」
鳴海は静かに問い掛ける。その答えが容易に想像出来るにも拘らず、聞かずにはいられない。鳴海の問いに、公洋は静かに首を横に振った。忘れられる筈がない。何をしても、何処へ行っても、あの日の光景は脳裏に焼き付いたままだったに違いない。
それでも、ほんの一瞬でも思い出さずに済む時間が欲しかったのだろう。あの惨劇さえなければ、公洋は寧々に対してそのような感情を抱く事もなく、穏やかな日々を重ねていたはずだ。寧々にとっても同じだったに違いない。そう思うと、鳴海の胸は締め付けられる。
鳴海は寧々の顔を思い浮かべる。明るく、はきはきと話す少女だった。周囲を気遣い、場の空気を和ませる術を自然に身に付けている。その姿からは、凄惨な過去を背負っているとは感じさせない。だが鳴海には、その明るさがどこか不自然に映った。家族があのような目に遭ったのだ。ずっと俯いて生きろとは言わないが、何事もなかったかのように振る舞うのもまた、別の意味で痛々しい。
過去に囚われ続ければ、人は前を向けない。忘れる事は出来なくとも、踏ん張らなければならない時はある。寧々が事件に遭ったのは小学校一年生の時だ。受け止めるには余りにも幼い。しかし、何も分からない年齢でもない。
いっそもっと幼く、記憶に残らない歳であったなら、傷はまだ浅かったかもしれない。しかも寧々は唯一の目撃者だった。事件後とはいえ、母と妹の無残な姿を目の当たりにした衝撃は計り知れない。その光景はどれ程忘れたくとも、心に深い傷として刻まれ続けるだろう。
寧々の瞳の奥に宿るあの暗い光は、きっとそこから来ている。彼女はそれを悟られまいとして、意識的に明るく振る舞っているのではないか。人に同情されたくないという思いもあるのだろう。だが、それだけでは説明の付かない何かがあるように、鳴海には感じられた。
「寧々ちゃんは……自分の出生の秘密を知っていると思いますか?」
その問いに、公洋は目を見開いた。
「まさか……」
否定は即座だったが、その声には僅かな動揺が混じる。もし寧々がその事実を知っているのなら、あの過剰とも思える明るさの理由が説明出来る。虚勢を張らなければ立っていられない現実。自分の存在が家族の不幸の根源ではないかと疑うような思考から目を逸らす為の、必死の演技。
「それは無いと思います。絶対に知られてはならないと、ずっと考えてきました。口にした事もありません。寧々が知る術は無いはずです。戸籍上も私の実子になっていますし……」
公洋は強く言い切る。
「……そう、ですよね」
鳴海は一旦頷く。
「どうして、そんな事を。寧々の様子で、何か感じるところがありましたか?」
「いえ……ただ」
「ただ?」
「とても無理をしているように見えたのです」
公洋は小さく息を吐く。
「あんな事があったのです。無理をしなければ生きていけなかったのでしょう。大人の私でさえ、無理を重ねなければ今日までやって来られなかった。事件から十年が過ぎた今でも、完全に乗り越えられたとは言えません」
その言葉には疲労が滲んでいる。時間が全てを癒すわけではないという事実が、静かに横たわっている。
「それでも」
鳴海ははっきりと言った。
「それでも、あなたは父親であるべきでした。その道を選んだのであれば、例え何があっても」
その一言に、公洋は顔を上げる。視線が真正面から鳴海を捉える。逃げ場を失ったような、しかしどこかでその言葉を待っていたような表情だった。
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