錯綜1-4-⑩:普通の家庭の風景
未だに祖母の冤罪を証明する術もなく、浩太が“犯人”だと思っていた人物も、もうこの世にはいない。結局いつまでも事件を引きずっている自分がいる。だからなのかもしれない、和が気になるのは。そしてまた、和の顔が脳裏に浮かぶ。その時、さっき舞奈が言っていた言葉がよみがえる。
――「依智伽と似ていた」
あの笑い方。どこかで見たと思っていたのに、言われるまで気づけなかった。
引っかかっていた理由は、昔とあまりにも変わっていた、と言うだけじゃなかったのだ。身近で同じ笑い方をする人物を見ていたからだ。依智伽も、母を突然奪われた。和の母は自殺だったが、どちらも「不慮の死」には変わりない。心に傷を負った者は、あんな風に笑うようになるのだろうか。
もしかして、自分も。気づかないうちに、あんな笑い方をしているのではないか――あの歪な笑み。
「なあ、朝陽」
「何?」
「俺ってどんな風に笑っている?」
浩太の問いに朝陽はキョトンとした顔をする。
「どんな風にって…普通だけど?」
「なあ、朝陽」
「何?」
「俺って、どんなふうに笑ってる?」
浩太の問いに、朝陽はきょとんとした顔を向けた。
「どんなふうって……普通だけど?」
「普通? なんか、変な笑い方してない?」
「変って、どんな?」
「それが分かれば苦労しないよ」
「全然普通だよ。ちょっと間の抜けた顔になるけど」
「間の抜けた……?何だよ、それ」
「言葉のまんまだよ」
そう言って朝陽は楽しそうに笑った。釣られるように浩太も笑う。朝陽はいつも、心から楽しそうに笑う。その屈託のない笑顔が、浩太は好きだった。自分も、こんなふうに笑えているのだろうか——ふと、そんなことを思う。ちょうどその時、階段を上がってくる足音が聞こえ、部屋の扉が開いた。
「朝陽、浩太君、下に降りてらっしゃい。夕飯、もうできるからって」
「お母さん、もう帰ってたの?」
「とっくに。ちらし寿司、舞奈ちゃんも手伝ってくれたのよ」
(嘘だろ?あの舞奈が?)
夕飯の支度を手伝うなんて、そんな姿、想像もできない。。浩太は思わず「嘘でしょ」と言いそうになったが、辛うじて声に出さず咲琴の後に続き、朝陽とともにリビングへ入った。
「浩太君、いらっしゃい」
キッチンから朝陽の母がにこやかに声をかけてくる。
「お邪魔しています」
その隣で、舞奈が可愛らしいエプロン姿で手伝っていた。——家では絶対に見ない光景だった。
「舞奈ちゃんは偉いわね。きっと家でもいろいろやってるんでしょう? おうちでは、唯一の女の子ですものね」
朝陽の母が言うと、咲琴も頷いた。否、マジで井出の舞奈の姿をmしえてあげたい。コイツ猫何枚被ってんだ、と言いたくなる。
「そうよね。『家事は女の仕事』って思ってる人、まだまだ多いから。浩太君も、妹だからって舞奈ちゃんをこき使ってたりしないでしょうね?」
「俺は別に……第一、舞奈は——」
言いかけた言葉を、舞奈の鋭い視線が遮った。浩太は口をつぐむ。——余計なことを言えば、後で何を言われるか分からない。
「さ、座って。あとは並べるだけだから」
言われるままに、浩太と朝陽はテーブルについた。リビングのソファーにいた朝陽の父も、のそりとこちらにやって来る。
(なんだか、本当に“普通”の家庭って感じだな)
浩太の家だって、そこまで大きく違うわけじゃない。祖父と父、それに自分と舞奈。——ただ、母がいないだけ。
けれど、その「母がいない」食卓は、ときどき妙に重たく感じる時がある。特に、母の命日が近づくと、皆そろって不自然なほど口が重くなる。あるいは、まるで打ち合わせでもしていたかのように、誰も母の話題に触れず、別の話を続ける。誰も口には出さないが、皆、心のどこかに重たいしこりを抱えているのだと分かる。
母がいなくなってから、クリスマスや誕生日といった行事も、どこかひっそりとしたものになった。父も祖父も気を遣って、それなりのことはしてくれる。だが、母がいた頃のような華やかさはない。
まず、食卓の彩りが違う。母がいた頃は、料理も飾り付けも、まるでイベントのように華やかだった。母の作る手作りケーキは絶品だった。浩太も舞奈も、それが一番の楽しみだった。今では懐かしい思い出と言うより、まるで別の世界の出来事だったように感じてしまう。ほんの数年前まであったあった温もりなのに、遠い遠い昔のことのようだ。
朝陽の家で過ごしたクリスマスは、本当に楽しかった。母を失ってから、初めて「クリスマスらしいクリスマス」を過ごしたように思う。舞奈も笑っていた。咲琴からは、彼女が昔着ていたというカンフーの衣装を何着かもらい、みんなからプレゼントまで貰って、すっかり上機嫌だった。浩太は何年かぶりに、舞奈の心からの笑顔を見た気がした。何となく心が少し軽くなったように感じた。
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