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深層の滓(しんそうのおり)  作者: 麗 未生(うるう みお)
第三章 陰影(いんえい)

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陰影2-4-⑭:夢の中に閉じこめた現実

 鳴海は暫く廊下に立ち尽くす。反応があったとはいえ、まだ入口に立っただけだ。結衣が事件を起こしたのか否か、その真相とは別に、彼女の内面に刻まれた傷は深い。この先、どのようにして心を開かせるのか。明確な道筋が見えているわけではない。


 病室に戻ると、結衣はベッドに横たわったまま目を開けていた。視線は天井に固定され、瞬きも少ない。


「目を覚ました?」


鳴海が声をかけながら近づいても、結衣はこちらに視線を向けない。鳴海はベッド脇の椅子に腰を下ろす。やがて、天井を見つめたまま結衣の唇がかすかに動いた。


「お母さんは……」

「え?」

「お母さんは……死んだの?」


鳴海は結衣の横顔を見つめる。感情の波は読み取りにくい。


「……ええ、残念だけれど」

「そう……死んだんだ。お父さんも?」

「ええ」


短い応答のあと、結衣は天井を見つめたまま唇を噛む。その動作にわずかな緊張が走る。


「何か、ずっと夢を見ていたみたい」


そう言って、結衣はゆっくりと鳴海の方へ視線を向けた。先ほどの混乱とは違い、表情は落ち着いている。どこか重い殻が外れたようにも見える。


「夢?」

「うん。長い夢。全部、本当のことだったんだね……」

「どんな夢だったの?」

「万智がお母さんを刺して、帰って来なくなった時から、ずっと夢の中にいた。これは現実じゃないって思ってた」


声は静かで、抑揚がない。


「万智ちゃんがお母さんを刺した時、どう感じた?」


鳴海の問いに、結衣は少し考えるように目を細める。


「どう……だったかな。現実のことだと思えなかった。テレビの人とか、知らない大人が家の周りに沢山来て、カメラを向けられて。フラッシュの光が、人の視線みたいで怖くて……外に出られなくなって。昨日までと何もかも違っていた」


結衣は一度、息を吸う。


「本気で万智なんか死んじゃえばいいのにって思った。万智のせいで、こんなことになったって。何て酷い子なんだろうって」


その語り口は淡々としている。自分の感情を報告するだけのようだ。


「みんな、私のことを酷いお姉さんだって言ってる。視線が怖かった。耳を塞いでも、そんな声が聞こえてくる気がした」


結衣の指先がシーツを握る。


「だから、これは夢なんだって思うようにした。現実じゃないって。目が覚めたら、私は元の私に戻っていて、みんなの憧れの的で。今はただ眠っているだけなんだって」

「そう考えたら、楽になった?」

「うん……少しは。夢の中なら、周りを気にしなくていい。話さなくてもいい。失敗しても、本当じゃないって思えるから」


鳴海は頷き、さらに問う。


「お母さんは、その頃どんな様子だったの?」


結衣は僅かに顔を顰める。


「毎日、鏡ばかり見ていた。朝も昼も夜も。傷を何度も触っていた」


声が少し低くなる。結衣は首を傾げる。


「ある日、急に叫んで、家じゅうの鏡を割った。こんなの私の顔じゃないって。全部、全部あの子のせいだって」


結衣の視線が揺れる。


「手が血だらけになっていた。ガラスで切れても、気にしていなかった。お父さんが怒鳴って……」


そこまで言って、結衣は両手を耳に当てる仕草をする。


「私は、耳を塞いでいた。何も聞こえない振りをしていた。夢の中に逃げていれば、あの声も止まると思ったから」


病室の空気が重く沈む。鳴海は急がず、結衣の呼吸のリズムに合わせる。現実を夢とすり替えることでしか耐えられなかった少女。その防衛機制が崩れ始めた今、慎重に言葉を選ばなければならない。鳴海は静かに問いかける。


「その夢は、今も続いていると思う?」


結衣はしばらく黙り込み、やがて小さく首を振った。


「さっき……目が覚めた気がする」


その言葉に、鳴海はわずかな光を見た。同時に、これから向き合うべき現実の重さも、はっきりと感じ取っていた。


「お父さんとお母さんの怒鳴り声が……やっと聞こえなくなった」

お読みいただきありがとうございます。

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