遠因1-3-⑭:ざわつく胸の内
「いい先生ね」
「うん」
「一年のときの先生も良かったけど、凰琳には素晴らしい先生が揃ってるのね。さすがに名門校と言われるだけのことはあるわね」
「うん……なんか今日の先生を見てたら、私も先生になりたいなって思った」
「あら、裁判官はやめるの?」
「うーん。やっぱり裁判官かな。なんか迷っちゃう」
「そうね、まだ先は長いんだし、本当にやりたいことをゆっくり考えればいいわ」
「うん」
そうして数日が過ぎた。朱音はクラスの皆とも少しずつ馴染んできたが、桃香とはあれ以来一度も口を利いていない。何となく敵対視されているような気もするが、教師の言葉が効いたのかあれ以来、何も言ってこない。それでも実際、朱音は桃香に成績で負けている。桃香は口だけでなく、それなりに相当努力しているのだろう。負けていられない、そう思った。
公洋のおかげか、中間試験では六位にまで上がった。桃香が何位なのかは知らなかったが、様子をうかがうと、彼女は唇を噛んでいた。後日、クラスメイトから桃香の成績が五位だったと聞いた。一年までは三位以内が当たり前だったらしい。だからあんなに悔しそうな顔をしていたのか、と思った。
それでも朱音は桃香に負けている。例え一番差でも負けは負けだ。もっと頑張らねば。初めての中間試験の頃と比べれば雲泥の差で上がっているのに、まだ足りないと思ってしまう。上には上がいる。
一番になどなれなくてもいいと思っていたのは、間違いだった。朱音はやはり一番になりたかった。鳴海は八位で、また朱音に負けたと悔しがったが、クラブの夏のコンクール奏者に選ばれたと喜んでいた。期末試験では中間より少し成績が落ちたが、部活練習に時間を割いたせいだろう。鳴海は成績よりも、今はコンクールへの思いでいっぱいのようだった。何となく、そんな風に打ち込めるものがあるのを羨ましいとも思う。
朱音は期末では順調に成績を上げ、桃香も少しほっとした様子を見せていたから、中間よりは良かったのだろう。しかし、口を利くことはないまま、夏休みを迎えた。
そして出向いた鳴海のコンクール会場で、朱音は鳴海の兄と一緒にいた山下岳と顔を合わせた。彼は朱音を見るなり、親しげに声を掛けてきた。
「やあ、久しぶりだね」
鳴海の兄とは別の大学に進学したと聞いていたが、今も付き合いはあるのだろうか。大学に入ってからは連絡を取っていないと聞いていたはずだが。
「今度、こいつの大学と練習試合をすることになったんだ。それで久しぶりに連絡して今日、鳴海のコンクールがあるって話したら、来てくれるって言うんで」
一緒にいた鳴海の兄が説明する。
「……こんにちは」
「朱音ちゃんは全然変わらないね。相変わらず幼子のようだ」
岳の言葉は妙に纏わりつく響きを持っていた。
鳴海の兄が席を取ってくれていたため、朱音は岳の隣に座ることになった。演奏中に話しかけられることはなかったが、時折、その視線が朱音に向けられている気がした。極力、視線を壇上に集中させたが、背筋にぞわりとした感覚がまとわりつく。得体の知れない不快感を、どうしても振り払えなかった。
鳴海たちは二位に入賞した。朱音はすごいと思ったが、鳴海は少し悔しそうだ。やはり優勝を狙っていたのだろう。「次は絶対一位」と言っていた。
その後、鳴海の兄がご馳走をしてくれることになり、岳も同行することになった。朱音は少し躊躇したが、変に意識していると思われるのも嫌で、何も言わずついていった。
「ねえねえ、大学行って山下君は彼女できた? 相変わらずモテるんでしょう」
鳴海が笑顔で聞くと、岳は朱音に視線を走らせ、ゆっくりと口を開いた。
「いや、そういうことはないよ」
「何?まだ女性嫌いのままなの?」
「別に女性嫌いってわけじゃない」
「そうなの?だって前は全然興味ないって言ってたじゃない」
「それは、僕の周りにそういう対象の女性が今までいなかったからだよ」
「え?じゃあ、今はそういう人が現れたってこと?」
「そうだね……自分の好みを認識したってところかな」
「そうなの?どんな人なの?お兄ちゃん知ってるの?」
鳴海が身を乗り出す。
「いや、俺も初耳だけど……何だよ、付き合ってる相手がいるのか?」
大祐も興味津々だ。
「そういうわけじゃない。ただ、自分の好みを知っただけさ」
「山下君の好みって?」
「それは秘密」
「でも、そういう女性に出会ったんでしょ?」
「まあ、そういうことかな」
「えーなんか意味深。大学で出会ったの?」
「そうじゃない」
岳は妙な含み笑いを浮かべ、朱音を見た。朱音は思わず視線を逸らす。胸の奥に、得体のしれない居心地の悪さが広がった。
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