遠因1-1-②崩壊の始まり
澄子が、梗子のいない間に、浩太に何かを口走ったのだろうか?それで浩太が凶うことの結婚に反対したとか……けれど認知症患者のたわごとなど、信じるに足るとは思えない。とはいえ、考えれば考えるほど、理由は子どもたちの反対以外に考えられなかった。あの智樹のことだ。子どもたちに拒まれれば、決して強引には押し通せない。……それにしても、やっとここまで来たというのに。
(忌々しい……)
あの子達の面倒も十分に見て来てやった。作りたくもない料理を作って、家事までしてやった。ここまできて、すべてが瓦解するなんて。ならば──あの子たちも……。そんな考えが、ふと脳裏をかすめる。
澄子が死んだときにも、同じ考えが浮かんだ。あの子たちさえいなければ、誰に憚ることなく智樹と一緒にいられるのだと。智樹にとっても、その方がきっと幸せに違いない、そう信じていた。それでも思い留まって、これまで面倒を見てきたというのに。返ってきたのがこんな仕打ちとは。
こんなことなら、とっとと始末すれば良かった。方法なら、いくらでもあったはず。だが、もうあの家に出入りできない今となっては、それも難しい。痛恨の極みだ。
(どうすればいいのよ!)
梗子はモヤモヤした気分のまま、アパートへと帰り着きドアを開ける。
「おかえり!お母さん!」
依智伽が走ってきた。その存在を、すっかり忘れていた。依智伽は、今年小学校へ上がったばかりだった。この子は何を言っても、何をしてもへらへら笑ってる。無邪気に笑う依智伽の顔を見ていると、逆に苛立ちが込み上げてくる。
もしかして、依智伽の存在も、障害になったのではないか?自分の子ではない子を引き取ることに、智樹は抵抗を持っていたのではないか。
もともと欲しくもなかった子。気づいたときには手遅れで、仕方なく産んだ子。生まれてすぐに葬ってしまえば良かった、今になってつくづくそう思う。せめてこの子が智樹との間に生まれた子供なら、もっと愛しく感じたかもしれないのに。例え子供が苦手でも、お腹を痛めた子供は可愛い、と誰かが言っていた。でも、実際に産んでも一向に可愛く思えなかった。ただ、鬱陶しいだけの存在。それでも表面上は母親を演じていた。智樹の前で“母親失格”の烙印を押されぬように。
「お母さん、聞いて。今日ね、学校で、」
「ちょっと黙ってくれない? 今日は疲れてるの」
梗子の声に、依智伽はシュンと口を閉じ、俯いた。
「……ごめんなさい」
そういう仕草すらも鬱陶しい。
「はあっ」
溜め息をついた梗子は部屋の奥へ入り、冷蔵庫からビールを取り出すと、一気に飲み干す。空き缶をテーブルにガンと置くと、依智伽がビクッと肩をすくめた。その反応に、また苛立ちが湧く。
「何よ、あんた。いつもビクビクしてて、本当に可愛げがない! 私が何をしたって言うのよ!」
依智伽は反論せず、黙ってそこに立っている。梗子は見向きもせず、残りのビールも流し込んだ。
「どうして、こんなことに……私の人生、どうしてこんなにうまくいかないのよ!」
全部、自分の甘さのせいだと梗子は思った。浩太や舞奈に、あんな余計な温情をかけたから。結局は詰めが甘かったのだと。
「何のために……」
何のために希美をこの手にかけたのか――口から出かけたその言葉を飲み込む。
それにしても、あのときの快感は今でも忘れられない。目を見開いて崩れ落ちる希美の姿。梗子を勝ち誇ったような目で見下ろしていた希美の顔が歪んだあの瞬間。死の恐怖に染まった、あの顔。今でも思い出すと心が沸き立つ。本当に最高の気分だった。それなのに、今は――。
「最低……」
何本かのビールを空にして、梗子はテーブルに突っ伏した。朝、目が覚めると、テーブルの周りに数本のビールの空き缶が転がっていた。
「まったく……」
最悪の気分だった。けれど、ここで終われない。希美が死んでから三年も待った。否、高校の時から考えれば彼と出会って二十年近く過ぎてる。やっと邪魔な希美がいなくなったのだから、もう智樹と一緒になれると思っていた。それなのに、現実は何も変わらない。
もともと智樹は自分のものになるはずだったのだ。希美さえ現れなければ、梗子は今頃智樹の妻として幸せな生活を送っていたに違いない。そう思うと余計に腹立たしい。
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