第3章 職人街の交錯――新技術と暗礁の影(2)
一連の作業がひと段落すると、工房の外からどやどやと人の声が聞こえた。
「おい、あの石操作の青年がいるって本当か!?」と。
どうやら他の工房や近隣の職人たちにも情報が伝わり、「試しにやってくれ」「うちの工事も手伝ってくれ」と押しかけてきたらしい。
「待て、落ち着けって。こんなに一斉に来られても困るんだよ」
レオンが外へ出て説得を試みるが、職人たちの熱気は収まらない。
住民たちまで野次馬のように集まり、通りはあっという間に混乱しかける。
「リオンさえいれば、王都の大掛かりな工事も一気に進むだろう」
「そんな『魔法』まがいの力に頼って、本当にいい作品ができるのか?」
「でも、世界に通用する大聖堂を再建するとか言うなら、こういう新技術が必要なんじゃ?」
通り一帯で意見が飛び交い、やがて怒声や嘲笑まじりの混沌とした空気が生まれていた。
そのとき、工房の奥からハーケン親方がノミを持って飛び出し、野次馬を怒鳴り散らす。
「騒ぐんじゃねえ! こんな寄せ集めで結論が出るわけないだろうが。大体、こいつだって何でもできるわけじゃねえ。いい加減にしろ!」
その一喝でようやく少し静かになるが、周囲の人々は不満げだ。
新技術を取り入れたい若手や革新的な職人は「リオンをもっと使おう」と主張し、保守的な親方衆は「伝統が崩れる」と反発。
一方で、力を借りたい一心でリオンを引っ張りまわそうとする者も多い。
リオンは「あの、すみません。もう今日は限界で……」と弱々しく訴える。
朝から石を大量に動かした疲労は相当なものだ。
だが、人々の期待は膨れ上がるばかり。
いきなり崩せないほどの社会的圧力を感じて、リオンは息苦しさを覚える。
「悪いが、リオンは疲れてる。これ以上は無理だ。とにかく今日は帰らせてくれないか?」
レオンがリオンを庇いながら言うと、周囲の声も「まあ、そうだよな」「仕方ない」と次第に落ち着きを取り戻す。
「どうせすぐに首を突っ込んでこなくなるだろうよ。こんなの一過性の流行みたいなもんだ……」
ハーケン親方も背を向けて工房の奥に戻りながら吐き捨てた。
◇◇◇
夕刻、リオンとレオンはようやく職人街を抜けて宿に戻ろうとしていた。
初めての大規模な石操作で肉体的にも精神的にも疲れ切っている。
だが、帰路の途中、不意に路地裏から叫び声が聞こえた。
「助けてくれ! 石材が……崩れそうだ!」
「うわっ、誰か倒れてるぞ!」
二人が駆け寄ると、建材置き場らしき空き地で、何本もの大きな石柱が崩れかけていた。
どうやら荷車から降ろす際にロープが切れ、人が下敷きになりそうになったらしい。
二人ほど倒れていて、周囲の職人たちがあわてて引き上げようとしているが、石柱は重すぎてうまくいかない。
「リオン、どうする? お前の力、まだ残ってるか?」
レオンが問うと、リオンは苦悩の表情を浮かべる。
「正直、かなり消耗してるけど……やるしかない」
急いで駆け寄り、石柱に手をかざす。
さっき以上に集中が難しく、頭がくらくらする。
それでも倒れた職人を助けるため、全身を震わせながら少しずつ柱を浮かせる。
なんとか隙間を作り、周囲の人々が倒れた仲間を引っ張り出すことに成功した。
「助かった……! おい、大丈夫か、しっかりしろ!」
周りが安堵の声を上げる中、リオンは激しい息切れで座り込む。
視界が揺れ、冷や汗が滲む。
レオンが慌てて支え、「もう無理だ、休め」と声をかけるが、そのとき、石柱の近くに落ちているものに気づいた。
「ん? これ、仕掛けられてたロープか?」
レオンが拾い上げると、切断面が妙に鋭く、自然に切れたというより刃物で切られたように見える。
それを見とがめた周囲の職人はぎょっと表情を変える。
「まさか、誰かが意図的に……?」
「暗礁の仕業か、それとも単なる嫌がらせか。最近、倉庫街でも妙な破壊未遂が起きてるって噂だしなあ……」
暗礁の名が再び飛び交い、現場は不穏な空気に包まれる。
リオンに感謝する人がいる一方、「こんな事件を引き寄せてるんじゃ?」と陰口を叩く者もいた。
結局、警備兵が来るまでにリオンとレオンは現場を離れざるを得なくなり、帰り道の足取りは重くなる。
◇◇◇
夜、宿に戻ったリオンは布団に倒れ込むようにして横になる。
石操作の大仕事を何度もやったうえに、突然のロープ切断事件まで重なり、心身ともに限界だ。
レオンが手際よく宿の食堂で買ってきた軽い食事を用意してくれたが、リオンはほとんど口をつけられない。
「やっぱり、体力消耗がすごいんだな。無理して大石を動かすから……」
「うん……ごめん、少し休めば落ち着くと思う」
レオンはそれ以上強く言わず、そっとリオンを休ませる。
だが、しばらくしてリオンがぽつりと口を開いた。
「職人街のみんなは、本当に困ってた。あの石像修復を放っておけないし、倒れた石柱だって、もし俺が間に合わなかったら人が死んでたかも。誰かを助けるために使うのは、悪いことじゃない」
「そうだ。俺もあの場面はお前がいて本当によかったと思う。暗礁か何か知らないが、事故を装って多くの命を奪おうとする輩がいるなら、お前の力は防波堤になれるかもしれない」
少しの沈黙の後、リオンは拳を握りしめるように布団の上で身を起こした。
まだ顔色は悪いが、その瞳には微かな意志の炎が揺れている。
「やっぱり俺……職人街の皆がどう思うか分からないけど、少なくとも人を助けたい気持ちはある。暗礁が破壊を狙ってるなら、なおさら俺は対抗したい」
レオンは安堵とも言える笑みを浮かべ、「お前がそう決めたなら、俺も協力する」と力強く頷く。
これまで守りに回っていたリオン自身が、はっきり意思を示したのは大きな前進だろう。
とはいえ、王都の情勢は甘くない。
宰相府、教会、ギルド、そして暗礁――いずれもがリオンの一挙手一投足を見逃さず、何らかの動きを起こすはずだ。
「まずは……ハーケン親方たちと、もう少し話をしてみるよ。荒削りだけでも手伝えれば、職人の負担を減らせると思う。新技術を取り入れるかどうかは、最終的には彼らが決めることだけど……」
疲労の中、決意を語るリオンに、レオンは「わかった、明日からまた動こう」と背中を支える。
やがてリオンは眠りに落ちるが、頭の中には職人街の喧噪と、ロープが切断された石柱の事件がちらついて消えない。
暗礁の陰謀かどうかは確証がないが、少なくとも誰かが『混乱』を起こそうとしているのは間違いないのだ。
◇◇◇
王都の路地裏で、一人の少女が暗闇に溶け込むようにして佇んでいた。
銀色の髪を束ね、冷えた瞳を持つレイラ・アステリス。
彼女もまた『石を操る』力を宿しているが、それは破壊衝動を伴い、暗礁の意図に近い行動をとりつつある。
「リオン・アルドレア……職人街でちょこまかと人助けとはね。そんな甘いことしていて、石の真の力を解放できると思ってるのかしら」
レイラの唇が微かに歪む。
彼女の足元には、小さな石の欠片が無数に転がっているが、それらはまるで生き物のように瞬時に浮き上がり、彼女の周囲を回ると、またさっと地面へ落ちる。
「暗礁の奴らは『まだ時期尚早だ』と言うけど、私は退屈なのよ。もっと派手に壊して、石が奏でる『絶望の音』を聞かせてほしい……」
その呟きには狂気にも似た熱が宿り、周囲の者は誰も近づけない。
もしリオンの優しい使い方が『創造』だとするなら、レイラの石操作は対極の『破壊』を体現しているのかもしれない。
「まあいいわ。リオンがどんなに抵抗しようと、いずれ分かるはず。石は創造の道具なんかじゃなく、人の誇りも希望も全て砕いてしまう力になり得るのだってね……」
レイラは薄笑いを浮かべ、夜の路地へと消えていく。
その姿がかき消えた後、地面には軽い亀裂が走り、まるで地中からうめき声が上がるように小さな振動が伝わった。
暗礁の暗い策謀は確実に動き始めているのだった。