第1章 田舎町オルディナ、石の宿命が動き出す(2)
あれから数日もしないうちに、リオンのもとに王宮の紋章入りの書状が届いた。
宰相オレストの名義で、「石を操る力を持つ者はただちに王都へ赴け。国を揺るがす可能性を秘める故、その真偽を確かめる」という、まるで勅命にも等しい内容だった。
ガルドとベルナは当然のように渋い顔をするが、王宮からの呼び出しを拒むことはできない。
リオン自身も、「どんな力かも理解されず、下手をすれば『危険人物』扱いされてしまうかもしれない」と理解していた。
そんな不安な夜、アルドレア商店の奥では、ごく小規模な送別の宴が開かれる。
リオンの旅立ちを聞きつけた近所の人々が、野菜やパン、ワインなどを持ち寄り、『おめでたい』のか『心配』なのか分からない空気のまま、なんとか激励ムードを作ろうとしていた。
「リオン、大変だろうけど、うまくやりなよ」
「王都って広いんだろう? 石操作なんて役に立つかもしれないぞ!」
「あんまり危ない真似しないで帰ってきてね」
その言葉を受け止めながらも、リオンの胸は落ち着かない。
国の秩序を乱すなど、考えたこともないのに、勝手に騒がれているのだ。
宴が終わり、家族が眠りについたあと、リオンは店先に立ち尽くし、闇夜を見上げた。
木々のざわめきが風に乗り、遠くには小さな教会の鐘楼がうっすらと輪郭を見せる。
そこへ、いつも通り剣を持ったレオンがやって来る。
「どうするんだ、リオン。宰相オレストなんて、大物中の大物だぞ」
「行くしかないさ。呼び出しを無視したら、それこそ『反逆』みたいに扱われるかもしれない。でも怖いよ、実際」
リオンは正直に吐露した。
不安や恐怖を抱え込みながら、それでも逃げ出すわけにはいかない。
するとレオンは微妙に視線を逸らしつつ、決意を口にする。
「お前が行くなら、俺も一緒に行く。騎士見習いだが、一応は正式に王国に名簿登録されている。同行の護衛申請くらいは取れるはずだ」
「レオン……でも、オルディナの警備はどうするの? お前がいなくても大丈夫か?」
「ほかに騎士の先輩もいるし、代わりはいくらでもいるさ。お前をひとりで王都に送り込むよりマシだろ。だいたい、子どもの頃から一緒にやってきたんだ。今さら置いていけるかよ」
どこまでも真っ直ぐなレオンの言葉に、リオンはこみ上げてくるものを感じながらも、ぎこちなく微笑む。
二人は星明かりの下で互いに決意を確かめ合い、翌朝には馬車を雇う資金もないため徒歩で王都を目指すことが決まったのだった。
◇◇◇
翌朝、陽が昇る頃、リオンとレオンは最低限の荷物を背負い、両親や友人に見送られてオルディナを出発した。
町の入口から振り返ると、いつもは何でもない家々や畑の風景が、なぜかまぶたの奥に焼き付く。
「本当に行くんだな、リオン。無事に戻ってこいよ」
「王都で大出世して、田舎に戻らないなんて言うなよ!」
「馬鹿言うな。帰る場所はここしかないよ」
そう冗談交じりの声を交わしつつ、二人は歩き始める。
町の人々の想いを背負い、頭の中にはまだ「どうなるんだろう」という不安が渦巻いていた。
旅路は山道や草原を数日かけて進む。
途中、石貨を支払う時にリオンが何気なく『石貨を手招きする』ように浮かせてしまい、それを見た行商人に「増やせるのか?」と詰め寄られる場面もあった。
リオンが焦って否定すると、行商人は失望と警戒の目を向けて去っていった。
そんな小さな出来事でも、リオンには重苦しい気持ちが残る。
「やっぱり王都じゃ、こういう輩がもっといるんだろうな」
「だろうな。お前が本当に石貨を増やせるなら、一瞬で大金持ちになれるわけだし。それを悪用しようとするやつも、そりゃ少なくないだろう」
レオンは険しい顔をする。
リオンの力は決して『大したもの』ではないはずなのに、周囲の想像だけが先行すると、途端に事が大きくなる。
それに巻き込まれる形で、リオン自身も危険にさらされる可能性があるのだ。
「俺は自分の力で通貨を増やせるなんて思ってもいない。けど、世の中には本気でそう疑う人もいるんだろうな」
「気をつけろよ。まあ、俺がついてるからそう簡単にはやらせないけどな」
その言葉に救われる思いと、「それだけじゃ済まないかもしれない」不安が混じり合い、リオンは何度も深呼吸を繰り返す。
旅の道中ですら、石貨の力をめぐる目がそこかしこに潜んでいるという事実が、王都に近づくにつれて重くのしかかってきた。
◇◇◇
旅立ちから数日後、最後の峠を越えた先に見えたのは、巨大な石造りの城壁だった。
まるで山脈のごとく連なるその壁こそ、王都グラン・エテリオンの外郭。
監視塔がそびえ、幾つもの城門が行き交う人々や馬車を取り締まっている。
「あれが王都……」
レオンでさえ息を呑み、リオンは言葉を失う。
門前には検問の列ができ、衛兵たちが『石貨』の持ち込み数や所持証を厳しく確認していた。
行商人や旅人、外国の使節らしき人々が入り混じり、それぞれ書類や封書を提示している。
リオンとレオンが列に加わると、当然のように「通行証は?」と問い詰められ、リオンが宰相オレストからの呼び出し状を差し出すと、衛兵の視線が変わる。
「妙な真似をしたらただじゃ済まさんからな」
不躾な言葉にたじろぎながらも、検問を無事突破。
高い城壁をくぐった先には、広大な石畳の街並みが広がっていた。
大通りの両脇に建ち並ぶ華麗な建物、人の波、馬車の往来……オルディナの静けさとはまるで次元が違う光景だ。
「すごい……人も物も溢れてる」
リオンは圧倒されつつ、通りのあちこちで見かける両替所や石貨管理所に目を奪われる。
王都では石貨を大量に持ち運ぶ者は必ず記録をとられ、通貨の出入りを厳密に管理しているらしい。
もしリオンが本当に石貨を増やせる存在だと信じられたら、どれほど警戒されるか考えただけでも寒気がする。
「よし、とりあえず宰相府に行ってみるか。王都に着いた報告だけはしておいたほうがいいだろう」
レオンがそう提案し、リオンも頷く。
華やかな街並みの奥には王宮の尖塔が見え、そこがこの国の権力の中心地。
リオンのこれまでの人生とまったく違う世界が、いまその眼前に開かれようとしていた。
◇◇◇
王都の地に足を踏み入れたその夜、城壁の裏手でいくつもの影がうごめいていた。
漆黒のフードを被る者、王都の貴族らしき衣装を纏いながらも視線を伏せる者……彼らは低い声で囁き合う。
「リオン・アルドレア……来たか。あの力、どうやら噂ほど大袈裟ではないようだが」
「だが『可能性』はある。石貨を操作できれば、王都の経済は一挙に混乱に陥る。暗礁にとって、利用する価値は十分だ」
「王都を混乱させるには、まず混沌の種が必要だ。あの青年が『破壊』の側に転んでくれるなら好都合。そうでないなら……」
くぐもった笑いが闇に消え、彼らの会話に登場する名詞――『暗礁』。
それは王都の裏社会で囁かれる闇の組織の名だとも、単なる噂だとも言われている。
だが彼らは確かに存在し、石貨の秩序を根底から覆す陰謀を進めていた。
その狙いは、王都の支配か、それとも単なる破壊か。
現状では定かではない。
だが確かなのは、リオンのもつ力が、彼らの計画に深く関わってくるということだ。
昼間の煌びやかな王都とは裏腹に、夜の路地には不穏な足音が響いていた。
◇◇◇
こうして、リオン・アルドレアはオルディナの穏やかな日々を後にし、騎士見習いの幼馴染レオンとともに王都グラン・エテリオンへ到着した。
混迷が深まる中で、リオンの力は『破壊』へ傾くのか、それとも『創造』のために使われるのか。
家族と仲間を守るため、あるいは世界の秩序を保つため、その選択を迫られる日が必ずやって来るだろう。
いまだ小石程度しか動かせないと思われているこの力が、いつしか巨大な運命を引き寄せるなど、誰もが想像だにしていなかった。