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深層の滓(しんそうのおり)  作者: 麗 未生(うるう みお)
第三章 陰影(いんえい)
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陰影1-1-⑪:母を殺されたもう1人の娘

「莉子ちゃん……会いたかったわ」


震える手で南海の頬を撫でる。その仕草はあまりにも優しく、慈しみに満ちていた。


「みぃしゃんだよ」


そう答えながら南海は少し不思議そうな顔をするが、朱音の母の背にそっと手を回す。あの事件以来、こんな穏やかな表情を彼女が見せたのは初めてかもしれない。


 鳴海は、その光景を見つめながら、このまま時間が止まってくれたらいい、と思った。彼女の中で、幸せな記憶だけが永遠に続けばいいと。


「ああ、嬉しい。公洋さん、この間は莉子ちゃんを連れてきてくれなかったから……どうしているのかと思っていたのよ」

「え?」


(この間…?)


思わず声が漏れた。朱音の夫・公洋は、娘の寧々を連れてアメリカへ渡ったきりのはずだった。帰国してきている、ということなのだろうか。


「公洋さん、最近、ここに来たのですか?」


鳴海が問いかけると、朱音の母は不思議そうに首を傾げ、それから微笑んだ。


「あら、嫌だ。鳴海ちゃん、聞いていなかったの?ついこの間、来たばかりよ。寧々ちゃんと一緒に。ねえ、公洋さん?でも莉子ちゃんは一緒じゃなかったのよね」


そう言いながら朱音の母は天哉を見る。天哉を朱音の夫だと思っているようではあるが、鳴海のことはきちんと認識している。突然の問いに、天哉は一瞬、目を泳がせたが、すぐに頷いた。


「あ、え、ええ……」

「あら、でも変ね。寧々ちゃん、とても大きくなっていたのよ。なのに莉子ちゃんは小さいままなんて……あら、どうしてかしら」


朱音の母はこめかみに手を当て、何かを思い出そうとするように目を細めた。本当に、公洋と寧々は帰ってきているのだろうか。朱音の母が今のように、誰かと勘違いしているのか、記憶を混同しているということもあり得る。


「記憶違いかしら……変ね……」


朱音の母が考え込むのを見て、鳴海は天哉に目で合図した。天哉は頷くと、南海を抱き上げてそっと部屋を出た。鳴海は少し声を落とし、朱音の母の前に腰を下ろす。


「おばさん、最近、寧々ちゃんに会ったの?」


その問いに、朱音の母は顔を上げ、嬉しそうに頷いた。


「ええ、もう高校生になっていたのよ。すっかり大きくなっていて、吃驚しちゃったわ」

「寧々ちゃん達は、日本に帰ってきているのね?」


鳴海の声がわずかに震える。


「そうなのよ。それでこの間、公洋さんが挨拶に来て……あら、莉子ちゃんは?今、ここにいたわよね。どこへ行ったのかしら」


朱音の母は辺りを見回し、少し不安げな顔をする。


「気のせいかしら……」


現実と記憶が入り混じっているのが伝わる。鳴海は穏やかに笑いかけながらも、質問をする。


「おばさん、寧々ちゃん達は今、どこに住んでいるの?」

「えっと……どこだったかしら。聞いたような気もするのだけれど、思い出せないのよねぇ……」


朱音の母は遠くを見つめ、曖昧に笑った。もし本当に彼らが帰ってきているなら、ぜひ会いたい。朱音の事件のことを、そしてあの日の真実を、寧々の口から聞きたい。鳴海は少し間をおき、静かに言った。


「おばさん、今度、寧々ちゃん達が来たら、住所をどこかに書き留めておいてくれる?」

「あ、ええ、いいわよ」


帰り際、鳴海は受付に立ち寄り、確認した。


「先週、島崎さんを訪ねて来た方がいたと伺ったのですが……」


受付の女性は名簿を見ながら頷いた。


「ええ、一週間ほど前に男性と中学生か、高校生くらいの女の子が面会に来られています」


胸が高鳴った。朱音の母の記憶違いではなかった。


「その方たちの住所を教えて頂くことは……」

「申し訳ございません。個人情報になりますので……」


職員はやんわりと断った。最近はこういうことを簡単には教えてくれないようになった。世の中が変わってきている。鳴海の時も確かにごいているのに、朱音との時間はもうずっと止まったままだ。でも鳴海の胸の奥で、何かが確かに動いた。朱音の事件に、新しい風が吹き始めた気がする。


 朱音の娘の寧々。あの子に最後に会ったのは、彼女が小学校一年の頃だった。母と妹の命を突然奪われ、あの幼い子は何を思ったのだろう。怯えと悲しみが入り混じった、忘れようのない瞳。

お読みいただきありがとうございます。

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