錯綜1-2-⑨:通り魔事件の真相と、依智伽の嘘
そんなある日、浩太の母の事件を嗅ぎつけた数人が、興味本位に浩太を嘲った。浩太は黙して応じなかった。だが、彼らはしつこく、面白がって繰り返し暴言を投げつけてきた。
そのとき、彼らに真っ向から食ってかかったのは、朝陽だった。自分には関係のないことなのに、朝陽は顔を真っ赤にして怒鳴り返し、言い争いになった。朝陽の勢いに押されて彼らが退散した後、朝陽は拳を握りしめて、「ちくしょう、ちくしょう」と呟きながら泣き出した。浩太は、そんな朝陽の姿を見て、なぜか笑ってしまった。
「何で笑うんだよ……!」
顔をくしゃくしゃにして、朝陽は怒ったように睨んできた。
「お前こそ、なんで泣いてんだよ」
「だって……悔しいじゃないか。浩太は何も悪くないのに。お母さんが死んで、犯人が自分のおばあちゃんなんて……そんなの、あんまりじゃないか。悲しくて、たまらないじゃないか。なのに、あいつら……!」
声を震わせながら、朝陽はまた泣いた。その姿を見ていると、浩太の中の悔しさや怒りは不思議と消えていき、ただ、心の底から可笑しくなってきた。
「お前……泣くと、すっげえブサイクだな」
思わずそう言って笑った浩太に、朝陽も、いつの間にかつられるように笑い出していた。——この瞬間から、朝陽は浩太にとって無二の親友となった。彼の存在は、今の浩太に確かな光をもたらしている。朝陽がいなければ、浩太はきっと誰とも親しくなれず、ひとり孤高のままだったに違いない。それをきっかけに、浩太は少しずつ他人とも話せるようになった。
自分自身が、事件の影を誰よりも深く引きずっていたことに気づかされた。浩太が普通にしていれば、周囲もまた案外、普通に接してくれる。もっとも、情報番組を見ないことと「女嫌いの変わり者」というレッテルは消えなかったが。
そんなことを思い起こしていた浩太の耳に、父の声が届き我に返る。
「通り魔殺人の可能性が高いそうだ」
父は低い声で告げた。
「通り魔……?」
「梗子さんは職場からの帰宅途中、何者かに襲われた。発見されたのは翌朝。川沿いをジョギングしていた人が倒れている彼女を見つけ、通報した」
梗子は祖母の死後、医療刑務所を辞め、一般病院に勤めていた。
「どうやって殺されたの?」
「後頭部を鈍器で殴打された可能性が高いそうだ。鉄パイプか、金属バットのようなものだろうと」
浩太の脳裏に、依智伽の言葉がよぎった。——包丁で刺した。やっぱりあれは嘘だったんだ。
「最近、あの辺りで同様の事件が連続して起きていたらしい。金属バットでの襲撃だ。命を落としたのは梗子さんが初めてだったが、他にも重傷者が出ていて、今も入院しているそうだ」
「犯人は、まだ?」
「捕まっていない。人気のない時間帯や場所を狙っているようで、目撃者も少ない。捜査は難航しているらしい」
「梗子さんを襲ったのも……そいつ?」
「警察の話では、手口の類似性からその可能性が高いとのことだ」
「そうか……」
依智伽の話が嘘だったと知って、安堵した自分がいた。その一方で、どこか釈然としない感情も残っていた。あのときの依智伽の顔が、妙に印象に残っている。——あれは、ただの嘘とは違う。もしかすると、彼女の語った内容は「母を包丁で刺した」という一点だけが虚構で、それ以外は本当だったのではないか、そんな思いも拭えない。
依智伽は、母親に疎まれていた。もしそれが事実なら、彼女が「母なんて死ねばいい」と本気で願っていたとしても、否定しきれない。でもそう思うと、ただただ切なかった。——親に望まれない子ほど、哀しい存在はない。そしてそれで親の死を願う事も。
「依智伽ちゃんのこと、ごめん。父さんの気持ち、わかってたけど……」
浩太の言葉に、父は静かに頷いた。
「まあ、仕方ないな。父さんも少し焦っていたのかもしれない。家族の問題を、父さん一人の想いだけで進めるわけにはいかないしな……だが、依智伽ちゃんには、少し酷なことをした。ここに呼んだ時に、要らぬ期待をさせてしまったかな、って」
「うん……」
「でもな……」
父の表情に、ふと迷いが浮かんだ。
「どうしたの?」
「今朝、依智伽ちゃんを送って行った時、なんだか妙に明るかったんだ」
「明るかった?」
「無理してるふうでもなかった。ただ、吹っ切れたような……いや、別の何かを隠してるような……あの子、園に入っていくときも元気に手を振って『おじさん、バイバイ!』ってな、全然、悲しそうなそぶりはなかった」
父の言葉を聞きながら、浩太も今朝の依智伽の様子を思い返していた。
「案外……あの子は、最初から“うちの子”になるつもりなんてなかったのかもな。父さんが勝手に『可哀想だ』なんて、余計な同情をしただけなのかもしれない。子供って、大人が思っているよりずっと逞しいのかもな」
依智伽は、大人の顔と子供の顔——その両方を持っていた。思い返せば、彼女はその二つを、状況によって巧みに使い分けていたようにすら感じる。それが計算だったのか、自然に身についた術だったのか——浩太にはわからない。
ただ一つ言えるのは、彼女がこの先どんな人生を歩むのか、少しだけ気になるということ。でも……できるなら、もうこれ以上関わりたくない、そう思った。
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