遠因2-1-⑭:桃香の心の影ーお嬢様は孤独
「人の心の中まで透視できるわけじゃない。時間をかけてたくさん話し、少しずつ相手の心を開かせて、その中に抱えているものを引き出していく。そういう地道な作業の積み重ねが必要なの」
「何か、まどろっこしいわね」
桃香はため息交じりに言った。
「それってあなたが、まだペーペーの新米だからじゃないの?」
カチンと頭の中で音がする。全く、ストレートすぎる。
「あなたねえ、どうしてそんな物言いしか出来ないの」
鳴海は受話器を握りしめながら苛立ちを隠さずに言った。
「そんなんじゃ、周り中が敵だらけになるわよ。いつまでもお嬢様ぶって、社会に通用すると思っているの?お嬢様でいたいなら、ずっと家の中で鎮座していればいいのに。どうせ無理に働く必要なんてないんでしょう」
吐き出すような言葉に、電話口の向こうが静まり返った。電話の向こうは雑音すらなく、沈黙が妙に重く伸びていった。言い過ぎたかもしれない。鳴海は心のどこかでそう感じ、胸がざわつく。顔が見えないから、相手がどんな表情をしているのか想像できず、余計に不安になる。鳴海が何か言葉を継ごうとした瞬間、ようやく桃香の声が聞こえてきた。
「……そんなこと、分かっているわよ」
「え?」
「みんな、私の家のことを知ったら近寄っても来ないの。お嬢様って分かるとお高くとまってると思われがちなのよ、いたって普通に接していてもね」
否、完全にお高くとまっているとしか思えないのだが、と鳴海は心の中で呟く。でもそんな桃香の声は、どこか遠い響きを持っていた。
「近寄ってくる人なんて、下心のある人ばっかり。うちの家のコネが欲しいとかね。大学の頃も、ずっとそうだったの。そんなことばっかり続けば、誰とも仲良くなんてなれないし」
「……新珠さんって、友達いないの?」
「いないわよ」
桃香はあっさりと告げる。
「取り巻きはいるけどね。でも別に困っていないわ。だから同情なんて要らない」
「同情する気はないけど」
「ふふっ、やっぱりあなたならそう言うと思った」
桃香の声に、ほんの僅か笑みが混じった。
「今思えば、後にも先にも、私に正面からはっきり物を言った人って島崎さんくらいだった。だから気になるのかもしれないのよ。結局、卒業まであまり喋ることはなかったけれど。いつも心の奥に、あの人の存在があった」
言葉を切り、彼女は小さく吐息を漏らす。
「もしかしたら、今ならもっと違う形で話せたのかもしれないのに……って、思うわ」
お金持ちで、お嬢様で、何不自由なく見える彼女にも、彼女なりの孤独や苦しみがあるのだ。不用意な発言をしてしまったことを少し後悔する。相手の言葉に反射的に反発してしまうなんて、心療内科医として失格だ。
「ごめん。さっきはちょっと言い過ぎた」
「いいのよ、別に謝らなくても。本当のことなんだから」
桃香は平然とした声で言う。
「実際、職場でも浮いているもの。お金持ちのお嬢様が道楽で仕事しているって、陰でそう思っている人は多いわ」
「あなたにも悩みはあるのね」
「馬鹿なこと言わないで。私に悩みなんてないわ」
桃香は強い口調で打ち消す。
「言ったでしょう?私は生まれながらのお嬢様なのよ。だから周りから“お嬢様”って思われるのは当たり前のこと。むしろ、そこらの平民の子と一緒に扱われるほうが、よっぽど腹が立つわ」
きっと強がりだ。鳴海はそう思ったが、同時に「これが新珠桃香という人間なのだ」と納得する気持ちもあった。そして、案外嫌いではない自分に気づき、苦笑したくなった。
「強いわね、新珠さん」
「当たり前じゃない。私を誰だと思っているの?そんじょそこらのお嬢様とは格が違うんだから」
声に再び張りが戻る。
「って、そんなことより話を本題に戻して。結局まだ何も分かっていないんでしょう?三芳梗子って人のこと」
「分からないわよ」
鳴海は小さく息を吐いた。
「でも……興味深い人物であることは確かよ」
「興味って?」
「うまく言葉にできないけれど、独特の雰囲気を持っているの。ああいう人が未婚の母をしているって、ちょっと不思議なのよね。子育てに向いているタイプには見えないから」
「ふーん……未婚の母、ね」
「調書には目撃者の家族構成って記載されていないの?」
「だから言ったでしょ。調書は見てないって。終わった事件ならともかく、まだ捜査中の調書なんて担当検事でもない私が見られるわけないんだから」
「あなたの美貌を持ってしても?」
「うるさいわね」
お読みいただきありがとうございます。
いいね・評価・ブックマーク&感想コメントなど頂けましたら大変励みになります。
今後ともよろしくお願いします。




