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深層の滓(しんそうのおり)  作者: 麗 未生(うるう みお)
第一章 錯綜(さくそう)
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錯綜1-3-⑧:面倒な先輩

「杜子春か。中々いい題材だな。あれは元々、中国の古い話で――確か唐より前、隋だったか。それを芥川龍之介が童話化したんだ」


瑞樹の言葉に反応するかのように、吉岡が口を開いた。


「芥川の話では仙人が登場するが、原作では道士だ。そして、地獄に落ちた杜子春は女に生まれ変わって子を産む。だが道士の命令を守り、一切口をきかない。子が生まれても喜ばず、怒った夫が子を叩き殺してしまう――その瞬間、杜子春は思わず悲鳴を上げてしまうんだ。そこで現実に戻る。杜子春が声を出したことで仙薬は完成せず、道士も彼も仙人にはなれなかった。怒った道士は杜子春を突き放して終わる、そんな話だ」

「……なんか、救いようのない話ね」


瑞樹が声を落として呟く。


「そうか? 人間の本性が垣間見える、良い話だよ。で、君たちはどっちを演じるんだ?」


吉岡は浩太を見やった。


「え、あ、あの……芥川龍之介の方を……」

「なんだ、それはつまらない」

「つまらない?」

「そうだ。芥川の話では、杜子春は地獄で両親が切り裂かれる光景に耐えられず声を上げ、現実に戻る。そして仙人が『もし声を出さなかったら、お前を殺していた』と言い、改心した彼に家と畑を与える……なんとも安易な救いの話だ」

「それでいいじゃない。最初の方は、何だかやりきれないもの」

浩太が言いたかったことを、瑞樹が代弁してくれる。

「だけどな、仙人はそれまでに何度も金を与えている。それを杜子春は、毎回贅沢に使い果たしてるんだ。最後は“仙人になりたい”とまで言い出す。どこまでも、自分のことばかりだ」

「だから、そんな杜子春が改心したのなら、それで――」

「甘いな。結局、杜子春は何も失っていない。放蕩三昧の果てに落ちぶれても、最後には家と畑を手に入れる。そんな都合のいい話、現実にあると思うか?」

「でも、二度も三度も貧乏に落ちて、苦渋は舐めてるじゃない」

「お前……まるでこの話を分かっていないな」


吉岡の目が細くなる。空気がわずかに張り詰めた。


「これは、“世の中はそんなに甘くない”という話なんだ。どれだけ施しても、改心しなかった。そんな杜子春が、ただ“人間として正しいこと”をしただけでご褒美? あり得ない。これは、本来はもっと残酷で、報われない話であるべきなんだ」

「だって、それは……お話だもの。どこかで救いがないと、見る方もしんどくなるわよ」

「幼稚園のお遊戯じゃあるまいし。もっと意義のある演目にするべきだろ。君も、そう思うよな」


吉岡にそう詰め寄られ、浩太は答えに詰まった。そんな深く考えていなかったし、クラスの皆もたぶん同じだ。


「こういう道士が出てくる中国の話ってのは、世の中の理不尽を描いていることが多いんだ。そもそも道士ってのは――」

「ああ、もういい」


話を続けようとする吉岡を、瑞樹がさえぎった。


「吉岡くんの話、聞いてたら終わらないから。上條くん、もう戻っていいわよ」


「あ、は、はい」

助け舟にホッとしながら、生徒会室を出た。吉岡はまだ何か言いたげだったが、瑞樹に封じ込められている。

その様子を、真理子と杏奈が面白がるように笑っていた。たぶん、いつもこうなのだろう。


教室に戻ると、和が待っていた。


「随分遅かったのね。演目、決め直しになったの? 他のクラスと被ってた?」

「あ、いや、大丈夫だったよ。ただ、吉岡先輩が……」

「ああ。あの人に捕まったのね」


和は納得したように頷く。


「君も、捕まったことあるの?」


「ええ。前に、生徒会室に行ったとき。“数字の不思議”って研究課題を出したら、生徒会室に吉岡先輩しかいなくて。その題目を見ただけで、フレーゲとかラッセルとか、延々と語り出して。四十分よ? やっと生徒会長が戻ってきて、帰れたの」


その情景が目に浮かぶようだった。あの調子で語られたら、確かに逃げ場がない。


「もしかして、それで題材やめようって言ったの?」


「そうよ。生徒会長が『この研究は奥が深すぎるわよ』って。それに、『吉岡先輩が最も好きな分野だから、相当絡んでくると思うけど大丈夫?』とも言われたし」


そりゃ大変だ、と浩太は思った。和の判断は正しかった。あれでは、何も進まない。


「僕は今日、“杜子春の論理”を聞かされた」

浩太がそう言うと、和はふっと笑った。

「想像できるわ」


その笑顔に、浩太は少しドキッとした。きっと、日頃あまり笑わないせいだ。


「なに? 珍しいものを見るような顔して」

「あ、あの……深見さんって、笑うんだなって……」


その言葉に、和は一瞬、目を見開いた。


「わ、私だって。面白ければ、笑うわよ」

「そ、そりゃそうだよね」


浩太が頷くと、和は深くため息をついた。


「まったく……上條くん、本当に思い出さないのね」

「え?」


和は眼鏡を外し、じっと浩太を見つめる。――まただ、と浩太は思う。この行為には、やはり何か、意味があるのだろうか。

お読みいただきありがとうございます。

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