遠因2-2-②:告白の余波――沈黙で結ばれる取引
「そうではありません。本当にあなたは何も悪くないのです。全ては……私の……」
声を震わせ、しばし沈黙した後、ようやく続けた。
「私の、その……好みの問題です」
「好み……?」
寛子の胸にざわめきが広がる。寛子が好みのタイプではなかったということなのか。親に押し切られて嫌々、嫌いなタイプの女と結婚したということなのか。思考が渦を巻いた。
そして彼は、深く息を吐き出すようにして告白した。
「私は……その、私は男色なのです」
――その言葉の意味が、すぐには寛子の頭に入ってこなかった。
(暖……色?)
彼は何を言っているのだろう。部屋の灯りの色の話?意味が分からない。そう首をかしげた刹那、音もなく脳裏で文字が裏返る。“暖色”が“男色”に置き換わり、ことばの輪郭だけが鋭くなって胸に突き刺さった。
「だんしょくって……まさか、あの……」
(お……男……?)
「済みません。このことは親も、他の家族も、誰も知りません」
頭が真っ白になるとは、この状態のことを言うのだと思った。声が出ない。いいえ、考えることすらうまくできない。よりによって、結婚した相手が、男性を好きだなんて。想像の外側にあった現実が、容赦なく足許をさらう。
「あ、あの……大丈夫ですか」
呆然とする寛子を、彼はそっと覗き込むように見つめ、言葉を継いだ。
「それで、お願いがあるのですが……このことは、誰にも言わないでほしいのです。もし知られたら、両親はどれほどショックを受けるか……」
(私だって十分にショックよ)
胸の内で思う。だが、その言葉は喉の奥でほどけ、音にならなかった。ただまだまだ、そういうことに偏見が多い時代。自分達の親の世代ならなおさらだ。彼が誰にも言えなかった気持ちはよく分かる。
「できれば、このまま結婚生活を続けていただけませんでしょうか。そうすれば両親も安心します。もちろん、あなたには指一本触れません。あなたは……ずっと綺麗なままでいてくださればいいのです」
「綺麗なままって、それでは子どもはどうするのですか。このままでは子は作れません。お義母様は、後継ぎが生まれるのを心待ちにしていらっしゃいます」
「それは……その、いつか養子でも貰うということで。それに、あなたにもし好きな人ができれば、自由に会っていただいて構いません。このまま結婚生活を続けていれば、あなたのご実家への援助も続けられますし、決して悪い話ではないと思いますが」
「援助……?」
「もしかして、ご存じなかったのですか?この結婚には、そういう意味もあったのですよ」
「私は……全く……」
「そうでしたか。それは大変申し訳ないことを致しました。てっきり、あなたもご存じのことかと思っていました」
夫は少し言いにくそうに言葉を切ったが、そのまま続けた。
「僕には、世間体や親の手前、結婚しなくてはいけない事情がある。あなたには、家のために嫁がなければならない事情がある。そういう前提なら、お互いにとって悪くない話だと思い、縁談を進めて貰ったのです」
家がそんなに大変だなんて、少しも知らなかった。両親は何も言わなかった。いえ、言えなかったのか。まして、そんな目論見があって縁談を勧めていたなんて。私の幸せのために選んでくれた人だと信じていたのに。足元の畳が、急に薄く、冷たく感じられる。
「ならば……どうされますか?」
「どう……?」
「ご実家にお帰りになりますか?でも、もしそうであっても、誠に勝手な言い分だとは重々承知していますが、その理由が私の癖のせいだとは、決して口外しないでいただきたいのです」
いきなりそんなことを言われても、思考はうまく形を取ってくれない。もちろん、男色の夫と“普通の”夫婦生活が営めるはずもない。続けられるわけもない。けれど、私が何の説明もなく実家に戻れば、この家からの援助はおそらく打ち切られる。そうなったら、両親は、店は、どうなる。秤にかけるには、どれも重たすぎた。
「少し……考えさせてください」
「もちろん。十分にお考えください」
私の返事に、彼はほっと力を抜いたように安堵の表情を見せた。
「それでは、私はもう休ませていただきますね。明日も朝が早いですから」
そう言って彼は、自分の布団に横になり、ほどなく規則的な寝息を立て始めた。
(えっと……?)
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