錯綜1-3-⑨:蘇る過去の思い出
「思い出さないって、何を?」
浩太が問い返すと、和はわずかに肩を落とした。
「入試のとき、私、あなたの隣の席だったのよ」
「え……あ、そうだった?」
“思い出さない”というのは、そのことか?だが入試で隣に誰が座っていたかなんて、普通覚えているものだろうか。
「そうだったんだ。でも、あのときは試験で頭がいっぱいでさ。隣の人の顔なんて……」
「違うの。私が言ってるのは、もっと別のことよ。私は、あの時すぐに気づいたの。あなたが“あのコータ”だって。だから、入学して同じクラスだってわかったときは、きっと私のことも思い出してくれるって……」
「えっと……?」
分からない。和の言葉の意味が、さっぱり見当もつかない。。もっと前に会っていたということなのか? でも全く記憶にない。すると今度は、和が前髪を持ち上げて見せる。
(……なんだ?)
一瞬、脳裏に誰かの顔が浮かびそうになる。前髪を上げたその顔――見覚えがある。頭の上で前髪を結んで走り回っていた人影。
(……誰だ?)
遠い昔に出会った、あの少年の姿が蘇る。
(え……?)
浩太は目の前の和をまじまじと見直す。その顔は、かつて自分の前からボールを奪っていった、あの少年と――とてもよく似ていた。でも、それはどういうことだ?
和とあの少年に、何か関係が? 兄妹? 従姉妹? だからと言って、浩太を覚えているだろうか。
「……わっ、ちゃん……?」
気づけば、口が勝手にその名を呟いていた。その言葉を聞いて、和は前髪から手を下ろすと、深いため息をついた。
「やっと、思い出してくれたのね」
「えっ……じゃあ君、わっちゃんの親戚?」
浩太が戸惑いながら尋ねると、和は驚いたように目を見開き、声を強めた。
「親戚じゃないわよ。私が、その“わっちゃん”よ」
「は……?」
一瞬、時間が止まった。彼女は何を言っている? そんなはずはない。和は女だ。だが浩太の記憶の中の“わっちゃん”は――確かに、サッカー少年だった。母の事件が起きる前、浩太は地元のサッカーチームにいた。“わっちゃん”は隣町のチームの選手で、足が速く、何度もボールを奪われたライバル的な存在。練習試合で一緒になると偶に言葉を交わした事もあった。名字が何だったか覚えていないがみんな“わっちゃん”と呼んでいて浩太もそう呼んでいた。けれど、「深見」などという名字ではなかったはず――
「だって……君は女の子じゃないか。わっちゃんのわけ――」
「はあ?」
浩太の言葉に和は目を見開いて首を横に振る。
「やっぱり……上條君もそう思ってたんだ」
「そう思ってたって……現に、わっちゃんは男だったし」
「誰がそんなこと言ったの?」
「……え?」
言われてみれば、誰にも聞いたことはなかった。ただ、あのチームは少年サッカーチームだった。女子なんて――
「確かに、うちのチームは男ばっかりだったし、チーム名にも『少年』って入ってたけど、女子が入れない決まりはなかったわ。まあ、私1人だけだったけどね。でも、女扱いされるのが嫌で。男だと思ってる人には、そう思わせてた」
「でも……」
「女だと分かった瞬間、相手チームからマークされたり、集中攻撃されたり。嫌がらせもあったし。ゼッケンにわざわざ私女の子です、ってつけるわけないでしょ。それで手加減されるのも嫌だったし」
浩太の中で、わっちゃんの少年像が音を立てて崩れていく。まさか、あの俊足のライバルが――女の子だったなんて。ショートカットで、快活で、少年のようだった彼女。今は眼鏡をかけた、おさげ髪の少女――あまりにも印象が違いすぎる。
「名前は……君の名前は“まどか”だよな?」
「ええ。“平和”の和で“まどか”。だから“和っちゃん”。あの頃はそう呼ばれてたわ」
「あ……でも、君の姓は“深見”じゃなかったような気がするんだけど」
「名字は……変わったの」
「変わったって。あ、親の離婚とか?」
「そうじゃない、ってか、うちの母はとっくに離婚してたし。サッカーやってた頃にはもう一人だったから」
「……あ、そっか。ごめん。変なこと聞いて」
「ううん、平気よ。もう昔のことだから」
「でも、じゃあ……どうして名字が?」
「母が死んで、叔母さん夫婦の養女になったの」
「……!」
あまりにさらりと言うものだから、一瞬その言葉の重みを理解できなかった。それにしてもあのわっちゃんが女だったなんて、とまだ考えてしまう。浩太にとっては青天の霹靂と言っても大袈裟ではない。女子にボールを奪われていたなんてと思うと情けなくなってくる。
「上條君、あの事件の後、サッカーやめちゃったのね」
「うん……」
サッカーは好きだったけれど続けたいとも思わなかった。町のサッカーチームって試合とか何かあると、母親が参加して弁当や差し入れをする。浩太の母もよくついてきていた。その母が殺されたのだ。周りがどういう目で浩太を見るかは想像できた。大人達の好奇の目に晒されるのはウンザリしていたし、もはやサッカーどころではなかった。
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