遠因2-3-⑲:邪魔な物は消す
つまり、梗子はまたしても“振られた”ということか。その直後、依智伽は奇妙な笑みを浮かべ、口の中で何かをつぶやいた。「え?」と思わず聞き返すと、彼女は「なんでもない」と小さく首を振る。気のせいだ――保人はそう思い込もうとした。あの子が、あんな言葉を吐くはずがない。
「でも、ちょっと残念。もう依智伽も浩太お兄ちゃんのところに行けないから」
依智伽は寂しげに笑った。その表情があまりに大人びて見えて、保人の胸が痛んだ。
「依智伽ちゃんは、浩太お兄ちゃんが好きだったんだね」
「好きかどうかは分からない。でもね、あの家の子供になれたらいいなって思ってた。智樹おじさんが一緒だと、お母さん、優しいから」
つまり、その智樹と言う男の前でだけは、優しい母親を演じているということか。そして依智伽もその事を理解しているのだ。
「でも、お母さん、ちゃんと火傷の手当てをしてくれたんだろう?お母さんだって、優しい時もあるじゃないか」
それは、依智伽にではなく、自分自身に向けた言葉だったのかもしれない。依智伽を慰めたい気持ちと、“梗子でも母親としての情はある”と自分に言い聞かせたい気持ちが入り混じっていた。依智伽が少しでも穏やか日々を過ごせるようにと。
「うん……」
依智伽は、うつむいたまま、ほとんど聞き取れない声で答える。
「でも、おじいさんが帰ってきたからもう用はないって言うのも、なんか酷いよね」
保人は思わず呟いた。梗子は確かに厄介な女だが、智樹という男にだけは一生懸命だったように思える。あの女なりには尽くしていたのだろう。それが、「用がない」と突き放されたことは、彼女にとっても大きな屈辱だったろう。
「うーん、どうかな。多分、それだけじゃないと思う。浩太お兄ちゃんも、舞奈お姉ちゃんも、お母さんのこと嫌いだったから」
「そうなの? 依智伽ちゃん、そう言われたの?」
「言われないけど、そんな気がしたの。お母さんがニコニコしているのって智樹おじさんの前だけだし」
「そうか……」
保人は苦笑に似た息を漏らす。それでなくても梗子が子供に好かれるような女でないことは分かる。子供が嫌っている女と一緒にはなれないだろうし、家の事をしてくれる者がいるのなら敢えて梗子の様な女を家に迎え入れたいとも思わないだろう。
それまで世話をして貰っていた負い目があってもそう言わざるを得ない何かがあったのかも知れない。とは言っても、梗子が甲斐甲斐しく家事をするのもあまり想像できない。きっと押し付けのようなところがあったのではないか。誰かがしてくれるから、と言うのは梗子を断る為の口実だったのか。否、きっとそうに違いない。
「ねえ、おじさん」
「何?」
「排除するって、何?」
唐突な質問に、保人は眉をひそめた。
「排除?学校の宿題か何か?」
「ううん。お母さんがそう言ってたの。“要らないものは排除しなくっちゃ”って」
ざらり、と胸に何かが使えるような感触がする。
「何のことを言ってるんだろう……不用品のことかな」
「不用品?」
「ああ、例えばね……。家の中の、もう使えなくなったものとか、古くなったもの。そういうのを片づける、っていう意味だよ」
「ゴミ……。依智伽もゴミ?」
その言葉に、保人は息を呑んだ。
「は?な、なんでそんなこと言うの?依智伽ちゃんがゴミなわけないでしょう」
「でもお母さんがね、依智伽は要らないものだってよく言うの」
そんな言葉を子供に投げつけるなんて、保人の胸に、怒りと悲しみが入り交じった。
「そんなの、本気で言ってるわけないよ。依智伽ちゃんは大事な子なんだから」
「でもね、依智伽は邪魔なんだって。お母さんが浩太お兄ちゃんのお父さんと結婚できないのは、依智伽がいるからなんだって。依智伽が邪魔だから」
「そんなこと、言っちゃいけない。依智伽ちゃんは、邪魔なんかじゃないよ。絶対に」
「……邪魔な物は消してしまえばいい」
「な、何?」
保人は息をのむ。
「お母さんがね、よくそう言ってるの。“邪魔なものは、消してしまえばいい”って。お母さんは、前にも邪魔な物を消したことがあるんだって」
「け、消すって……どうやって?」
保人の声が震える。
「知らない。でも、そうしたら何もかも上手くいったって言ってた」
保人の全身を、見えない冷気が包んだ。“邪魔なものを消した”その言葉が、ただの比喩ではないように思えてならなかった。
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