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深層の滓(しんそうのおり)  作者: 麗 未生(うるう みお)
第三章 陰影(いんえい)
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陰影1-1-①:母の影を映す瞳 ― 少女・依智伽

 第三章 陰 影

    第一部

     一.


「お名前は?」

「三芳依智伽です」


鳴海がその子、三芳梗子の娘――の精神鑑定を依頼されたのは、梗子が死んで一週間ほど経った頃だった。梗子は暴漢に襲われ、非業の死を遂げた。実際、衝撃を受けた。あの梗子が殺されるなんて。


 そして鳴海はあの報せを聞くずっと前から、梗子の娘とは、どんな子なのだろう、と気になっていた。


 まさか、こんな形で対面することになるとは思ってもみなかった。以前、梗子が鳴海のもとを訪れていたという経緯があったため、その流れで今回の依頼が回ってきたのだろう。親が殺されるという非日常的な現実に直面した子どもの心は、当然ながら不安定になる。そういうことの精神鑑定を依頼されるのは珍しくはない。


 ましてや依智伽には梗子以外の身内はいない。梗子の両親はとっくに他界していて、他に親類縁者もいない。つまり依智伽には引き取ってくれる親戚等もいないから、この先は養護施設に行く事になっている。鳴海の役目は、施設の職員たちに対して、その子への精神的ケアの方法を助言することだった。


 しかし、実際に依智伽に会ってみると、想像していた姿とはまるで違っていた。名を呼ばれればはっきりと答え、姿勢もいい。まっすぐに伸ばした姿勢からは、どこにも怯えや暗い影が見えない。この子は本当に、母親が殺されたという現実を理解しているのだろうか、そう思わずにいられない。


 依智伽は小学四年生だと聞いていたが、平均的な10歳の子供よりはやや小柄に見えた。長い前髪の隙間からのぞく瞳は、まるで何も見ていないように、感情が見えない。逆にこちらの心の奥を覗かれているような感覚さえ覚える。


「お母さんの事件のことは、理解している?」

「はい」


とても落ち着いている。鳴海は少し迷いながら、次の質問を口にした。


「どう思った?」


普段なら、子どもにこんな質問はしない。だが、この時だけはなぜか、聞いてみたくなった。


「どう…?」


依智伽は鳴海の言葉の意味を測りかねているようだった。


「ショックだった?」


母親が突然死んだのだ。ショックでないはずがない。そんなことは、聞くまでもない。聞くだけ馬鹿げている、というか無神経でもある。しかし依智伽はビクッともしない。そしてしばらく考え込むように、指先をいじりながら答えた。


「分からない……」

「分からない?お母さんが死んだのよ。何か感じなかったの?」


余りにも無反応な返事につい、いきなり確信を突いてしまった。こんなやり方、いいわけがないのに。


「……もう帰ってこないんだって思った」

「もう帰ってこない。それは、寂しいってこと?」


依智伽はまた少し考え、首をかしげた。鳴海は質問の仕方を変えるべきかと思った。ふと、梗子がここへ来ていた頃のことを思い出す。あのときから、ずっと気になっていた。梗子はいったいどんな母親だったのか、と。


「依智伽ちゃんにとって、お母さんってどんなお母さんだったの?」

「どんな?」

「優しかった?」

「……普通」


依智伽の通っていた小学校の担任からは、ある程度の話を聞いていた。梗子は学校行事に一度も顔を出したことがない。参観日も運動会も学芸会も、全て欠席だった。家庭訪問の日も「仕事で都合がつかない」と断っており、担任は一度も会えなかったという。


 お弁当持参の日には、依智伽はいつもパンを持ってきた。一度だけコンビニ弁当を持参したが、それをクラスの子どもにからかわれてからは、またパンに戻したという。いかにも手作りでない弁当を見せるより、パンの方がまだまし。子どもながらにそう判断したのかもしれない。


 同じ買ってきた物でもパンと弁当では子供の側では受け取り方が違っていたのだろうか。学校では一時、育児放棄の疑いも持たれたようだ。だが、依智伽はそれを否定した。確かに着衣も真新しい物を着ているわけでもないが、不潔ということはない。


 給食費も滞納はしたことがない。ただ、母親が看護師という職業柄、忙しく不規則な生活を送っていた。そういう結論に落ち着いたようだった。まあ、学校側も敢えて面倒毎に首を突っ込みたくもなかっただろう。目に見えて虐待されていると言うならまだしも、そういう様子も窺えなかったのであるから。


「普通って?」

「普通は普通だよ。だって、他のお母さんがどんなか知らないし。うちはお父さんがいないから、家にお母さんがずっといるような、そういう暇なお母さんたちと一緒にしちゃ駄目だって言われたの」

「お母さんがそう言ったの?」

お読みいただきありがとうございます。

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