遠因2-2-⑧:再会とすれ違う想い――谷原宜之との邂逅
何を言われてもニコニコと応じるおっとりした寛子の姿に、周囲も少しずつ心を和らげ、やがて一年も経つ頃にはすっかり馴染んでいた。
「まったく、西島さんは本当にお嬢様なんだから」
今でも同僚たちはそう言う。だが寛子にとっては、こうして皆と共に働ける日々が不思議と楽しかった。最初の頃にはその言葉には棘が含まれていたのだが、あまりにもその事に気づかず過ごす寛子に、周りがバカらしく感じたのかもしれない。
「私って、そんなにずれています?」
「うん、ずれてるずれてる。まあ、世間に疎いっていうのかしらね」
「でも、それが西島さんのいいところでもあるのよ」
そんなやり取りに、寛子は頬を染めながらも、どこか救われたような気持ちになった。
「そうそう、何を言っても暖簾に腕押しなんだから」
「嫌味を言う張り合いもない」
そんな冗談に、みんなはどっと笑い声をあげた。寛子はキョトンとした顔で周りを見渡す。自分だけ取り残されたようで、何がおかしいのか分からない。けれどこうした会話が繰り返されるうちに、入店当初に向けられていた言葉が、実は嫌味だったのだとようやく気付いたのだ。
その日の夕方、仕事を終えて帰宅すると、玄関には見覚えのない男物の靴が並んでいた。
(お客さんかしら?)
そう思いながら奥へ進むと、懐かしい顔が目に飛び込んできた。近所の和菓子屋の息子、谷原宜之であった。確か、京都の大きな和菓子店に勤めていたはずだ。
「寛ちゃん、久しぶり」
「宜君!里帰りなの?」
宜之は弟と同い年で、子どもの頃は三人でよく一緒に遊んだ仲だった。
「親父さん、倒れたんだって。それで京都の店を辞めて帰ってきたんだ」
弟がそう説明すると、寛子は思わず身を乗り出す。
「辞めたの?じゃあ、お家の和菓子屋さんを継ぐの?」
「うん、そのつもり。もともと継ぐつもりではいたんだ。ただ、親父が元気なうちは余所で修業して腕を磨こうと思っていたから」
「そうなのね……。でもお父さん、悪いの?」
「うーん、今すぐどうというわけじゃないけど……なんだか弱気になっちゃって」
「そうなの。心配ね」
「それより、まさか寛ちゃんに会えるとは思わなかったよ。もうお嫁に行って、幸せに暮らしていると思っていたから」
その言葉に、居間にいた家族は一瞬顔を見合わせた。宜之は、まさか寛子が二度も結婚に失敗しているとは知る由もない。
「しかも、今はスーパーで働いているんだって?」
「そうなのよ、この子ったら、何もそんなところでねえ」
母が同調するように口を挟む。すると弟の妻・多香子が明るく笑って言った。
「あら、でも私、ちょっと見直しましたよ。絶対すぐ辞めると思っていたのに、もう一年も続いているんですもの」
彼女は何でもはっきり言う性格で、母とはしばしば衝突しているようだ。だが寛子はそんな義妹を案外嫌いではなかった。むしろ少し羨ましくさえ思う。寛子は何事も胸に溜め込み、何度も考え直してからでないと言葉にできないからだ。しかも、出戻ってきた寛子に対して彼女は嫌な顔ひとつせずに迎えてくれた。
「そうだよね。僕も聞いてびっくりした。寛ちゃんにレジなんてできるの?って」
「失礼ね、ちゃんと働いているわよ」
「周りから浮いていない?寛ちゃんってちょっと浮世離れしているところがあるからさ」
「そんなことないわ。みんな優しいのよ。私がお嬢様だからって、気を遣ってくれているし」
寛子が自信ありげに言うと、弟夫婦と宜之は思わず顔を見合わせた。
「みんなに“お嬢様”って言われているの?」
「ええ、そうよ」
「お義姉さん……それって」
多香子が呆れたように眉をひそめる。
「姉ちゃん、それ、嫌味言われているんじゃないの?」
「あ……そうだったみたい。でも私、褒められているんだと思っていたから」
その言葉に宜之が思わず吹き出す。
「ホント、相変わらずだね。それなら大丈夫だ。その調子じゃ、周りも調子が狂っちゃっただろうしね」
彼が可笑しそうに笑うと、みんなもつられて笑った。寛子だけが、何がそんなに可笑しいのか分からず首を傾げていた。
「案外、寛ちゃんみたいな人が、どこに行っても生きていけるのかもな」
「そういえば宜之、お前、昔から姉ちゃんのファンだったよな」
「はっ……な、何言ってるんだ!」
宜之は顔を赤らめ、ぶんぶんと首を横に振った。
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