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深層の滓(しんそうのおり)  作者: 麗 未生(うるう みお)
第一章 錯綜(さくそう)
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錯綜1-2-⑧:崩壊した日常、差し伸べられた友の手

「依智伽ちゃんがどうしたんだ?」

「……あ、ううん。何でもないよ」


浩太が首を横に振ると、祖父はしばし沈黙したまま浩太を見つめ、やがて何事もなかったように視線を部屋の中に移した。


「そういえば、お父さんは? いつもこの時間なら、まだここにいるはずだろう?」

「あ、ちょっと……」

「何かあったのか?」

「お父さん、依智伽ちゃんを……うちの子にしたいって言ったんだ。でも俺も、舞奈も反対して……それで……なんか機嫌悪くなっちゃって」

「そうか……まあ、お前たちが嫌だというなら、それも仕方ない。これもあの子の運命なのだろうな」

「どうして反対したのかって、聞かないの?」

「世の中には、理屈じゃ割り切れないことが山ほどある。説明のつかぬことだって、あるものだよ」


そう言って祖父は冷蔵庫からお茶を出し、無言でコップに注いだ。そして、一気に飲み干すと、何事もなかったかのように背を向けて部屋を出ていった。祖父は依智伽といつも仲良く話していたし、気に入ってるのかと思っていたけれど、そうでもなかったのだろうか。


 浩太は、祖父のことが好きだった。冷静で、何を聞いても的確に返してくれる。尊敬していた。だが、その祖父が――あんなことをした。でも祖父が母の遺体を運んで山に埋めた……それは紛れもない事実。それもまた「不条理」という名の中にあるのだろうか。——その夜、浩太は眠れなかった。耳から離れないのは、依智伽のあの言葉。


翌朝、彼は意を決して問いかけた。


「依智伽ちゃん……昨日、言ってたことって……まさか」


依智伽は、ふっと笑った。


「嘘に決まってるじゃない。私みたいな子どもに、そんなことできるわけないでしょ?」

「……え? あ、そ、そうだよね」


安心したような気持ちと、何か腑に落ちない違和感。その両方が、浩太の胸の中で交錯する。


「ちょっと、からかってみただけ。ここにいられなくなるって分かって……悲しくなっちゃって」

「……あ、ごめん」

「いいの。ほんとはね、なんとなく分かってたの。私って、お母さんに……似てるから。だから」


依智伽は、そこまで言って言葉を飲み込んだ。浩太も、それ以上は聞かなかった。聞いても、きっと何も返ってこない。そう思ったから。


——三日後、依智伽は施設に戻っていった。浩太と舞奈は、すごく意地悪をしてしまったような罪悪感に駆られたが、当の依智伽は去り際もあっけらかんとした笑顔を浮かべていた。父は、どこか後ろめたい表情を浮かべながら、車で彼女を送っていった。


その夜、浩太は父に尋ねた。


「……梗子さんのお母さん、どうやって死んだの?」

「ニュースでも言って――」


言いかけて父はハッとしたように口をつぐんだ。浩太は、母親の事件以来ニュースやワイドショーを一切見ない。あのとき、好き勝手に騒ぎ立てたマスコミに、彼の中の何かが弾けた。



 あの事件のあと――祖母を「残虐非道な姑」と言い、母を「陰湿な嫁」と断じ、関係のない奴らがああでもない、こうでもないとまるで当事者であるかのように語る口調。それ話御見てるうちに怒りが沸騰し、浩太はテレビを叩き壊した。


「うるさい、うるさい、うるさい!」と叫び、泣き喚き暴れ回った。


そのとき、家に父はいなかった。舞奈は、異様な浩太に怯えて自室に閉じこもった。耳をふさいで部屋で怯えていたのかもしれない。夜になり帰ってきた父は、荒れ果てた部屋と、呆然と佇む浩太を見て、黙って片付けを始めた。何も言わず、叱りもせず、ただ黙々と。そして、全てを綺麗にすると、一言だけ。


「……すまんな」


その瞬間、浩太は堰を切ったように泣いた。ワンワンと、子どものように泣きじゃくった。父は何も言わず、ただ抱きしめてくれた。その温もりの中で、浩太は初めて知った。父もまた、言葉にできない痛みを抱えているのだと。


 それ以来、浩太は事件のことを誰にも語らない。テレビはバラエティかクイズ番組しか見ず、新聞も読まない。世の中の出来事にはほとんど関心がなくなった。中学に入ってから、浩太に好意を寄せてくる女子もいた。しかし、上目遣いで見つめられると、ふいに梗子の顔がよぎり、ゾッとする。


 人と関わらず、暗い影に包まれた彼を、周囲は「変人」と呼んだ。だが、それで良かった。事件のことが知られれば、興味本位で近づいてくる者も、悪意を向けてくる者も現れるだろう。ならば、誰も寄せつけぬ“変人”でいた方がいい。


 そんな浩太に、唯一、臆せず話しかけてきたのが朝陽だった。彼は浩太の過去など知らなかった。ただ、一匹狼のような面白い奴だと思ったのだ。最初、浩太は無視を続けた。朝陽の明るさは、眩しすぎて直視できなかった。


 それでも、朝陽は懲りずに言葉を投げかけてきた。まるで、浩太の心の闇に光を当てるように。

でもどうせ、あの事件のことを知れば、彼もやはり……そう思っていた。これまでも、皆そうだったように。事件が起きるまで一緒に遊んでいた友人たちでさえ、次第に距離を置いていった。無理もない。被害者の息子であり、加害者の孫である――その立場の重さは、言葉では伝えきれない。


 同情を寄せる奴らだって、どう接すればいいか分からない。戸惑うのが当然だ。浩太自身、逆の立場ならきっと同じように迷っただろう。だから、彼らに何も思わない。ただ、同情だけは――受け入れられなかった。浩太の痛みは、誰にも理解できない。そう思っていた。

お読みいただきありがとうございます。

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