陰影2-4-⑮:修復できなかった家族の形
力のない声で結衣が呟く。その頭の中には両親がいがみ合う姿が今も鮮明に浮かんでいるようだ。そしてそんな生活が、この二年ずっと続いていたのだろうか。
あの事件を境に家族は完全に形を失った。外側から見れば辛うじて日常を保っていたのかもしれないが、内側ではひびが広がり続けていた。もしかすると、それこそが万智の望んだことだったのではないかと鳴海は思う。万智は種を蒔いたのだ。
万智にとって不要だと感じていた家族。壊れてしまえばいいと心のどこかで願っていたのなら、その願いは最悪の形で現実になったことになる。
「罰が当たったのね。私も万智のこと、ずっと馬鹿にしていたから」
結衣は感情を抑えた声で言った。
「頭が悪くて、醜くて、あんな子が自分の妹だなんて耐えられなかった。いなくなればいいのにって、ずっと思っていた。そうしたら願いは叶った。でも、それは私が想像していた結果とは全然違った」
その言葉の端々に、後悔とも自己嫌悪ともつかないものが滲む。
「万智ちゃんを、可愛いと思ったことはなかったの?」
鳴海が静かに尋ねる。結衣は迷いなく首を横に振った。
「一度もない。あの子は生まれた時から不細工だったって、お母さんが言っていた。赤ちゃんの顔を見た瞬間から、こんな子は私の子じゃないって思ったって。きっとどこかで間違って生まれてきたんだって、ずっと言い続けていた」
結衣は一息つく。
「だから私も、そう思っていた。あの子は間違いなんだって。そう思っていれば、お母さんの機嫌も悪くならなかったから」
その言葉に、鳴海の胸が重く沈む。価値判断を他者から刷り込まれ、そのまま内面化してしまった典型だ。結衣は鳴海を見据える。
「私、冷たいのかな。万智が事件を起こした時も、可哀想なんてこれっぽっちも思わなかった。これから自分はどうなるんだろうって、そればかり考えていた。万智があんなことをしたのは、きっと私達のせいなのに」
結衣は小さくため息をつく。
「でも、そうは思えなかった。今も、本気では思えていない。万智なんて生まれてこなければよかったのにって、今でも考えてしまう。先生、私って酷い人間?」
「それは……」
鳴海は即答できなかった。酷いと言い切ることは簡単だが、それではこの子の背景を無視することになる。結衣はそういう環境の中で価値観を形成してきたのだから。
「先生、お医者様だよね?」
「あ、ええ。そうよ」
「頭、いいんだよね。私もね、将来は医者とか弁護士とか、そういう仕事を目指していたんだ」
「今からでも遅くはないでしょう。成績は優秀だったと聞いているわ」
結衣は薄く笑う。
「もう無理だよ。お父さんもお母さんもいなくなった。大学に行くお金だってないかもしれない。おじいちゃんとおばあちゃんは万智の事件があってから、一度も会ってない。うちの恥だって、怒ってたみたい」
「両親がいなくても、進学している人は沢山いるわ。支援制度もある」
「身内に犯罪者がいても?ううん、私が犯罪者でも?」
その問いは静かだが鋭い。万智のことを指しているのだろうか。あるいは、自分自身のことも含めているのか。鳴海は慎重に言葉を選ぶ。
「……お父さんとお母さんが亡くなった時のこと、覚えている?」
今なら触れられるかもしれないと感じ、鳴海は問いかけた。結衣は天井に視線を戻す。
「あれって……現実だったのかな」
遠くを見るような目になる。記憶を探る作業が始まっている。
「何があったの?」
「新しい家に来てから、お母さんはずっとおかしかった。独り言が増えて、夜中に起きて鏡を見ていた。何度も手首を切ろうとして……実際に切ったこともあった。お母さんの腕、もう傷跡だらけだったよ」
鳴海は息を詰める。自傷行為が慢性化していたということか。
「病院には行かなかったの?」
「そんなみっともないことできないって、お父さんが」
気になるのは体面だけ。そういう家庭に育った子の心は脆い。この家は、万智が事件を起こすずっと前から崩壊していたのかもしれない。
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