遠因1-1-①:期待と誤算
第二章 遠 因
第一部
一.
(一体、どういうことよ!)
散々喚き散らして帰ってきたが、それでも腹の虫は収まらなかった。すっかり智樹と結婚する気でいた梗子は、今日、彼からはっきりと断られた。そのつもりでずっと事を進めてきたのに、いったいどれほどの月日を費やしてきたのか。
高校で智樹と出会ってから、もう二十年が過ぎていた。紆余曲折を経て互いに別の人生を歩んできたが、結局は元鞘に戻るのだと信じて疑わなかった。智樹にはすでに子どもが二人いる。それも、あの憎たらしい希美の子供だ。だが、それすらも梗子は受け入れる覚悟だった。自分の寛容さに、智樹もきっと心を動かすはずだと信じていた。
実際、智樹だってその気になっていた、はずだった。それなのに、なぜ今になって断ってくるのか。先週会ったときには、「子供たちに話してみる」とまで言っていたではないか。どうして今日になって「結婚はできない」などと言い出すのだ。
希美が死んでからの三年間、梗子がどれほど親身になって彼らの世話をしてきたか。智樹もそれは充分に承知しているはずなのに。
「親父が出てきて落ち着いたら、きちんとしよう」
智樹はそう言っていた。あと少し、もう少しで望んでいた物が手に入る。そう信じて、梗子は待った。
あの邪魔だった姑・澄子も死んで、何一つ障害はなくなったはずだった。澄子が生きている間は冷や冷やさせられた。認知症を患っていたが、時折、何もかも見抜いているような目で梗子を睨んだ。毎日世話をしてやったのに、感謝の言葉ひとつもなかった。
「認知症だから仕方ない」と自分に言い聞かせていたが、それが芝居ではないかと感じることもあった。だから梗子は、片時も目を離さぬよう気をつけていた。とくに家族が面会に来るときは、常に気を張っていた。智樹は基本的にいい人だ。人を疑うということをしない。だから与するのは簡単だった。
子どもたちもまだ幼く、それほど気にする必要はないと思っていた。けれど澄子が何か口走ったりしないよう、目を光らせていた。四六時中見張っていたわけではないが、口を滑らせる隙は与えなかったつもりだ。……いや、そもそも何かを話せるだけの認知機能も残っていなかったはずだ。
だから、彼らは何も気づいていない。澄子は「希美殺しの犯人」として死んだのだ。葬式のとき、梗子は笑いを堪えるのに苦労した。全てが、予想以上に上手く運んだのだから。澄子の周りをうろついていた、あのアパートの若い女も追い払った。
あとは収監されていた舅・倫之が出てきて、晴れて結婚するだけ。別に彼の出所を待つ必要などなかったが、智樹がそう言うのだから仕方がない。ここで焦って疑われたり、話が流れてしまったら元も子もない。そう思って、梗子はずっと耐えてきた。
やっと事が成就するのだ。希美が奪った物を全部取り返すことができる。これで晴れて智樹と一緒になれる。そう思えば、あと少しの辛抱など何でもなかった。
そしてその倫之が、一か月前に出所した。もう、全ては決まったようなものだと思っていた。普通に考えれば、姑が人殺しで、舅が死体遺棄で服役していたような家に、嫁ごうという女がいるだろうか。しかも梗子は、その全てを承知してやっているのだ。感謝されこそすれ、断られる理由などあるはずがない、だというのに──。
「親父が出てきて、家にいつもいてくれるから、子どもたちの世話もできる。色々世話になったが、これからは自分たちのことは自分たちでする」
それが、今日智樹が放った言葉だった。まるで、別人のような口ぶり。一体何があったというのか。なぜ百八十度、話が変わったのだ。
父親が帰ってきたから、もう私の手助けはいらない?今まで人をいいように使っておいて、もう用済みだとでも?あまりの勝手さに、怒りが爆発した。智樹たちは、梗子が何を言っても怒らないと思っていたのだろうか。随分と甘く見られたものだ。だが、梗子にだって我慢の限界はある。希美が“あんなこと”になったのだって、梗子の我慢が限界を超えたからだ。そうでなければ、あんな事態には至らなかったはずだ。……全部、智樹のせい。
そうぶちまけてやろうかとも思ったが、それは何とか飲み込んだ。とはいえ、なぜ急に気が変わったのか。子どもたちに話すとは言っていたが。
(……子どもたち)
梗子は二人の子どもたちの顔を思い浮かべた。もしかして、子どもたちが何か言ったのだろうか。
希美が死んだとき、小五だった浩太は、もう中一。妹の舞奈は四年生になっていた。浩太は、ときおり冷ややかな目で梗子を見ていた。あの目、あれは、いったい何を意味していたのか。
まさか知っているわけでは……?そんな思いがよぎる。
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