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深層の滓(しんそうのおり)  作者: 麗 未生(うるう みお)
第二章 遠因(えんいん)
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遠因1-2-⑦:万智から感じる違和感

「ずっと?」


もう一度、こくんと頷く。


「言い返せばいいのに」

「わ、私は平気だから。それに、本当のことだし……」

「へえ~、三芳さんって強いんだね」


その一言に、依智伽は思わず顔を上げる。誰かにそんな風に言われたのは、初めてだった。迅人は依智伽に向けて、にっこりと笑った。それに同級生にこんな風に笑いかけられることもない。何だか変わった子だと思った。


「僕はお母さんの事悪く言われたら、すっごい腹が立つ。三芳さんみたいに我慢なんて、きっとできないよ」

「あ、そ、そう……」


きっとそれは、迅人の母が、良い母親だからだ。依智伽の母とは違う。でもそんなことは、口にできない。誰にも言えない。掃除も、洗濯も、ご飯も、家の事は自分でやっているなんて。誰にも知られたくない。それが知られた瞬間、自分が母親にも見捨てられた、とても惨めな存在になるような気がしてならなかった。だから、万智に何を言われても、言い返すことはしなかったのだ。


 その日から、迅人はよく依智伽に話しかけるようになった。すると、クラスの空気が少しずつ変わっていく。依智伽に声をかける子が増えていった。きっと迅人がみんなに好かれるぞんざいだからだろう。


 まるで、誰かがひとつ石を投げて、水面が静かに揺れはじめるように。迅人の持つ、正義感にも似たまっすぐさ。それが、周囲の子どもたちに小さな共鳴を起こしたのかもしれない。綺麗な服を着て、言葉で人を刺す万智より、学びに真剣な子どもたちの方が、彼らにとっては意味のある存在になっていった。


 万智は次第に孤立していった。彼女の姉は才色兼備で教師からも一目置かれていたが、万智自身は成績も平凡で、特に可愛い顔立ちというわけでもなかった。父親はPTA会長、母親は婦人会で顔を利かせていて、家はこの土地で代々続く名家。万智の姉が在学していた時は、色々学校行事にも口をはさんでいたようだが、彼女が卒業してあまり何も言ってこなくなったようだ。


 あの騒動の後、依智伽は万智の父親が学校に乗り込んでくるのではと警戒していたが、何事も起こらなかった。一学期も半ばを過ぎた頃のことだった。放課後、帰り道にある神社の石段に、ぽつんと座っている万智の姿を見つけた。目が合うと、万智は意地悪そうな目つきで睨んできたが、何も言わずに顔を伏せた。黙って通り過ぎようとしたが、依智伽の足が何故かふと止まった。その様子が何となく気になった。しばらく無言で見つめると、万智が顔を上げる。


「……何よ」


睨みつけるように言った。


「良い気味だって思ってるんでしょう?」


依智伽は、その言葉に何も言い返さなかった。肯定も否定もせず、ただ尋ねる。


「何してるの?」

「べ、別に。鍵忘れただけよ。ちょっと時間潰してただけ」

「鍵?」

「今日はお手伝いさんがお休みで、お母さんも買い物に行っちゃってるみたいで」

「ふーん……」


授業が終わってから依智伽は図書室で下校のベルが鳴るまで勉強していた。万智はすぐに帰ったから、もうそれなりの時間が経っている。その間、ずっと、ここに一人でいたのだろうか。


「い、今帰るところよ。今日はお姉ちゃんの誕生日だから、お母さんも色々と準備で忙しいの。でも、きっともう帰って来るはずだから」


そう言って、万智は立ち上がった。その拍子に、彼女は身をよじるような動作をして脇腹を押さえる。その顔には、一瞬、苦痛の色が浮かんだ。


「どうしたの?」

「……何でもない。ちょっとぶつけただけ」

「大丈夫?」


「全然、大丈夫。お母さんが心配するから、もう帰る」


そう言いながら歩き出した万智は、数歩進んでからふと立ち止まり、振り返った。


「三芳さんって、いつもこんな時間まで学校に残ってるの?」

「うん」

「図書室によく行ってるって、本が好きなの?」

「うん。あそこには、いろんな辞書や辞典があるから。それに家には、何もないから」


その言葉に、万智はふっと笑った。


「やっぱり貧乏人は大変ね。うちには何でも揃ってるから」

「そう」


そう言われても、依智伽の心にはもう何の波風も立たなかった。羨ましいとも、妬ましいとも感じない。ただ静かに、事実として受け止めていた。人は人。自分は自分。母に何も期待しなくなったら楽になった。あの母のもとに生まれたのが自分の運命なら、その中で生きていくしかない。


 抗っても何も叶うことはない。大人である母でさえ、自分の望みを叶えていない。それなら、まだ子供で誰かの手を借りなければ生きていけない依智伽の望みなど、敵うはずがないのだと諦めがついた。

お読みいただきありがとうございます。

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