錯綜1-3-⑦:日常とあの子の行く道
家に着くと、リビングには父も祖父も舞奈も揃っていた。
「お帰り、浩太」
「ただいま、おじいちゃん。これ、お土産にもらったケーキ」
浩太は袋から箱を取り出し、差し出した。
「賞味期限、今日中だって」
「ケーキ!」
舞奈がぱっと振り向き、嬉しそうな声を上げる。こういうときの舞奈は、いつもの生意気な感じが消え、普通の女の子だと感じる。
「じゃあ、さっそくいただこう。コーヒーか紅茶でも入れようかね」
「父さん、コーヒーなら僕が淹れるよ」
そう言いながら、父も立ち上がる。
「お、そうか。じゃ、舞奈は何を飲む?」
「私、オレンジジュース」
父が席を立ったのに対し、舞奈は座ったままだった。
「お前、ジュースくらい自分で入れろよ」
「だっておじいちゃん、もう冷蔵庫の前にいるじゃない。私が立ったって邪魔になるだけ。お父さんもあっちに行ったし」
ああ言えばこう言う。やっぱり生意気だ。
「それよりお兄ちゃん、朝陽君の家に行ってきたんでしょう?」
「そうだけど?」
「前に朝陽君のお姉さんがカンフーやってるって言ってたじゃない」
「うん。それが?」
「私も、やってみようかなって思って」
「お前が? なんでまた?」
「この前、友達と映画を観たの。すっごく格好良かった」
「映画って?」
「見てないの? 遅れてる〜。ジャッキー・チェンの『ベスト・キッド』」
「ああ、あれ。まだ見てないな」
「なんか、あれ見たら急にやりたくなっちゃった」
それじゃ、咲琴と同じ動機だ。でも、ベスト・キッドってカンフーじゃなくて空手だったような……と思ったが、そこは突っ込まない。ジャッキー・チェンが出ているのはリメイク版だから、カンフーになってるのかもしれない。浩太は古い方の『ベスト・キッド』を子供の頃、父と一緒にビデオで観たことがある。あれは間違いなく空手だったと記憶しているが……。
「でね、朝陽君のお姉さんのこと、ふと思い出したの」
「でもな、そんな簡単じゃないぞ。きっと練習も厳しいし。お前には無理だよ」
「やってみなきゃわからないじゃない。学校にやりたいクラブもないし。朝陽君のお姉さんも確か中学から始めたって言ってたし。今度、どんな感じか聞いておいてよ」
「そりゃまあ、いいけど……」
(強くなったら、今以上に生意気になるんじゃないか)
浩太はそう内心でつぶやく。
「これからの女の子は、もっと強くならなきゃいけないと思うのよ」
一人前の口を利く舞奈に、浩太は(それ以上強くなってどうするんだ)とまたしても心の中で呟く。
「あ、そうだ」
コーヒーを淹れ終えた父が、ふと思い出したように口を開いた。
「依智伽ちゃん、養子縁組が決まったそうだよ」
「え、そうなの?」
「ああ。今日、施設の園長先生から連絡があってね。なんていうか……ちょっとホッとした」
その言葉に、浩太もどこかで肩の荷が下りた気がした。依智伽がどんな家の養子になったのかは気になる。でも、きっとそれは知らない方がいいのだ。彼女には彼女の人生がある。ただ、大人びた彼女の笑がふっと頭を過ぎる。梗子とよく似たあの笑顔。でも梗子よりもずっと、冷たいあの目。
そして翌日、ホームルームが終わると、クラスのムードは一変した。学園祭の準備一色だ。開催は十一月初旬、三日間。あと一ヶ月もない。しかし、その前には中間テストが控えている。準備と勉強を両立させなければならない。
クラブ活動のある生徒はクラブの出し物が優先だが、だからといってクラスの出し物を放棄できるわけではない。想像以上に、高校の行事は過酷だった。
この学校だけでなく、多くの高校がそうなのだろうが、ほとんどの準備を生徒たちが行う。実行委員会を兼任する生徒会は、毎日放課後に残り、各学年・クラスの出し物や屋台の内容をチェックし、重複があれば変更を指示する。準備がギリギリのため、不満の声も上がるが、生徒会長の譲原真理子はそれを巧みに捌いていた。
浩太はクラス委員長なので、決まった内容を逐一生徒会に報告する役目を担っている。生徒会室に行くと、真理子の他に柏木杏奈、藍田瑞樹、そして副会長の吉岡晃一がいた。
吉岡は成績トップ争いを真理子と繰り広げる存在で、生徒の間では一目置かれていた。ただ、少し変わっているという噂もある。浩太は直接話したことはないが、生徒会室に足を運ぶたび、彼にはどこか異質な雰囲気が漂っていると感じる。
杏奈と瑞樹は生徒会役員ではないが、なぜか常にそこにいる。生徒会長の真理子といつも一緒だというのは間違いないようだ。それに誰もそれに文句は言わない。手伝ってくれているからだろうが、それ以上の理由があるようにも思える。真理子にぶら下がっている取り巻き、という感じでもない。各々に自分たちの役目をしている、そんな風に感じる。彼女たちもまた、周囲を惹きつける何かを持っていた。
「ご苦労さま。一年B組の上條君、だったわね」
瑞樹が、落ち着いた感じで浩太が持ってきた計画書を受け取る。
「はい」
「へえ、君のところは演劇に決まったのね。ふむふむ、『杜子春』か。芥川龍之介ね。大丈夫、どことも被っていないわ」
「よかった……」
瑞樹の言葉に、浩太は胸をなで下ろした。演目は意見が割れて、やっとのことで決まったものだ。もしここで変更となったら、また一から練り直さなければならなかった。それはさすがに煩わしい。
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