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深層の滓(しんそうのおり)  作者: 麗 未生(うるう みお)
第一章 錯綜(さくそう)
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錯綜1-4-③:記憶の中の母の笑顔と、和を脅かす男

「何だ? 今、お前たち、見つめ合ってただろう」


朝陽が意味ありげな笑みを浮かべ、浩太と和の様子を見てニヤつく。


「はあ?」

「視線が絡み合ってたぞ」

「何、バカ言ってんだよ。そんなわけないだろ」

「そうか?」


朝陽はまだ疑わしげな目をしていたが、浩太は首を振って完全に否定する。何を言いたいのかは分かっている。冗談のつもりだろうが、浩太に和を特別視する感情はない。少なくとも、そんな種類の感情ではない――と、自分では思っている。


「お前の“女嫌い”を卒業させてくれる女子、いないのかなあ?」

「別に、女嫌いってわけじゃ……」


ただ、少し苦手なだけだ。浩太は内心でそう訂正する。原因は――やはり梗子の存在が大きい。しかし、よくよく思い返してみると、女性に対する不信感の芽は、もっと早く、もっと身近なところで育っていたのかもしれない。


 その切っ掛けは、母だったのではないだろうか……。


 母は優しく、家もいつも整っていて、料理は文句なしに美味しかった。母親としては完璧すぎる人だった。周りが羨むようなキャラ弁も朝早くに起きて作ってくれ、友達に羨ましがられた。母が好きだったし、自慢でもあった。


……けれど、どこかに違和感があった。


 梗子は母の友人として昔から家に出入りしていた。ずっと母とは仲の良い友人だと思っていた。だが、ある日ふと、「梗子の事は、好きじゃないわ。ていうかむしろ大嫌いよ」と母は漏らした。じゃあ、なぜ家に入れるのか――そう聞いたが、母は答えず、ただ笑っていた。


 あのときは意味が分からなかった。けれど成長するにつれて、少しずつ見えてきた。梗子は、母にとって“優越感を満たすための存在”だったのではないか。梗子が父に気があることなど、とっくに気づいていたはずなのに、あえて家に出入りさせていたのは、自分が“手に入れているもの”を誇示するためだったのではないか――事実、梗子が帰った後の母は、いつも機嫌が良かった。


 嫌いな相手を家に入れ、笑顔で応対する母を、浩太はどこか怖いと思った。そして、母を手にかけた本当の犯人が梗子ではないかと疑っている理由も、そこにある。二人の間の危うい均衡が崩れた時、何が起きても不思議ではなかった。


 とはいえ、当の二人がすでにこの世の人ではない今となっては、真相を確かめる術もない。だが――あれ以来、笑顔の裏で何を考えているか分からない、嫌いな相手の前でも笑える女性という存在が、浩太にとっては“恐怖”となった。


 もちろん、そんな女性ばかりではないだろう。それでも、多感な時期に刻まれたその感情は、いまだに心の奥に根を張り、女性に対して持つその感情に大いに影響している。



 学園祭が終わると、学校は一転して期末試験モードに突入した。つい昨日までの浮かれた空気が嘘のように、皆が真面目に勉強へと集中していく。授業を終えると、浩太と朝陽はいつものように駅に向かっていた。


 駅の改札口近くに差しかかった時、不意に浩太の視界に和の姿が飛び込んできた。中年の男と話している。だが、和の表情は明らかにこわばり、不快感と怯えが滲んでいた。


「あれ、深見さん……だよね?」

朝陽もすぐに気づく。

「隣の男、誰だ?」

「さあ……?」

「なんか迷惑そうじゃない?」


和の傍に中年の男がいて、何かを話し掛けているようだ。浩太が首を傾げていると、朝陽は言葉を終える前に和の方へ駆け出し、中年男に声をかけた。こういうときの行動力は、朝陽の持ち味だ。


「ちょっと、おじさん」


男が振り向く。顔は赤く、まだ暮れるには早いというのに、酔っているように見える。


「何だ?」

「その子に、何か用?」

「お前らに関係ないだろ。何だ?こいつらお前の男か?」


男は和に視線を戻してニヤッと笑う。和は唇を噛む。


「色気づきやがって……やっぱりあの母親の血を引いてるからな」


和の目に、明らかに不快感と怯えが浮かんでいる。


「彼女は、僕たちのクラスメイトです。……おじさんこそ、誰?」

「俺か?俺はこいつの――」


男は口の橋でフフッと笑い、和を見た。


「やめて!」


和が声を張り上げた。今にも泣き出しそうな声だった。


「帰って!二度と私に近寄らないで!」

「誰にモノ言ってるんだ、あァ? そんな口きいていいのか?もし、“あのこと”を――」

「やめて、って言ってるでしょ!」


男の言葉を遮るように、和が男を突き飛ばし、そのまま駆け出した。男が追いかけようと一歩踏み出した瞬間、朝陽がすばやく前に出て男の行く手を塞いだ。


「やめなよ。いい年して嫌がってる女の子を追いかけるなんて、痴漢か? 警察、呼ぶよ?」

「警察だぁ?ふざけんな。俺はなァ――」


そのとき、男の怒鳴り声に気づいた駅員が駆け寄ってきた。


「どうかしましたか?」

「チッ……何でもねぇよ!」


今にも朝陽に掴みかかりそうだった男は、駅員の存在に気づき、舌打ちして踵を返した。

 そして、すれ違いざま、男の囁く声が浩太の耳に届いた。


「やっと見つけたぞ。俺の獲物――」


男は楽しそうに笑っていた。その顔は、狂気すら滲ませていた。男が去っていくのを見届けてから、朝陽が浩太のもとへ戻ってきた。

お読みいただきありがとうございます。

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