遠因2-1-⑨:朱音の残した影と、揺れる母親の沈黙
その言い方には、どこか不自然な硬さがあった。まるで自分自身に言い聞かせているように聞こえる。鳴海は沈黙の中、彼女の仕草を観察する。さっきまでよりも瞬きの回数が増えている。視線も落ち着かず、時折、右上へと泳ぐ。これは心療内科で学んだ「実際にはなかったことを言う人」にありがちな仕草の一つだ。一概には断定できないが隠し子がある、或いは嘘をついている、ということである。
鳴海は静かに言葉を選んだ。
「おばさん、私、今は心療内科を専門にしています。朱音がこんなことになって……本当にお辛いことと思います。心の奥にあるものを吐き出すことで、気持ちが少し軽くなることもあります」
朱音の母は目を伏せたまま動かない。
「朱音やお孫さんを失った悲しみが消えることは絶対にないでしょう。でも、もし心にある重荷を下ろせるのなら……私は力になりたい。そう思っています」
「鳴海ちゃん……」
朱音の母の唇が震えた。
「それに、秘密は絶対に守ります。安心してください」
鳴海は、できる限り穏やかな声で付け加えた。しかし、朱音の母は暫く鳴海を見つめた後、激しく首を横に振った。
「いいえ……いいえ!何も、何もないわ。朱音は……朱音はずっと、幸せだった……!」
その声は震え、握りしめられた両の拳には白く力がこもっていた。鳴海には、その姿が「何もない」と言いながら、誰にも言えない苦しみを抱えている人間の姿にしか見えなかった。
「朱音は……幸せだったんですね……」
鳴海は、自分自身に言い聞かせるように朱音の母と同じ言葉を繰り返した。八年間という長い歳月、音信不通のまま過ごしてきた。それでも、その間、朱音が幸せに暮らしていたのなら、それがせめてもの救いに思えた。
「ええ、それは本当よ」
朱音の母は力強く頷きながら、遠い記憶を辿るように言葉を紡いだ。
「朱音は公洋さんと一緒になって、本当に幸せだったの。公洋さんはね、朱音をとても大事にしてくれたのよ」
本音を言うと、高校の時の朱音を知っている鳴海は朱音が男性と暮らすということすら信じられなかったのだ。でも目の前の朱音の写真から溢れている笑顔は紛れもなく本物の笑顔だ。そして今、朱音の母の言葉を聞いて、一瞬、家族と共に陽だまりの中で笑っている朱音の姿が見えたような気がした。
「本当のことを言うと、最初は心配していたの。二人とも若すぎたから。公洋さんはまだ就職したばかりで、社会に出たばかりの若者だったし……。本当に大丈夫なのかしらって。でもね、あの子、莉子が生まれた時、私はどんなに嬉しかったか。ああ、これでやっと……」
「やっと?」
鳴海が首を傾げると、朱音の母ははっとして口をつぐみ、慌てて取り繕うように微笑んだ。何かが引っ掛かる。莉子というのは殺された下の子の名前だ。
「あ、いえ……何でもないの。今日は本当にありがとう。久しぶりに鳴海ちゃんに会えて、朱音もきっと喜んでいると思うわ」
「いえ……。もっと早く来るべきでした。そうしたら……」
鳴海は言葉を濁す。
「それは……でも、会わなくなっても朱音にとって鳴海ちゃんはずっと友達だったのよ。きっと、今でもね」
「ありがとうございます。私にとっても朱音は、永遠に友達です。ずっと、ずっと」
「そう言ってくれると……嬉しいわ」
朱音の母は目頭を拭うように指先を目元へ運んだ。その仕草には、込み上げる涙を必死で抑えようとする強さと、抑えきれない悲しみが同居していた。少し間をおいて、鳴海は問いかける。
「あの……寧々ちゃんは、いずれお父さんが引き取られるんですよね?」
「ええ……その予定なんだけれどね。公洋さんの住まいさえ決まれば。でも……」
「でも?」
「何かあるんですか?」
「……あ、ううん」
朱音の母は小さく首を振る。しかし、その声はどこか曖昧だった。
「本当はね、私たちが育てたいと思っているの。男の人が一人で子供を育てるなんて大変でしょう?それに、公洋さんはまだ若いし……これからまた好きな人だってできるかもしれない。そうなったら、あの人にとって寧々は……足枷になるわ」
「足枷……?」
鳴海は思わず聞き返した。
「あ、ほら、もし公洋さんが再婚するようなことになったら、相手の人にとって寧々は自分の子じゃないんだから……」
言っていることは理解できた。しかし、その言葉の選び方が引っかかる。鳴海には、朱音の母の口ぶりが歯切れ悪く、どこか「本音を隠している」ように聞こえた。
「そうですね……」
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