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深層の滓(しんそうのおり)  作者: 麗 未生(うるう みお)
第三章 陰影(いんえい)

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陰影2-5-③:川辺の告白ー背負われた秘密

「あの時……朱音と出会ったのは、本当に偶然でした。たまたま、通り掛かっただけだったのです」


公洋は遠くを見つめるように視線を上げる。その瞳は、今ここではない、十八年前のある一点を見据えているようだった。


「朱音は、川の中を歩いて進んでいました」

「え……?」


鳴海の喉から、掠れた声が漏れる。


「おそらく、無意識だったのだと思います。足元もおぼつかない様子で、ただ前へ前へと進んでいた」


その言葉の意味が、すぐには理解できなかった。川の中を歩く。無意識で。前へ進む。頭の中で断片が繋がり、ひとつの恐ろしい可能性へと収束していく。朱音が川に入っていった。それは、まさか……。


 気付いた瞬間、鳴海は勢いよく顔を上げた。公洋は鳴海を見て沈痛な面持ちで、静かに頷く。その肯定が、現実を決定づける。鳴海は思わず両手で顔を覆った。胸が締め付けられ、息が浅くなる。朱音がそこまで追い詰められていたなど、想像したこともなかった。


 あんなにも近くにいたのに、何ひとつ気付けなかった自分が情けない。悔しさと後悔が、胸の奥を鋭く刺す。時間を巻き戻せるのなら、あの頃に戻りたい。何も言わなくてもいい。ただ、抱きしめてあげたい。その温もりで、彼女の孤独を少しでも溶かしてあげたかった。


「やはり……」


顔を覆ったままの鳴海を見つめながら、公洋が小さく呟く。


「須藤さんは、朱音の言っていた通りの人だ」

「朱音の……?」


鳴海は胸を押さえ、ゆっくりと公洋を見る。


「もう十八年も前のことなのに、まるで昨日のことのように苦しそうだ。真っ直ぐで、正義感が強く、誰よりも優しい。朱音はあなたのことを、そう話していました」


それは寧ろ朱音自身のことではないかと、鳴海は思う。朱音は誰に対しても公平で、穏やかで、けれど芯が強かった。相手が誰であっても臆することなく、自分の信念を曲げなかった。その姿は、鳴海にとって親友であると同時に、憧れでもあった。いつも、あんなふうにありたいと願っていた。


 その朱音が、自らの命を消してしまいたいと思うほど追い込まれていた。その事実を思うと、胸の奥がひび割れるように痛む。同時に、目の前の公洋に対しては、抑えきれない感謝が湧き上がった。この人がいなければ、朱音はあの時、冷たい水の中で人生を終えていたかもしれない。少なくとも、その後に母として笑う時間を持つことはできなかったはずだ。


「あなたが……紫園さんが、朱音を支えてくださったのですね。守ってくれたのですね」


鳴海は声を整えながら続ける。


「もしかして、家庭教師をしている頃から、朱音のことを想っておられたのですか?」

「いえ、それはありません」


公洋ははっきりと首を振る。


「彼女は私にとって、本当に優秀な生徒でした。素直で、努力家で、将来を真剣に考えている子でした。可愛いとは思っていましたが、それは妹のような感情です。恋愛対象ではありませんでした」

「それなのに……?」


鳴海の問いは責めるものではなく、純粋な疑問だった。


「あれが、運命の出会いだったのかもしれません」


公洋は静かに言う。


「あの川で、彼女に再び出会ったことが。最初は、あれが朱音だとは思っていなかったのです。ただ、川の中へ入っていく少女の姿を見掛け、危険だと思って慌てて引き戻した。腕を掴んで岸へ引き上げた時に、漸く顔が見えた。それが朱音だったのです」


その瞬間の衝撃を思い出しているのか、公洋の表情が強張る。


「驚きという言葉では足りませんでした。私の知っている朱音は、決してあのような行動を取る子ではなかった。意志が強く、自分の命を粗末にするような人間ではない。断じて、そんなことを選ぶ子ではなかった。余程のことがあったのだと、直感しました」


そこまで語ると、公洋は小さく息を吐く。重い記憶を一度、胸の奥へ押し戻すような仕草だった。


「川から引き上げた朱音は、ただ怯えていました。泣いて、震えて、私の声も届いていないようでした。私のことを見ているはずなのに、焦点が合っていなかった。何かから必死に逃げるように泣き叫び、そのまま気を失ってしまったのです」


鳴海は固唾をのんで、その続きを待つ。

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