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深層の滓(しんそうのおり)  作者: 麗 未生(うるう みお)
第三章 陰影(いんえい)

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陰影2-3-④:名もなき視線の気配

今日は図書室に寄っていたため、帰りが少し遅くなった。最近は、帰る時にはたいてい寧々が一緒だった。和が誘っているわけではない。ただ、和が教室を出ると、寧々が少し遅れて後を追うように出てきて、同じ電車に乗り込む。そんな流れが自然と出来上がっていた。


 最初の頃は、正直なところ少し煩わしく感じることもあったが、今ではすっかり慣れてしまっている。この日は、和が図書室に寄ると言うと、寧々は先に帰った。寧々は学校に残って勉強することはほとんどない。早く帰っても仕方がない、と口では言うが、居残ることもしない。


 それでも成績は良い。編入試験は一般の入学試験より難しいと聞いているが、それにあっさり合格しているのだから、相当頭がいいはずだ。一見した印象からは、あまりそうは感じられないのだが。


 いつもよりずいぶん遅い電車に乗り込み、しばらく走ったあたりで、和はどこからか視線を感じた。そっと周囲を見回してみるが、知っている顔は見当たらない。以前、岳を見かけた後にも、同じように誰かの視線を感じたことがあった。あの時は、身体に纏わりつくような、不快で嫌な視線だった。それも当然だ。あれは岳だったのだから。


 今、感じている視線は、それとは違う。不快というよりも、もっと曖昧で、正体の分からないものだ。それが返って和の不安を掻き立てる。そして、この感覚は初めてではないような気がした。気のせいだろうか。この視線を感じるのは、決まって遅い電車に乗った時のような気がする。


 それから何日か経った、ある日のことだった。和は駅の改札口を抜けようとしたところで、背後から幼い声を掛けられた。


「お姉さん」


最初は自分のことだとは思わず、そのまま歩き続けた。すると、その声は和を追うように、少しだけ近づいてもう一度呼び止めた。


「お姉さん」

「……私?」


和は足を止め、振り返ってそう尋ねた。


「うん」


そこに立っていたのは、小学生くらいの女の子だった。服装はきちんとしていて、清潔感があり、年齢のわりに落ち着いた印象を受ける。どこかで見たような気もするが、はっきりと思い出せない。そもそも、和には小学生の知り合いなどいないはずだった。


「えっと……誰だったかな」


近所の子だろうか、と一瞬考える。確かに自宅の近所には小学生も住んでいるが、言葉を交わした記憶はない。こちらが覚えていなくても、向こうが覚えているということはあり得る。


「うちの近所の子?」


そう聞くと、女の子はにこりと笑い、首を横に振った。


「違うよ。お姉さん、私のこと覚えていないの?」


その言葉に、和はもう一度記憶を探るが、やはり誰の顔も浮かばない。


「お姉さん、今日は気分悪くない?」

「え……だ、大丈夫だけど」


思わずそう答えながら、和は戸惑う。何を基準にそんなことを聞いているのだろう。


「最初に会った時、お姉さん、すごく気分悪そうだったから。ほら、あそこのトイレで」


女の子はそう言って、駅構内にあるトイレの方を指差した。


(トイレ……)


その瞬間、何かが記憶の底から浮かび上がりそうになる。


「あ……」

「思い出した?」


女の子は少し得意げに続ける。


「でも、そのあと会った時は元気そうだったよね。お姉さんに酷いことした奴に、ちゃんと罰が当たったんだって思った」


そうだ、この子に確かに会っている。でも、あの時は顔を見るほどのゆとりがなかった。二度会いたくないと思っていた岳に会い、声までかけられた。あの悪夢が再び繰り返されるのでは、という恐怖で最悪の状態だった時だ。でも女の子が声をかけてくれて、少し気持ちが落ち着いた。


 あの時の子だったのだ。あれ以来姿を見なかったせいで、すっかり忘れていたのだ。否、思い出したくなかった出来事だったから、無意識に記憶の奥に閉じ込めてしまっていたのかもしれない。あれ以来姿を見なかったせいで、すっかり忘れていたのだ。


だが、あの時この子が口にした言葉だけは、今でもはっきりと覚えている。


――悪いことをした奴には、必ず罰が当たる――


 その言葉通り、岳はあれから間もなく死んだ、否、殺された。

お読みいただきありがとうございます。

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