遠因2-1-⑳:殺人者に共感する女の心理
「どうしてそんなことに?」
「子どもの父親ですよ。別れてくれなくて、必死に逃げてたんですけど、見つかっちゃってね。でも、このお陰で捕まってくれたから、やっと離れられたんです」
「随分、怖い目に遭ったんですね」
「それがね」
梗子はけろりとした顔で言う。
「ぜ~んぜん、怖くなかったんですよ」
まるで面白い体験かのようにけらけらと愉快そうに嗤いながら、梗子は手をフリフリと払うようにする。
「まあ、あの男に人を殺すほどの度胸なんてないと思ってたし。でもお酒も入ってたから、つい煽りすぎちゃったのかも」
「煽りすぎた?」
鳴海が問い返すと、梗子は小さく肩を竦めてみせた。まさか自分からわざと刃を向けさせた?命を失う可能性があったのに?鳴海の胸の奥で疑問が渦巻く。
「まあ、あの男のことは別ですね」
梗子は話を切り替える。
「先生が聞いているのは“ほんとの殺人鬼”に出会ったら、どうするか?ですよね?あの男はそんな大それた男ではなかったし、怖くもなんともなかったから」
「あ、ええ……そうです……ね」
鳴海は少し押され気味に頷く。
「どうでしょうねえ。私、自分がどうするか全然想像できないんです。普通なら“殺されるかも”って思ったら、怖いって感じるんでしょうね。でも、私にはそれがよく分からないの」
「分からない?」
「なんかね、むしろ“それならそれでいいや”って思いそう」
「殺されてもいいと?」
「それもまた、そういう運命だったのかなって」
梗子は淡々と、まるで天気の話でもしているように言う。
「そんな風に諦められるものなんですか?」
鳴海は信じられない思いで問い返した。
「さあ?実際にその場になったら、私もジタバタ逃げるかもしれません」
梗子は肩を揺らして笑った。
「だって、本当に想像できないんですもの。でもきっと私、そうなっても笑いながら死んでいく気がします」
その目には一片の恐怖もない。何か得体のしれない者と対峙しているような、ゾワッとした感覚が全身を駆け抜ける。
「では、もし、殺人現場に遭遇したらどうします?」
「多分、どうもしませんね」
梗子は間髪入れず答えた。
「誰が誰を殺したって、私には関係ないもの」
「警察に通報とかは?」
梗子は、まるでくだらないことを聞かれたというように首を横に振った。
「そんな面倒なこと、わざわざしませんよ」
「でももしかしたら、目撃者として狙われるかもしれない。そうなる前に警察に通報して、捕まえてもらった方がいいでしょう」
「ああ、先生はそう思うんだ。きっとそれが“普通”なんでしょうね」
梗子は小首をかしげ、唇の端にぞくりとする笑みを浮かべた。
「でも、私なら、その殺人者に、共感しちゃうかもしれない」
「共感?」
鳴海が眉をひそめると、梗子は唇を艶めかしく歪めた。
「そう。人を殺すほどの強い思いって、なんだかゾクゾクしません?」
彼女の声は甘ったるいのに、どこか冷ややかだった。
「ねえ先生、人を殺した時って、どんな感じなのかしら」
「それは私には分かりようもないわ」
鳴海は思わず視線を逸らす。
「ですよね」
梗子はくすりと笑った。
「先生って、本当に“普通”だから」
挑発するような声音に、鳴海の胸がざらつく。
「でも、仮にですよ」
鳴海は冷静さを保ちながら次の質問をする。
「もしそういう場面に遭遇して、三芳さんが“共感”したとしても、相手にはあなたがそんな風に感じているなんて分からないはずです。マズい所を見られたと、あなたに襲いかかってくるかもしれない。それでも恐怖は感じないんですか?」
梗子は小さく首を振った。
「多分、分かると思うんです」
「分かる?」
「ええ、なんとなくですけど」
彼女の瞳が宙を泳ぐ。その表情は、記憶を呼び戻しているように見える。
「共感ってね、テレパシーみたいなものじゃないかしら。もし本当にそういう場面になったら――同類だって分かる気がします」
「そしたら殺されないと?」
「さあ、ね」
言葉を切る梗子。その一瞬、鳴海の胸に嫌な予感が走る。
(まさか……朱音を殺した犯人に遭遇した時のことを思い返している?)
梗子はその犯人に共感したという事か。だから本当の事を言わなかった、そんな事が果たしてあり得るのか。常人なら到底考えられない可能性。
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