錯綜1-3-②:彼女は何故、知っている?
あの和と親しく会話ができる気がしない——その予感は、あながち間違っていなかった。
クラスの用事で一緒に作業をしていても、彼女は必要最低限のことしか口にしない。まるで話すことすら億劫かのようだ。別に和に特別な感情があるわけじゃない。でも、嫌われているのかもしれないと思うと、気になってしまう。
「深見さんって、誰にでもそうなの?」
ホームルーム後、体育祭の催し物アンケートを整理しながら、浩太はぽつりと尋ねた。
「そうって? 何が?」
「なんか…素っ気ない感じ? もしかして俺だけかなって」
和はわずかに目を見開き、こちらを見た。
「意味、分からない」
そう言うとすぐにアンケート用紙に目を戻した。
「分からないって……」
「上條君と他の人たちと、差をつけてるつもりはないよ。私、いつもこんなだから」
「あ、そ、そう……」
気まずい空気が漂う。何とかこの沈黙を破りたい。何か話題を――
「あ、あの、深見さんって、どんなときに笑うの?」
言ってから、なぜそんなことを聞いたのか自分でも分からなくなる。案の定、和は露骨に面倒臭そうな表情でため息を吐いた。
「あ、ご、ごめん。どうでもいいことだよね。楽しいことがあれば、笑うよね、普通」
同級生女子になんでここまで気を遣ってるんだ、自分でも変だと思う。どうも彼女の雰囲気に呑まれている。
「楽しいことなんか……」
和が低くつぶやいた。
「え?」
「楽しいことなんて、どこにあるの?」
「ど、どこって……」
「上條君は、楽しい? 何が?」
「何って、そりゃあ……いろいろ……」
「いろいろって? どうして?」
どうしてって、何だ? 質問の意味がつかめない。
「どうしてって、べつに理由なんか……」
「私、知ってるよ」
「……何を?」
「上條君の家族のこと」
「家族……?」
ドクン、と心臓が重く脈打つ。冷たい何かが体内を這い上がってくるような感覚。
「上條君のお母さん、殺されたんでしょう」
——眉ひとつ動かさず、和は静かに突きつけた。
「な、なんで、それを……?」
浩太は思わず立ち上がった。動揺を隠せない。和は初めて、少しだけ眉をひそめて彼を見た。
「なんでって……だって、私——」
そこで言葉を切り、和はじっと浩太を見つめる。その目を、どこかで見たことがあるような気がした。前にも会っているのか……?何だろう、この感覚は。 記憶の底を探っても答えは出ない。そんな浩太の様子を探る様に見ていた和は肩を落とすように、静かに息を吐いた。そして目をそらし、床を見つめる。
「……何でもない。余計なこと、喋ってないで、さっさと片付けましょ」
「余計なこと……?」
人の触れられたくない過去に土足で踏み込んでおいて、それを“余計”で片づけるとは——
「ええ」
「そういう……」
「ごめんなさい。こんなこと言うべきじゃなかったわ」
和は先手を打つように謝った。いや、別に謝ってほしいわけでもない。、と浩太は心の中で呟く。
「で、でも……どうして君が……」
なおも訊きたげな浩太に、和は再びため息を吐いた。
「ただ……覚えていただけ。記憶力がいいのよ、私は。あの事件の被害者の名前とね、あなたが同じ苗字だったから、ちょっとカマをかけてみただけ」
「カマを……?」
——ただの“カマかけ”じゃない。あの口調、あの視線。確信がなければ出ない言葉だ。
「上條君が“楽しいこと”とか“笑うとき”とか、ウザかったから。……でも、まさか当たるとは思わなかった。本当のことだと知ってたら言わなかった。無神経だったわ。ごめんなさい。でも、誰にも言わないから」
(嘘だ……)
和は知っていた。初めから知っていて、わざと口にしたのだ。そうとしか思えない。
「でも……上條君って、強いのね。そんなことがあっても、普通にしてるんだもの」
嫌味にしか聞こえないのは、気のせいか。
「べ、別に……強いわけじゃ……」
虚勢でも張らなきゃ、あの地獄を乗り越えることなんてできなかった。でもそれを、彼女に話すつもりはない。分かってもらおうとも思っていない。
「お前に……」
「え?」
「いや……」
「お前に、何が分かるんだよ……って顔、してる」
「お、俺は……別に……」
——見透かされている。呆然としている浩太を尻目に和は再び机に向かい、淡々と作業を再開した。浩太も無言のまま、それに倣う。言葉はもう出てこなかった。
やがて集計が終わると、和は用紙を浩太に差し出した。
「次のホームルームは、このアンケートの結果をもとに何をするかを決めましょう」
そう言うと和は、カバンを持つと教室を出て行った。足音が廊下の奥へと遠ざかっていくの聞き届けて浩太は、肩の力が抜けていくのを感じた。無意識に緊張していたのだろう。
こんな調子で、今学期ずっとやっていくのかと思うと気が重い。だが、それより気になるのは、和が“事件のことを知っていた”という一点だ。入学した時から知っていた、と言う事か——彼女の真意を問いただしたいと思う。でも、そんな機会が本当に来るのか分からない。和のあの雰囲気に、完全に呑まれている——
帰宅した浩太は、朝陽に電話をかけた。そして、今日あった出来事を話し始めた。
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