遠因2-1-㉑:サイコパスの影を匂わせる女
「警察に、目撃証言を求められたらどうしますか」
「適当に答える」
梗子ニヤッと笑って即答した。
「適当?」
怒りが頭の中で泡立つ。必死に押し殺しながらも、鳴海の声はわずかに震えていた。
「それでは、殺人犯を野放しにする事になるのでは?」
唇が勝手に動き、言葉が途切れた。
「嫌だ、先生。なんだかムキになってません?だいたいどうだってよくないですか?私、自分が死ぬこともどうでもいいし、まして他人の死なんて何の興味もないもの」
梗子は楽しげに目を細める。
「それにこれは心理テストなんでしょう?実際の話じゃないんだし。実際にそうなったら、私だって“市民の義務”くらい果たしますよ」
頬に手を当て、愉快そうに答える梗子。
「さあ、先生。次の質問は?私、何でも答えますよ」
梗子は目撃証言を“適当に”したのだ。見ていないとは言わず、しかし事実を語ってもいない。あの犯人像の似顔絵で探しても誰も出てこない。全ては嘘っぱち。梗子はそれを、どこか愉快そうに抱えている。
「先生?」
「あ、そうそう、次の質問はですね」
頭の中は梗子の吐いた嘘のせいで朱音を殺した犯人が今もどこかでのうのうと暮らしているという思いがぐるぐると回っていたが鳴海はそれを表に出さないように堪えた。梗子はどう見ても普通の人間だ。仕事もちゃんとしている、子供も一応は育てている。
変わった素振りがあるわけではない、人当りも悪いわけではない。ただ自分からあまり人と関わらないようにしている節はある。人付き合いが悪いというより、人に合わすのが面倒なのかもしれない。だが執着心は強い、と言ってもそれを表に出す事は無い。
どちらかと言えば優等生を演じるタイプだ。だから目撃証言にも答えた。見ていないとは言わなかった、でも事実を語ってはいない。それを何処か面白がっている。
心の奥に、ひとつの言葉が浮かんだ。――サイコパス。
電話越しにその言葉を口にすると、桃香が聞き返した。帰宅して夕飯を終えた時に桃香から電話がかかってきたのだ。そして鳴海は今日の梗子とのやり取りを話しているところだ。
「サイコパス?それって精神障害ってこと?」
「あ、うーん……まだ、そうとまでは言い切れないけど……」
鳴海は唇を噛む。
「ただ、普通の人間とは少し違う。そう感じるんだ」
「普通と違うって?」
電話の向こうで桃香が声を潜める。
「うん……」
鳴海は少し言葉を選んでから続けた。
「何て言うのかな。人との共感能力が、まるで欠けている感じを受けたんだ。それと、特に妙だと思ったのは、彼女には恐怖心が存在していないってことかな」
「恐怖心がない?それって、怖いものが一切ないって意味?」
「そう、それがサイコパスの特徴」
鳴海は小さく頷いた。
「もし自分が殺される状況に追い込まれても、恐怖が湧かない。だから人の痛みも理解できない。むしろ、そういうものを見て楽しむ傾向すらあるように思える」
「事件のことも聞いたの?」
「いや、そんな具体的な質問はできない」
声を潜め、鳴海は続けた。
「でも、あの目撃証言は恐らく嘘だと思う」
「嘘?それって彼女が犯人を見てないってこと?」
「ううん、見たけど事実は語ってない」
鳴海は考え込恵奈が話す。
「多分だけど……犯人の心情に“共感”した。いや、“同調”したって言った方が正しいのかもしれない」
「同調? どういうこと?さっぱり分からないわ」
桃香の声が苛立ちを含む。
「じゃあ三芳梗子は、その犯人と顔見知りだったってこと?」
「それは分からない。でも、顔見知りでも、そうでなくても関係ないんだ。彼女にとっては」
「全く見ず知らずの人を助けた?それも殺人犯かもしれない人間を?」
「殺人犯だからだよ」
鳴海は低く言った。
「彼女にはその男が“一目でどういう人間か”分かった。だから、何も言わなかったんだ」
受話器の向こうがしばし沈黙し、やがて桃香がため息まじりに呟く。
「それが、サイコパス?」
「まだ断定できないけど、そういう傾向はあると思う」
鳴海は苦々しく答える。
「子供のことも、彼女にはただの“モノ”でしかないんじゃないかな」
「それって子供は大丈夫なの?」
「安全とは言えないかもだけど、彼女は自分の立場をよく理解している。だから、それを脅かすようなことはしないと思う。ただ……愛情が欠落しているから、子供にとって良い環境だとは言えない」
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