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深層の滓(しんそうのおり)  作者: 麗 未生(うるう みお)
第一章 錯綜(さくそう)
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錯綜3-3-⑨:祖母の語る母の真実

「あの子たちは、学校の友達と遊びに行ったのよ」

「まあ、そうなの」

「また今度、一緒に来るから」


寧々の言葉に、祖母は優しく微笑んで頷いた。


「公洋さんは?」

「あ、えっと……お父さんは、仕事」

「そう。あなたたち、うまくいっているのよね?」

「うまく、って?」

「大丈夫よね。莉子ちゃんがいるもの」

「……うん、もちろん」


祖母は“「寧々がいるから」とは言わず、「莉子ちゃんがいるから」とだけ言う。それは寧々”が父の実子ではないことを知っている、ということである証拠だ。


ふと、もし、祖母が寧々のことを朱音だと思っているのなら。今なら、聞けるかもしれない。あの頃の、本当のことを。母と祖母だけの秘密の話。


「ねえ、おば、あ、お、お母さん」


一瞬の逡巡の後、寧々は役を演じた。


「私が結婚するって言ったとき、驚いた?」

「そりゃあ驚いたわよ」


祖母は声に懐かしさを滲ませる。


「あんなにいきなりだったし、それにあなた、まだ高校生だったのよ。大学に行ってもっと勉強したいって言ってたじゃない」

「でも……?」

「お腹に赤ちゃんがいるって聞いて、私もお父さんも、すぐには信じられなかったわ」


祖母は小さく笑った。思い出の中の、遠い日の出来事を追いかけているようだった。


「あのときのお父さんなんて、正に青天の霹靂って感じだったの。だって、あなたから男人の影なんて一度も感じたことがなかったもの。まさか、そんな話が出るなんて……もっと、ずっと先のことだと思っていたから」


その時の様子が寧々の脳裏に浮かぶ。祖父は寧々たちのアメリカ在住中に泣く案ってしまったから、接点は少ない。それでも寧々がいた時、本当に優しくしてくれた。母をとても愛していた父親だと、感じることができた。


「お父さんが怒って、落ち込んで、宥めるのに苦労したのよ」


と、祖母は優しい声で続けた。


「へぇ~、そうだったんだ」

「そうよ、覚えてないの?」

「……あ、えっと、そうだったかも」

「でもね、それがあなたの選んだ幸せなら、私は祝福しなければって思ったの…‥それが、まさか……あんな事があったなんて……」


祖母はそこでふと黙り、ゆっくりと窓の外へ視線を移す。


「おばあちゃん……?」


少し間をおいてから、祖母は再び寧々を見た。


「これで良かったのよね? 朱音は、幸せなのよね……」

「あ、うん。でも……」

「どうかしたの? 公洋さん、何か言うの?あなたを大切にしてくれているのよね?」

「……どうしてそんなこと聞くの?」


寧々が問い返すと、祖母の顔に、今までに見たことのないほどの深い悲しみが浮かんだ。


「…ごめんなさい、朱音。私、何も気づいてあげられなくて。あの時まで…」

「……あの時?」

「ええ。高校を卒業して、式の日取りも決まって……普通なら、楽しいはずなのに、あなたはどんどん口数が減っていったわ。でも、私たちはきっと、急に決まったことだから、あなた自身も戸惑っているのだと思っていたのよ」

「マリッジブルー、みたいな?」

「ええ。大学に行く夢も何もかも諦めて、お母さんになる……。確かに、自分で決めたことだったけど……それなりにあなたにも葛藤があるのだろうって……」

「うん……」


何だろう、この先の話を聞きたいのに、聞くのが怖い。でも、今しかない。そんな思いが寧々の胸の中を駆け巡る。


「夜、一人になるとあなたの部屋から泣き声が聞こえて……でも妊娠中だから、情緒が不安定になるのも当然だし、初めての出産なんだから。不安もあるのも当然だからと、そう思っていたの」


一呼吸置いた祖母の口から、静かに放たれた言葉が、寧々の胸にざわつく影を落とした。


「でも……あんなことがあったから……」

「……あんなこと?」


寧々の中で黒い影がゆっくりと波紋のように広がり始める。


「あなたが、水風呂に浸かっていた時のことよ」

「……水風呂……?」

「あのとき、お父さんはは会社の慰安旅行で不在で、私は買い物に出ていた。帰ってきたら、あなたが浴室で倒れていたの。最初は、お湯に浸かっていて気分が悪くなったのかと思ったわ。でも、浴槽に張ってあったのは……冷たい水だった。あなたの体はすっかり冷えていて」


祖母の声が震える。身重の体で母は水に浸かっていたいたということか、それが意味するのは……。


「慌ててお湯に張り替えて、あなたの体を温めて、マッサージをしていたら……あなた、目を開けて、急に、わんわんと泣き出したの。理由を聞いても、もう支離滅裂だったわよね」


そこまで話した祖母は一度目を伏せ、少し間を置いた後、口を開いた。


「ようやく落ち着いて、ベッドで横になった時の、あなたの第一声は、今でもはっきり覚えているわ」

「私……何て言ったの?」


胸の奥で、時計の針が逆に早回ししているような奇妙な感覚に陥って、鼓動が早くなる。聞かないほうが良い、そんな思いを振り切るように顔をあげる。


「……『赤ちゃん、死ななかったのね』って」

お読みいただきありがとうございます。

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