遠因1-2-④:遭遇した自殺現場で見たあの子
母は興味津々といった様子で、人の輪の中へ入っていった。依智伽も慌てて母の後を追う。布に覆われた誰かが、担架に乗せられて運ばれていくところだった。その後ろに、中学生くらいの女の子が、呆然と立っていた。
「あら……あの子……」
母はその女の子を見て、少し首を傾げた。首をかしげた。依智伽ももう一度、その子を見る。どこかで見たことがある気がする。懐かしいような、不思議な感覚。そしてその表情には、何とも言えない「違和感」があった。何故そう感じたのかもその時には分からなかった。ただ、その女の子の顔が、その表情が依智伽の胸に深く刻まれた。
「何があったんですか?」
母が近くにいた人に声をかける。
「自殺……らしいわよ」
相手は、声をひそめて答えた。
「首を吊ったんですって」
「へえ~……」
「子どもを残して逝くなんてねえ……」
「まあ、可哀想に」
母は相手の言葉に頷いてはいたが、その口元は少し笑っているように見えた。アパートに戻るなり、母はこう口にした。
「もう、変なもの見ちゃったわ。縁起が悪い」
「変な物?」
「あんたも見たでしょ?死体」
「え?」
「ほら、あの担架で運ばれていった人。あれ、もう死んでるわよ。生きてたら頭まで布なんて被せないもの」
そう言っては母クスッと笑った。それは本当に楽しそうな顔に見えた。母は、看護師という仕事だから死体なんて見慣れているのだろうか。依智伽はチラッと見ただけだから、何も感じる暇はなかった。ただ、あの時、運ばれていく担架を見ていたあの少女の表情は、今の母の表情と何となく似ている、そんな風に感じた。
「でも、あの女の子……何処かで見たような気がしたけど……何処だったかな。ま、どうでもいいわね。私には関係ないし。それにしても自殺なんて、気が知れないわ」
母はそう言いながら、風呂場へ向かった。今夜は夜勤なので、風呂から上がるとすぐに仕事に出かけるだろう。依智伽は、母が出て行ってから、スーパーで買った三割引きのパンを頬張った。買うとき、母は言った。
「これが、あんたの今日の晩ご飯だからね」
その言葉を聞いて、依智伽は少しホッとした。今日は食べるものがある、と。三日に一度は、何も食べるものが無いことがある。それに、母が置いていた物を勝手に食べると、ものすごく怒られる。以前、冷蔵庫にあったチョコレートを食べたとき、母は烈火のごとく怒鳴りつけた。
「人の物を勝手に食べるなんて、あんたって何て卑しい子なの!今度そんなことしたら、ここから追い出すからね!」
だから、母が「食べていい」と言った物しか、口にすることは許されない。そんな日々の中で、依智伽は次第に母に何かを期待することはなくなっていった。――母にとって、自分なんてどうでもいい存在なのだ、と。依智伽がいなくなっても、きっと母は何も思わない。探す事すらしない気がする。死んでも、泣きもしないだろう。
母にとって、依智伽は“邪魔”なだけの存在なのだ。やっぱり、自分は生まれて来ない方がよかったのだ。それでも、捨てられないだけ、まだマシなのかもしれない。母がいつもそう言っていたから。
「世の中にはね、子どもを捨てたり殺したりする親がいっぱいいるのよ。でも私は、そんなことしないで、こうやってちゃんと育ててあげてるの。あんたは、そのことに感謝しなさい。それだけで十分幸せなことなのだから、分かった?」
何度も何度も言われるうちに、依智伽は「自分は幸せなのかもしれない」と思いそうになることもあった。けれどやはり他所の母親とは全然違う、そう感じてしまう。
こともあった。けれどやはり他所の母親とは全然違う、そう感じてしまう。
母は、学校の行事に一度も来たことがない。参観日も、運動会も、学芸会も。家族と楽しそうにしている同級生達を羨ましと思ったことは一度や二度ではない。一度だけ、依智伽が「どうして来てくれないの?」と尋ねたとき、母は怒鳴った。
「どうして私がそんなものに行かなくちゃいけないのよ!私には仕事があるの。私が仕事をしてるから、あんたに毎日食べ物があるのよ。私ひとりで働いて、あんたを養ってるの。そんなものに行ってる暇があるわけないでしょ!」
母の言う通り、うちにはお父さんがいないのだから、仕方がない。そう自分に言い聞かせるようになった。そして次第に、母に何かを求めることが間違いなのだと思うようになった。考えるのは、ただひとつ。母を怒らせないようにすること。それが、依智伽の「生き方」になっていた。
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