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深層の滓(しんそうのおり)  作者: 麗 未生(うるう みお)
第三章 陰影(いんえい)

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陰影2-5-⑨:それでも二人で背負うと決めた覚悟

「理屈ではなく、感情で動かされた瞬間でした。私は恋に落ちたのです。この子を他の誰にも渡したくないと、はっきり自覚しました。守るだけでは足りない。傍にいたい、共に生きたいと、そう思いました」


小さな笑みが唇に浮かぶ。その笑みには照れもあったが、何より決意の色が濃い。


「それから何度も話をしました。同じやり取りを繰り返しました。朱音は中々頷きませんでしたから、その度に自分の思いをぶつけました。これほど積極的になった事は、人生で一度もありません。おそらく二度とないでしょう。今思い返しても、自分でも驚く程でした」

「朱音に、あなたの思いが通じたのですね」


鳴海は静かに言う。


「はい。漸く伝わりました。あの時は本当に嬉しかった」


公洋は頷くが、その表情には単純な喜びだけではない複雑な影が差す。


「私の気持ちは理解してくれました。しかし、朱音は迷っていました。私に、お腹の子まで背負わせて良いのかと。私の子ではない命を、父として受け入れられるのか。正直に言えば、私にも自信はありませんでした。朱音を襲った男の血が流れている。その事実を前にして、何の葛藤もなく愛せると言い切れる程、私は強くはなかったのです」


一瞬の沈黙が落ちる。


「朱音も同じでした。既にお腹の中の命に愛情が芽生えている。だから殺す事は出来ない。けれど、生まれて来た子を本当に愛せるのか。いつか、この子さえいなければと思ってしまうのではないか。もしその子が朱音にまるで似ていなくて、見知らぬ男の影を感じさせたら、誰にも似ていないその子を自分の子だと胸を張って言えるのか。毎日、そんな事ばかり考えてしまい、狂いそうだと言っていました」


鳴海は胸を押さえる。想像するだけで息が詰まる。愛情と嫌悪が同時に存在するかもしれないという恐怖。その狭間で揺れ続ける日々が、どれほど心を削るか。母になるという選択が、祝福ではなく試練である現実が、どれほど残酷か。


「私も同じだと伝えました」


公洋は静かに続ける。


「私も迷うかもしれない。生まれた後で、想像もしなかった感情に襲われるかもしれない。それでも、朱音の子ならば、それだけで愛おしいと思えるはずだと。そう信じたいと、何度も言いました。実際に生まれたらどうなるのか、確信などありませんでした。逡巡する毎日でした」


それでも、と彼は言葉を重ねる。


「同じ迷いを抱えているからこそ、理解し合えるのではないかと思ったのです。一人で抱え込めば潰れてしまう不安も、二人なら分け合える。逃げずに向き合おう。二人で乗り越えていこうと、何度も、何度も話し合いました。覚悟とは一度で固まるものではありません。語り合い、迷い、確かめ合う中で、漸く形になっていったのです」


鳴海は黙って頷く。そこにあったのは理想論ではない。綺麗事でもない。不安も恐怖も打算も、全て認めた上で、それでも共に歩むと選んだ覚悟だった。その重みが、今更ながら胸に深く落ちていった。


そうして二人の間に、確かな絆と深い愛情が育っていったのだと、鳴海は静かに感じていた。迷いも恐れもあったはずだが、それを何度も言葉にして分け合う事で、二人は確実に同じ方向を向こうとしていたのだ。


「それでも、です」


公洋は僅かに視線を落とし、言葉を選ぶように続ける。


「朱音は、結婚を決めた後でさえ、衝動的に水風呂に浸かって流そうとしてしまった事があったそうです。理性では産むと決めているのに、恐怖や絶望が一気に押し寄せてくる瞬間があったのでしょう」


情緒不安定、当然だろう。そんな時に、側にいてあげられなかった、手を繋いであげられなかった、鳴海の中にまた後悔が押し寄せる。


「生まれるまで、私達はずっと不安と背中合わせでした。朱音の中で成長していくその子を、堪らなく愛おしく感じる時もあれば、どうしても素直に受け止め切れない時もあったのです。大丈夫なのだろうかと何度も自問自答していました。覚悟を決めた筈なのに、その覚悟は幾度となく揺らいだ。情けない話です」

「そんな事……」


鳴海は思わず言葉を挟む。若い二人が背負うには余りにも重い決断だ。正しかったのかどうかと迷い続けるのは当然で、誰に責められる筋合いもないと鳴海は強く思った。

お読みいただきありがとうございます。

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