錯綜1-4-⑧:真実は誰も知らない、それでも人は噂をする
「なんか、深見さんのお母さんってさ、けっこう派手な人だったらしくて、他のお母さんたちの中でちょっと浮いてたんだって」
さっき舞奈も、そんなことを言っていた。
「でもまあ、与えられた役回りはちゃんとこなしてたし、子どもたちへの差し入れなんかもよくしてくれてたから、周囲も派手なところは見て見ぬふりしてたみたい。それに、深見さん本人も他のお母さんたちにけっこう可愛がられてたらしいよ。サッカーチームで唯一の女の子だったしね。六年生になるまでは、ね」
「……まで?」
「うん。でも、六年の夏休みくらいから変な噂が立ち始めてさ」
「変な噂って?」
「深見さんのお母さんと、サッカーのコーチが――なんかあるんじゃないかって」
「“なんか”って、つまり、男と女みたいな?」
「まあ、そういうことだろうね」
「どうしてそんな噂が?」
「誰かが、夏休みに深見さん親子とコーチが一緒にいたのを見たらしいんだって。それも練習後とかじゃなく、全然関係ない日に。しかも、かなり親しげだったらしくて」
「それで?」
「深見さん本人は『母と買い物してるときに偶然会って、ファミレスで一緒にランチしただけ』って言ってたらしい。でもさ、噂って一度広まると尾ひれがついて止まらないから」
人の口に戸は立てられない――浩太も、それはよく知っていた。
「それで、その噂のせいで、深見さん自身もいろいろ言われるようになったんだって」
「深見さんは関係ないじゃん、子供だし」
「だって、チームに女の子は一人だけだったしさ。『母親譲りで、男っぽい格好で誤魔化してるけど、本当は息子達に色目使ってるんじゃないか』とか。そんなことまで言われたって」
「色目って……まだ小学生だよ?」
「そうだけどさ。たぶん、独身でいつも綺麗にしてた深見さんのお母さんに、やっかみがあったんじゃない? それで噂が一気に広がって……そのうち、嫌がらせみたいなことが始まったんだって」
「嫌がらせ?」
「深見さんのお母さんが持ってきた差し入れ、子どもたちに食べさせない、触らせない。細かいことを挙げたらキリがないって。あからさまなやり方だったから、当然子どもたちにだってバレバレだった。それで、だんだんチームの雰囲気も悪くなって……結局、深見さん、チームを辞めたらしいよ」
そんなことがあったのか。みんなと仲良くやっていたように見えていたのに――たった一つの噂で、歯車は簡単に狂ってしまう。それに女同士ってやっぱり色々面倒臭そうだと思う。浩太の頭の中に母と梗子の関係が蘇る。
「でも、それだけじゃ終わらなかったんだって」
「まだ何かあったの?」
「その後、深見さんのお母さんとコーチが……ラブホから出てくるところを見られたらしい。しかも、全然違う町で」
「それって……知り合いに見られたくなかったから、わざわざ離れた場所で密会してたってこと?」
「うん。そういうふうに受け取られた。つまり――ただの噂じゃなくて、本当だったって」
「じゃあ、結局本当のことだったんだ……」
「でもね、大谷の話だと、夏休みが始まる前までは、特別親しげな様子はなかったって。だけど、お母さんが嫌がらせを受けるようになってから、コーチが庇うようになって……実のところ、あの噂が現実を引き寄せたのかも」
「つまり、噂が二人を親密にさせてしまったってことなんだ」
「たぶん、そうじゃないかって。大谷も当時まだ小学生だったから細かいことまでは分からなかったけど、今思えば、そうだったのかもって。でも、そのラブホの件が問題になってさ。結局、コーチもチームを辞めさせられたって」
ほんの些細な、誰かの無責任な言葉。それが現実を、人生を、静かに狂わせていく――浩太はそう思った。
「でね、その件に腹を立てた深見さんのお母さんが、嫌がらせの中心人物の家に乗り込んだらしいんだ。それで揉めて……刃傷沙汰になったって」
「刃傷沙汰……?」
「うん。切りつけた、って噂。実際、その相手の人、噂を立てた張本人、しばらく家から出てこなくなってさ。たまに見かけた人が『顔に大きなガーゼ貼ってた』って。真偽は分からないけど、それ以来、みんなピタリと黙るようになったって」
「……警察沙汰には?」
「そこは分からない。でも、そんな大ごとになったらもっと騒ぐ人もいただろうから、事件とかにはなってないんじゃかって」
「そっか……」
馬鹿な噂話を広げた方にも非がないとは言えない。まして嫌がらせまでしていたのなら、警察に届けて色々聞かれたくないと事もあるだろう。だから被害届を出さなかった、という可能性も否定できない。
「大谷のお母さんは仕事でサッカーの試合とかも殆ど同行しなかったから、噂話にはあんまり寄ってなくてあとになってから知ったんだって」
「ふーん」
「あの嫌がらせに自分の母親が関わっていなかったことを、心底ほっとしたって言ってた。特に……中学に入ってすぐ、深見さんのお母さんが自殺したって聞いた時には、ね」
「じゃあ、深見さんが言ってた“ある事件”って……そのことかも」
「かもしれない。でも警察に捕まったとか、事件として扱われたとか、そういう話は聞いてないって。ただ、そのタイミングでその人が怪我した、ってだけの話かもしれないし」
「そんな偶然ある?」
「ないとは言えない。噂って、どこまでが真実かなんて分からないし」
確かに、その通りだ。でも――もし、それが全部事実だったとしたら。和はその現実をどう受け止めていたのだろう。実の母親の醜聞と自殺――。
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