陰影2-5-⑬:残された者の罪と逃避
「その時は、正直、何が起こったのか理解出来ませんでした。起こった出来事が現実だとも思えなかったのです」
公洋は掠れた声で語り始める。
「朱音と莉子が事件に巻き込まれたと聞いて、私は慌てて家に駆け付けました。ほんの数時間前まで、皆で笑っていたのです。本当に楽しそうに、何気ない朝を過ごしていた。私はいつものように、纏わりつく莉子に手を振りました。いつものように『行ってきます』と言って家を出た。莉子も朱音も、変わらぬ笑顔で手を振り返してくれました。それが最後になるなど、思いもしなかった」
公洋の顔が苦痛に歪む。忘れようとしても決して消えない光景が、その脳裏に焼き付いているのだろう。
「家の中は……地獄でした。血だらけだった。床も、壁も、見慣れた家具も。あれが朱音と莉子の血だなどと、どうして信じられるでしょうか。朝まで笑い声が響いていた同じ場所とは思えなかった。これは夢だ、悪い冗談だと本気で思いました。現実の筈がないと、何度も心の中で繰り返しました」
息を詰めるような沈黙が流れる。
「放心して立ち尽くしている私に、誰かが言いました。『上のお子さんだけは無事です。今、病院にいます』と。頭が真っ白で、何も考えられなかった。気が付いたら病院にいました。そこに、難を逃れた寧々が眠っていたのです」
声が震える。
「私はただ、茫然とその寝顔を見つめていました。この子だけでも生きていてくれて良かったと、心の底から思いました。それだけが救いでした。そう思ったのです……その時は」
鳴海は公洋の拳に力が籠るのを見て取る。どれ程の痛みを、どれ程の時間を掛けて耐えてきたのか、想像するだけで胸が裂けそうになる。
「日が経つにつれて、私の心に変化が現れました」
「変化?」
鳴海は慎重に問い返す。
「どうして、寧々だけが生き残ったのだろうと考えるようになったのです。寧々が無事で本当に良かったと、確かに思っていたのに。その思いと同時に、どうしてという疑問が膨らんでいった。莉子は凶刃に倒れ、寧々は掠り傷一つ負っていなかった。その現実を前にして、私は自分の中に生まれた感情に愕然としました」
公洋は自嘲するように小さく笑う。
「今まで、莉子も寧々も同じように愛していると信じていました。それが揺らぐなど考えた事もなかった。それなのに、心の奥底で不公平だと思ってしまった。理不尽だと感じてしまったのです。もしかすると、あの愛情は偽善だったのではないかとさえ思いました」
「……でも」
返す言葉すら思いつかない。どんな言葉もこの人の慰めにはならない。否、到底慰めることなどできない。
「例え、一瞬でもそう思ってしまった自分が許せませんでした。寧々の顔を見ると辛くなる。寧々が以前と変わらず私を慕ってくれればくれる程、私は自分の醜さを突き付けられる。あの子は何も悪くないのに、私は心のどこかで問い掛けてしまうのです。どうしてお前だけが、と」
言葉は重く、低い。
「結局、私はその程度の人間だったのだと思い知らされました。自分はもっと強いと思っていた。二人を同じように愛していると胸を張っていた。それが崩れた。もしかすると、朱音と莉子があんな目に遭ったのは、私の心の裏側を戒める為だったのではないかと、そんな考えさえ浮かぶようになりました」
鳴海は息を呑む。その発想がどれ程自分を追い詰めるものか、痛い程伝わってくる。
「だから……寧々ちゃんと距離を置くようになったのですか?」
「距離を置こうと意識した訳ではありません。ただ、自分の心の裏側を寧々に知られたくなかった。傍にいれば、勘付かれるのではないかと思ったのです。それが怖かった……でも、おそらくあの子は、もう私のそんな思いに気づいています」
公洋は視線を伏せる。残されたものが、さらなる傷を負ってしまう。目に見えない傷ほど厄介なものはない。
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