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第5章 教会と教義の葛藤(1)

 早朝、薄曇りの空の下で、リオンとレオンは教会区画へ向かっていた。

 大聖堂とその周辺には多数の修道院や神学校、さらには『神殿区画』と呼ばれる施設が集まっている。

 一般信者が立ち入れない場所も多く、王都の一角にありながら独立した『聖域』のような佇まいを見せているのだ。


「セラフィーナ様から招かれたときは大聖堂の面談室で話したけど、今回は『神殿区画』へ来てほしいって言われたんだよな」


 レオンが地図を確認しながら呟く。

 リオンもうなずく。


「うん。職人街での修復と、倉庫街の破壊未遂事件について、教会側でも話を進めているらしい……教会って、表向きは祈りの場だけど、実際は政治や軍事にも影響力が大きいからね。宰相府とどう連携を取るか、あるいは独自に動くのかを決めるんじゃないかな」


 二人が神殿区画の門をくぐると、衛兵に近い装いをした教会騎士が入口を守っており、招かれた者しか入れないという体制を敷いていた。

 リオンがセラフィーナから受け取った小さな書簡を提示すると、厳つい顔の騎士が門を開けてくれる。

 その奥は静かで厳かな空間だ。

 敷石の道を進むと、両脇に修道士が散見され、どこか張り詰めた空気が漂っていた。


「ここだけ別世界みたいだな……。王都の喧噪が嘘みたいに静かだ」


 レオンが思わず呟く。

 リオンも同じ感想を抱いていた。

 外で暗礁の噂が渦巻き、政治や経済が激しく変動しているのが嘘のように、ここは時間の流れがゆったりしている。

 しかし、その澄んだ空気の奥に、何か鋭いものが隠れている気がしてならない。


 ◇◇◇


 二人が訪れたのは、大聖堂の裏手に接する神殿管理棟と呼ばれる建物。

 内部の回廊を進むと、セラフィーナ・リューミエ高位司祭が待っていた。

 純白の司祭服をまとった姿は相変わらず清らかだが、その表情にはいつになく切迫感がある。


「よく来てくださいました、リオンさん。それにレオンさんも……実は教会内で、『石を操る力』について意見が対立し、激しい議論になっているのです。あなたにも少し事情を説明したくて、お呼びしました」


 セラフィーナがそう切り出すと、奥の部屋から何人かの司祭や修道院長らが顔を出し、リオンに興味深げな視線を向ける。

 中には「この者があの噂の……」と囁く者もいて、その視線から警戒や好奇心が入り混じっているのが分かる。


「すみません、俺の力が原因で教会の中でも問題が起こってるんですか?」


 リオンが申し訳なさそうに言うと、セラフィーナは小さく首を振る。


「いえ、あなたを責めているわけではありません。ただ、教会には古い教義があり、『石を操る者は神の領域に足を踏み入れる』とされているのです。世界の基盤である大地を司るのは神のみであり、人間がそれに干渉することは異端の一歩手前という見方もある。その一方で、『石の力は救いをもたらす』という預言も残されていて……」


 セラフィーナが困ったように視線を落とすと、隣の年配司祭が続けた。


「要するに、教会内部でも『破壊者』とみなすか、『救済者』とみなすかで意見が真っ二つなんだよ。異端審問官のギルダン殿は、石操作など許されぬと声を荒げているし、セラフィーナ様のように可能性を探りたい者もいる」


 リオンは胃のあたりがきゅっと重くなる。

 宰相府からも「破壊かもしれない」と疑われ、職人街でも「暗礁と繋がってるんじゃないか」と言われ、そして教会でも「異端かもしれない」と議論されているのだ。

 どこへ行っても、彼の存在は火種となってしまう。


「石貨や石材の破壊を防ぎ、人々を救うなら、神の意思に反するどころか寄与する面もあるでしょう。でも、ギルダンは過激にすぎる。いっそリオンさんを教会が預かり、力を封印するなり監視下に置くべきだと主張しているのです」

「封印……」


 リオンはその言葉に息を呑む。

 もし教会の一存でそんな措置がとられたら、彼の自由は一気に奪われ、石操作という能力も事実上使えなくなるだろう。

 既に宰相府からの監視が重くのしかかっているが、教会からも同様の圧力があれば、あっという間に身動きが取れなくなる。


「ギルダン殿の言い分も分かりますが、それでは誰も救えません。今まさに暗礁の破壊工作が進んでいるときに、リオンさんの力は決して小さくありません。あなたご自身はどう考えますか?」


 セラフィーナが静かに問いかけると、リオンはしばし黙考し、「俺は封印されるのは御免です。自分で決めたい」ときっぱり答えた。


「石を操る力を勝手に封印されたら、暗礁の破壊も止められないじゃないですか……どうしても危険だというなら、俺をちゃんと見極めてください。勝手に異端呼ばわりはやめてほしい」


 穏やかな雰囲気のセラフィーナの前でさえ、リオンの声が震えるほどの重圧があるのが分かる。

 しかし、真剣な眼差しにセラフィーナは慈しむような微笑みを返した。


「ありがとう。あなたの意思を直接聞けてよかったわ……ギルダンがあなたを異端視する理由は、『最悪の場合のシナリオ』を防ぎたいからでもあるでしょう。本人も王都の安全を守るため必死だと思って、どうか許してあげて」


 リオンは苦々しく思いながらも、「わかりました」とだけ頷く。

 その時、背後から不快な足音を響かせてギルダン・ヴァルト本人が姿を現した。

 黒い衣服に険しい表情、異端審問官の権威がビリビリと空気を震わせる。


「セラフィーナ様、勝手にリオンをここへ連れてきているのですか? これは教会として看過できない」


 ギルダンの言葉にセラフィーナは眉を寄せる。


「勝手とは何ですか。私は高位司祭として正当に彼を招いただけ。あなたこそ、彼を一方的に異端認定する権限があると思っているのですか?」

「形式上はともかく、実質的には私が裁量を握る立場です。石の力は神の領域だ。あえて封印せず放置すれば、暗礁の破壊活動を助長しかねない」


 リオンはギルダンの冷たい視線を正面から受け止める。

 まるで捕食者に睨まれた獲物のような感覚を覚えるが、ここで退けば完全に異端とみなされてしまう恐れがある。


「俺は暗礁と無関係です。大体、彼らに協力しようなんて微塵も思ってない。そんなことをしても誰も救われないどころか、王都全体が崩壊する」


 ギルダンは鼻で笑うように言い放つ。


「ほう、ずいぶん大層な言い分だな。だが、いくら言葉を並べても実際どう動くか分からん。今のうちに封印しておくのが得策だと思うがね……セラフィーナ様、改めて協議の場を設けさせてもらいますよ。リオン・アルドレアをどう扱うか、教会としての正式な結論が出るまで時間をかけすぎるのは危険だ」


 言い捨てると、ギルダンは踵を返して去っていく。

 リオンは悔しさと恐怖で言葉が出ない。

 セラフィーナはそんな彼を気遣い、肩にそっと手を置く。


「ごめんなさい。彼は仕事熱心なの。そういう性分だからこそ、異端審問官として働けているのかもしれないわ。だけど、私は最後まであなたを信じたいの」

「ありがとうございます、セラフィーナ様……俺も、教会にいらぬ迷惑をかけたくはないんですが……」

「今は私の方であなたを『救世の芽』と見なす立場を守ります。宰相府からの介入や、ギルダンの強引な異端審問を防ぐためにも、少し時間を稼がせてください。それまで、暗礁の破壊工作に巻き込まれないよう気をつけて」


 リオンは胸の奥が少しだけ軽くなる気がした。

 教会全体が敵に回ったわけではなく、セラフィーナのような理解者がいるのは救いだ。

 ただ、ギルダンら強硬派と真っ向から意見が割れている現状は、いずれ何らかの決定的な衝突をもたらしそうでもあった。


 ◇◇◇


 面会を終え、セラフィーナがリオンとレオンを別室へ案内した。

 そこは「聖石の間」と呼ばれる小さな礼拝堂で、中央には美しく磨かれた球状の大石が鎮座している。

 まるで内側に星空を閉じ込めたように輝くその石は、教会が崇める『石神信仰の象徴』とされていた。


「これが……教会の聖石?」


 リオンはしばし見とれた。

 石の内部には独特な文様やきらめきがあり、ただの岩石には見えない神秘性を放っている。

 セラフィーナが小さく微笑んで頷く。


「ええ。代々この大石を『聖石』と呼び、神の加護を象徴するものとして祀ってきました……実は、この石にまつわる古い預言書の断片が、先ほどギルダンが言っていた『異端か救世か』の思想に深く関わっているのです」


 部屋の奥からセラフィーナが手に取ったのは、古ぼけた書物。

 古代文字で書かれたページが何枚か破れ、補修の跡も目立つ。


「これは部分的にしか解読できていませんが、『石の力を持つ者は、世界を破壊し得ると同時に、創造の新時代を拓く』 といった主旨が読み取れるのです。以前から教会内で学者たちが検討していたのですが……あなたの存在が浮上してから、一気に注目度が上がりました」


 リオンは複雑な思いでページを覗き込む。

 そこには幾何学的な図案や、古代文字の断片が並んでおり、専門家でなければ解読不能に見える。


「もし、暗礁がこの預言の『破壊』部分を体現しようとしているなら……王都は大変なことになるんじゃ?」


 リオンが不安を口にすると、セラフィーナは沈痛な面持ちで頷く。


「はい。暗礁がどこまでこの預言を知っているのか定かではありませんが、石貨や石像を狙った破壊工作は、いわば『世界の基盤』を崩す企みとも言えます。彼らは石という要素を用いて社会を混乱に陥れ、或いは新しい秩序を作ろうとするのかもしれません」


 レオンが口を挟む。


「リオンがいなければ、彼らの計画がスムーズに進むってことか?」

「もしかしたら、あなたの力を利用しようとしたり、逆に排除しようとしたりしている可能性がありますね……それこそ、もう一人の石操作使いがいるという噂があるでしょう? 『レイラ』とかいう少女でしたか。彼女が暗礁側についたなら、預言の『破壊』部分が大きく現実味を帯びてしまう」


 リオンはレイラという名を聞いて身を強張らせる。

 まだ直接会ったことはないが、闇の気配を感じさせるその名を、路地裏で交わされた囁きや風の噂で何度か耳にしていた。

 自分と同じ力を持ちながら、真逆の方向へ突き進んでいる存在――背筋が寒くなる思いだ。


「俺は、彼女を止めなきゃいけないのかもしれない。もし石操作同士で衝突したら、どうなるのか見当もつかないけど……」


 リオンがこぼすと、セラフィーナは眉を寄せながらも、少しだけ励ますように微笑む。


「彼女と対峙することになったとき、どうか自分の意志を貫いて。私は祈りながら、あなたを支えたいと思っています」


 聖石の間に差し込む光が、球状の石を淡く照らす。

 まるで神秘的なオーラがリオンの手元にも宿るかのように見えるが、同時に「もしこの力を誤って使えば大惨事を招く」というプレッシャーが増していく。

 それでもリオンは、セラフィーナの温かなまなざしと、この聖石の静かな輝きを胸に焼き付け、「俺はやるべきことをやる」と小さく息を整えた。


 ◇◇◇


 翌日、王都では妙な噂が広まった。

 倉庫街で『暗礁による破壊工作の未遂事件』が起きたというのだ。

 石材が大量にある倉庫の一角に不審者が侵入し、何らかの装置を仕掛けようとしていたらしいが、警備に見つかって逃走したという。

 しかし、不審者の目撃証言の中には「リオン・アルドレアによく似た若者だった」というものが含まれており、これが王都の噂話を一気に沸騰させる火種となる。


「倉庫街にリオンが?」

「暗礁とグルで破壊しようとしたんじゃないか?」

「いや、そんなバカな。彼は職人街を助けてたじゃないか!」

「でも、石を操れるなら、倉庫の石材を一気に崩せるんじゃ……?」


 職人街でもこの噂は瞬く間に広がり、リオンを支持する若手と、疑惑を深める者で口論が巻き起こる。

 ハーケン親方すら「さすがにリオンに限ってそんなことはないはずだが……」と苦い顔だ。


 リオンとレオンは当然のように身に覚えがなく、宰相府や教会へも「事実無根」と訴えたが、騒ぎは収まらない。

 宰相オレストの下には複数の証言が集まり、教会のギルダンは「やはりあれを異端として排除すべきだ」と息巻いているという噂さえある。


「完全に嵌められたな……。誰かがわざとリオンに似た人物を倉庫街で目撃させてるのか?」


 レオンが眉を吊り上げて憤慨する。

 リオンは憔悴した顔で、「宰相府に誤解を解きに行かなきゃ……」と呟くが、このままでは何を言っても『言い訳』にしか聞こえない危険がある。


 そんなとき、異端審問官ギルダンから「倉庫街襲撃未遂の捜査協力に応じろ」との命令が届き、リオンはレオンと共にやむなく教会内の捜査室へ向かうことになったのだった。


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