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深層の滓(しんそうのおり)  作者: 麗 未生(うるう みお)
第二章 遠因(えんいん)
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遠因2-2-⑳:思いがけない男の死

「宜之、外に出たよ」


晴治のその言葉に、一気に頭に血が上るのを感じる。


「ほらほら、お義姉さんも外に出て。折角、お義父さんとお義母さんがいない夜を選んだのですから」

「で、でも……私」


寛子が躊躇していると、またしても多香子が背中を押す。


「そんな風に躊躇っているうちに、宜之君が本当に他の人と結婚したらどうするんですか?お義姉さんももう大人なんですからこれ以上、手を焼かせないで下さい」


宜之が結婚、他の誰かと――そう思った瞬間、胸が締め付けられるような痛みが走った。


(これが……)


恋なのか。寛子は初めてそれを認識した。だがそう思った途端、一気に恥ずかしさが込み上げてくる。外に出ると、宜之がそこにいてこちらを見ていた。その姿を見るなり、息苦しさを感じる。宜之は押し出されるように出てきた寛子を見て、首を傾げた。


「寛ちゃん、どうしたの?」


宜之はそう言いながら近寄ってくる。寛子は思わず後ずさりしてしまった。


「あ、あの……私」


二度も結婚経験のある大人の女だというのに、これじゃまるで高校生みたいだと、我ながら思う。多香子に呆れられても仕方がない。


「何?俺、なんか忘れ物でもしてた?」


「あ、あの、あの……」


言葉が出てこない。寛子はただ口をパクパクさせるだけだ。自分でも馬鹿みたいだと思う。宜之は怪訝な顔で近寄ってくる。距離が近くなるほど、顔が熱を帯びてくるのが分かる。


「なんか顔が赤いけど、熱でもあるの?」


宜之の手が寛子のおでこに伸びてくる。


「あわわわっ!」


素っ頓狂な声が喉の奥から飛び出し、寛子は思わず飛びのいた。その様子に、宜之は鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしている。


(落ち着いて、落ち着くのよ……)


寛子は両の拳を胸の前で握りしめ、自分にそう言い聞かせる。


「何?本当に変だよ」

「わ、私……私、宜君が結婚するの、い、嫌かも……」


一気にそう口にしてしまう。宜之は、わけの分からないような顔をしている。


「何のこと?さっきも言ったけど、俺、まだ当分は結婚しないよ、多分」


そこまで言って宜之は改めて首を傾げる。


「ん?ちょっと待って……?今のって、も、もしかして?」


寛子はまるで全身の血が頭に上ったかのように、もう訳が分からない。頭の中が真っ白になる。


「もう、じれったいわね!」


そこに中から様子を窺っていたのか、戸をガラッと開けて多香子が顔を出す。


「お、おい、多香子……」


晴治がその後ろから、多香子の肩を抑えるようにしている。寛子は増々顔が赤くなるのを感じ、心臓が破裂しそうな気がした。


「お義姉さんは宜之君が好きなの!だから他の誰かと結婚なんてして欲しくないと言っているの!」


頭がくらくらする。多香子の声が、どこか遠くで響いているように感じられた。宜之が口をあんぐり開けて寛子を見ている。まるでお芝居を見ているようだ、と寛子は思う。そのうちに、何故か意識が遠のいた。


 暫くして目を開けると、宜之が顔を覗き込んでいた。


「寛ちゃん、大丈夫?」

「……だ、大丈夫。わ、私、どうしたの?」


やっぱり風邪をひいていたのだと思った。きっと熱があるに違いない。


「お義姉さん、息するの忘れてたでしょう」


後ろから多香子が声を掛ける。


「酸素不足で気を失ったんですよ。全く、漫画みたいね。世話が焼けるったら……」


すっかり呆れ顔の多香子に、寛子は恥ずかしさで顔を赤くする。自分でも情けないと思った。


「ごめんなさい……」


☆  ☆  ☆


 こうして、寛子は宜之と結婚した。結婚して何年かが過ぎても、この時の騒動を思い出すと、一人で笑うことがある。


 今は、花音という娘にも恵まれ、とても幸せだ。自分にこんな暮らしが待っているなんて、あの頃は想像もできなかった。二度の結婚を経た今だからこそ、この幸せのありがたみがより大きく感じられるのかもしれない。そう思うと、あの結婚も無駄ではなかったとさえ感じる。


 だが、そんな生活の中で、もう思い出すことすら無かった男が殺されたという記事を、新聞で目にした。


 その顔は、寛子の知っていた頃よりずっと窶れて荒んでいたが、紛れもなく二番目の夫、山下岳であった――。

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