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深層の滓(しんそうのおり)  作者: 麗 未生(うるう みお)
第二章 遠因(えんいん)
132/250

遠因1-3-①:高校生の朱音とその母

    三.


「朱音、準備はできたの?」

「はーい、今、行きます!」


新しい制服を身に着けて、朱音は軽やかに階段を駆け降りた。


「あら、そうやって制服を着ると、一応高校生に見えなくもないわね」

「もう、お母さんったら。ちゃんと今日から高校生だよ」


1991年四月。今日は朱音の高校の入学式である。小柄で華奢なその身体つきは、どこか少年のようでもあり、まだ幼い少女のようにも見えた。


 朱音は、八ヶ月という早産で生まれた。体重は千五百グラムにも満たない未熟児。その為か幼い頃は、母親が過度なほど心配していたが、それでも病気らしい病気もせず、体こそ同学年の子よりもやや小さくはあったが、すくすくと健康に育った。


「本当に、あなたがもう高校生だなんて……」


母は感慨深げに朱音の顔を見つめる。


「大きくなったでしょう」


胸を張る朱音。しかし母の目には、まだまだ幼い子供に映っていた。朱音は、同世代の女の子のように恋の話をすることもない。母の夏江は「この子には、初恋すらまだ訪れていないのでは?」と思ってしまうほど、そういった話題に無頓着な印象を受けていた。実際、誰かを好きになったという話も聞いたことがなければ、そんな素振りすら見せたこともない。


 同級生の「誰と誰が付き合ってる」などと話していても、朱音は「なんで付き合うのかなあ?友達の方がずっと楽しいのに」と不思議そうにしている。「学校に好きな人はいないの?」と夏江が聞けば、「全然」としか返ってこない。まるで恋愛に興味がないようだった。心はまだまだ幼いまま、という風に澄子には見えた。


 それでも、朱音は学校の成績が良かった。中学に入ってからは特に勉強に力を入れるようになった。きっかけは、テレビドラマに出てきた女性裁判官に心を奪われたこと。


「私も、いつか裁判官になりたい」


そう語るようになってからは、自ら机に向かう時間が増えた。どう見ても子供にしか見えないこの子がそんな職業に就けるのだろうかと、大変なのではないかと夏江は心配したが、高校はその為の大学へ行くのに必要な知識を身に付ける場所だと言う娘に、少し感心した。


 朱音が選んだ高校は、都内でも屈指の名門女子高。幾人もの女性官僚や司法関係者を輩出しており、偏差値も高い。朱音が通っていた市立中学からは、これまで誰一人として進学したことがない学校だった。担任教師は、志望を聞いたとき難色を示した。


「今の成績では厳しい。もっと現実的な学校にしたらどうか」


しかし朱音は、意志を曲げなかった。というか、今の成績で厳しいという教師の言葉に納得がいかなかった。朱音自身、自分でそれなりに下調べしている。偏差値も足りているはずだ。ただ朱音の担任は石橋をたたいても渡らない、というタイプの人間でどの生徒にも百%受かりそうな高校ばかりを勧めるというやり方だったのだ。それに朱音がこの高校を選んだのは女子高である、ということもあった。


 「男の子って、なんか野蛮」と、朱音はよく口にしていた。女子だけの環境は魅力的だったのだろう。そうして朱音は難関を突破して見事合格した。担任も驚いた。


「一生懸命頑張れば、願いは叶うんだよ」


受かった時、朱音はそう言った。そんな朱音を見て両親はその成長を頼もしく思った。子供はいつの間にか成長してしまうものだと。


 今日からその女子高の一員になる。校門をくぐる朱音の胸は、高鳴っていた。両親にこの高校に行きたいと言うのには少し躊躇した。


 公立の高校と比べると学費は雲泥の差だ。朱音の家は貧乏ではないが特別裕福というわけでもない。それでも朱音が行きたいと言えば両親は絶対反対しないことも分かっていた。幼い頃から両親はいつも朱音の最大の理解者である。だからと言って我儘を何でも聞いてくれるというわけではない、特に父親は道徳や倫理を重んじる人だったので。それでも朱音は二人の愛情を充分に感じて育った。そして希望するこの高校に受かった時は二人共、大喜びしてくれた。


 講堂での入学式。見渡す限り、女子高だから当然ではあるが、生徒は女子ばかり。同じ中学でこの高校を受験したのは朱音以外誰もいないから周りに知った顔は一人もいない。仲の良かった友達と離れる事に少し寂しさも覚えたがそれよりも希望の方が大きかった。


 同世代の男子にどこか粗暴さを感じていた朱音には、それが安心材料になった。教師も八割が女性。共学で育った朱音には、そのことすら新鮮に感じられた。

お読みいただきありがとうございます。

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