陰影2-3-⑪:戻れない場所ー夏のざわめき
「たまには、勿体なくてもいいじゃないか。楽しいしさ。なあ、浩太」
「あ、う、うん」
浩太は少し遅れて頷き、その場の空気に合わせるように曖昧な笑みを浮かべた。和がその横顔を盗み見ると、浩太は小さく肩を竦め、照れたように笑う。その様子を見て、和は気付かれない程度に溜息を吐いた。どうして自分がここにいるのか、改めて考えると少し不思議な気分になる。
映画など、最後に観たのはいつだったか思い出せないくらい遠いことのように思える。自分から足を運ぶことは一度もなかったし、行きたいとさえほとんど思った事がない。なので正直なところ期待もしていなかった。それでも始まってみれば、思いのほか面白く、気付けば映像の世界に引き込まれていた自分がいる。その事実に、映画館を出た時には、僅かな戸惑いを覚える。
「おもしろかった~」
朝陽が伸びをしながら、心底満足そうに声を上げた。
「ねえねえ、それでさ。ちょっとお腹減ったんだけど、マック行かない?」
その提案に寧々も浩太も迷いなく同意する。和も流れに逆らえずついて行ったが、同級生たちと映画を観て、ファストフード店に入るという行為そのものが、どうにも落ち着かない。まるで、してはいけないことをしているような、後ろめたい感覚さえあった。
きっと、これが普通の高校生の夏休みなのだ。頭ではそう理解している。それでも、こうした日常は自分にはもう縁がないものだと、和はずっと思い込んできた。あの日を境に、人生ははっきりと分かたれてしまったのだから。汚れてしまった自分はもう、他の子たちと同じ場所には立てないのだと――。
「何かさ、不思議だよね」
そんな和の胸中を覗いたかのように、バーガーを頬張りながら、朝陽が唐突に口にした。
「何が?」
寧々が聞き返す。
「こんな風に、四人で一緒にいることがさ。正直、深見さんと一緒に映画観る日が来るなんて思ってなかった」
「どうして?同級生なんだから、おかしくないじゃん」
そう言いながら、寧々は一人一人の顔を順に見回す。
「まあ、理屈ではそうなんだけどさ。深見さんって、ザ・優等生って感じで、近付きにくいって言うか、誘っても断られそうな雰囲気あったし」
「そんなことないよね、和」
突然話を振られ、和は言葉に詰まる。
「私は……」
実際、朝陽の言う印象は間違っていない。普段なら断っていたはずだ。今日だって、最初から来るつもりはなかった。寧々の策略に、嵌まってしまった感しかない。
「でも、和ったら折角の夏休みなのに勉強、勉強ってばっかり言っちゃって。少しは羽延ばさないと。ね、来て良かったでしょ。映画も面白かったし」
寧々は楽しそうに続ける。
「私たち、花の高校生なんだから。もっと外で遊ばなきゃ」
「そうそう、紫園さんの言う通りだよ。あ、そうだ。今度みんなで泳ぎに行かない?」
朝陽が寧々の言葉に同調して新しい提案をする。
「あ、行きたい!海?それともプール?」
「やっぱ海がいいかな。でも、ちょっと遠くなるよな」
「少しくらい遠くても、私は全然平気だけど。その分、朝早く出ればいいだけだし」
朝陽と寧々が勢いよく話を進めていく。このままでは次は海に行く約束まで決まりそうだと感じ、和は思わず声を上げてしまった。
「わ、私は行かないわよ」
「え?どうして?」
寧々は本当に理解できないという表情で和を見る。
「行きたくないし」
「え~、絶対楽しいって。海だよ、海!」
「三人で行けばいいじゃない。私は、そういうの苦手だから」
「三人より四人の方が、楽しいに決まってるでしょ!」
「無理だってば!」
思わず強い声が出た。楽しい時間など、今の自分には必要ない。そんな思いが胸を一気に駆け抜ける。突声を荒げた和に、三人は驚いたように和を見つめた。その視線を受けて、和はハッと我に返る。場の空気を壊してしまった、と一気に居心地が悪くなる。
「……私、もう帰る」
そう言い残して席を立ち、和はそのまま出口へ向かった。やはり来るべきではなかったのだ。こんなふうに皆と笑い合う時間は、もう自分のものではない。来ても、皆に嫌な思いをさせるだけだ。改めてそう思い知らされる。寧々のように無邪気に笑うことはできない。
頭の奥には、いつもあの出来事が燻り続けている。決して消すことのできない落胤。あの男が死に、秘密を知る者がこの世からいなくなったとしても、それが消えることはない。和自身が、決して忘れることができないのだから。
これは多分、一生消えない――。
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