遠因1-3-⑤:今まで気づかなかった自分自身の一面
家に帰ると、玄関の前で母が隣の主婦と立ち話をしていた。回覧板を持ってきたようだ。
「あら、おかえり、朱音ちゃん」
「こんにちは」
「そうそう、朱音ちゃん、凰琳女学院なんですってね。すごいわねえ。うちの珠樹、羨ましがってたわよ」
珠樹とは隣家の娘で、今年中学に入ったばかりだ。
「別に、すごくなんかないです」
今日返されたテストの結果が頭から離れず、思わず素っ気ないというか、不貞腐れたような返事をしてしまった。言葉を口にしてから「あっ」と思ったが、気まずさが勝って、朱音は視線をそらしたまま家に入った。
しばらくしてリビングに戻ると、母が静かに声をかけてきた。
「朱音。あんな物言い、あなたらしくないわよ」
「だって、本当のことだもん。何もすごくなんかないもん。そもそも、“私らしい”って何?いつも良い成績を取ってるのが私らしいの?」
「そんなこと、言ってないじゃない」
母は朱音の顔をじっと見つめる。
「何かあったの?」
「……別に、何も」
「じゃあ、どうしてそんな機嫌悪そうな顔してるの。隣の秋山さんにも、あんな態度で。失礼でしょう。もう高校生なのに」
「そうよ、高校生よ!だから大変なの!お母さんなんかに分かんないよ!」
「朱音……」
母の表情が、少し悲しげに曇る。その顔を見た瞬間、朱音の胸にずしりと自己嫌悪がのしかかる。母に八つ当たりしている。それは自分でも分かっていた。テストの成績が悪かったのは全部、自分のせいなのに。
「……ごめんなさい。今日、中間テストの結果が出たの。私、百一番だった……鳴海ちゃんにも負けちゃって……。一番じゃなくてもいいって、思ってたはずなのに。いざ結果が出たら、なんか……一番どころか上位にも入れなかったのが……」
「悔しかったのね」
その言葉に、朱音は静かに頷いた。
「私って、嫌な子だよね。鳴海ちゃんは友達なのに、九十八番って言ったとき、全然喜べなかった。私は百番以内にも入れなかったのにって」
「そんなの、当たり前じゃない」
「え……?」
「どんなに仲の良い友達でも、負けたら悔しいわよ。みんなそう。朱音はあんなに頑張ってたじゃない。その努力が思うように結果に繋がらなければ、誰だって悔しいに決まってる」
母は少し笑って続けた。
「でも、八つ当たりはダメね。秋山さんは全然関係ないし、朱音のことを褒めてくれていたのに、あの態度は良くなかったわ」
朱音は小さく頷いた。
「凰琳に行ったこと、後悔してるの?」
首を横に振る。
「なら、頑張らなきゃ。朱音が自分で選んだ高校よ。それにね、特に一番を取らなくたって、お母さんもお父さんも気にしてないわよ。朱音は朱音。私たちの自慢の娘だもの」
「一番じゃなくても……?」
「もちろん!私たちはそんなことで朱音を評価したこと、一度もないでしょ」
「うん」
本当はそんなこと分かってる。いつも温かく見守ってくれている両親だ、きっと朱音が何か間違いを犯しても、味方でいてくれる。
「私達は朱音が健康で、自分らしくいてくれたらそれで十分。でも朱音が“悔しい”って言うなら、その気持ちは大切にしたらいい。私たちは、いつでも応援しているから。結果がどうであっても、一生懸命頑張ったなら、その経験はきっと朱音の力になるわ」
「……ごめん。私、頑張る。次のテストは、絶対鳴海ちゃんに負けない。もっともっと頑張る。せっかく凰琳に入ったんだもの。高校生活はまだ始まったばかりだし」
「そうそう、それでいいの。でもね、お母さん、ちょっと嬉しかったりするのよ」
「嬉しい? 何が?」
「だって、あなたがそんなふうに闘志を燃やすなんてね。そういう一面もあるんだって、ちょっと感動しちゃった。あなたっていつもなんでも我慢しちゃう子だから。やっぱり、日々成長してるのね」
「お母さんたら。結局子ども扱いなんだから」
「そんなことないわよ。さあさあ、いつまでも制服のままでいないで、早く着替えてらっしゃい」
「あ、うん」
母と話したことで、少し気持ちが軽くなった。高校に入ってから、朱音は本当に一生懸命勉強していた。だからこそ報われなかったことが悔しくて、やるせなさが込み上げていたのだ。
しかも、自分より上位の中にはクラブ活動と両立している生徒もいるだろう。朱音は勉強だけに集中していたのに、そういう子たちにまで負けたのだと思うと、なおさら悔しかった。でも、そんな気持ちになる自分が醜く感じた。負けたのは努力不足だ。それに中学の時はずっとトップだったから、慢心していたところもあったのだと思う。そんな自分が嫌だった。
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