誘い
声を上げそうになった口を塞ぎ、けれど音を立てないよう慎重に、ヴァイオレットはその場から逃げ出した。
淑女らしくあれと言われ、またそのように教育もされてきたが、この時ばかりはそれら全てを投げ捨てて駆ける。誰かに見られればはしたないと注意を受ける駆け足で元の学舎まで戻り、壁に身を預けるように蹲った。
(……あんな、あんなの、恥ずかしすぎますわっ……)
あのまま観察していれば、恐らく閨に近い行為が確認できたかもしれない。ヴァイオレットを悪役にするよりも正確に相手方の非を認めさせることができる証拠だったが、それよりもヴァイオレットには刺激が強すぎた。
男女がどういう行為を営むのか、それを見せつけられ、平静でいられるはずもない。
(……いずれはそうなるとしても、でも、……)
はぁっと息を吐いてヴァイオレットは立ち上がり、帰宅するために歩き出した。
学園から馬車で十五分ほど揺られた先にある公爵邸の入口では、何故か父親のウォーレンが待ち構えていた。
「ただいま戻りました、お父さま」
「あぁ、おかえり、ヴァイオレット」
待ち構えられた理由が解らずヴァイオレットが首を傾げながら挨拶をすれば、ウォーレンは軽く口許を緩ませ挨拶を返してくる。
普段より少し気を張っている様子のウォーレンは玄関で話しをするつもりはないようで、そのまま応接室へ案内された。
「待っていたわ、ヴァイオレット」
案内された応接室では王妃マデラインがティータイムを楽しんでいた。先触れを出すよりは、ヴァイオレットに直接話したほうが早いと判断された結果だろう。
けれども応接室に辿り着くまでウォーレンは無言で、ヴァイオレットは状況を全く知らされていなかったため、反応が少し遅れてしまった。
「お待たせして申し訳ございません」
礼をとるヴァイオレットは「先触れを出さなかったのはこちらなのだから楽になさい」と声をかけられ、ウォーレンと共にマデラインと反対側へ腰かける。
「今日はね、お茶会のお誘いに来たの」
「お茶会、ですか?」
貴族の女性はお茶会の場で情報や噂を交換し、それを家に役立てることも一つの仕事と言えた。けれども正式なお茶会の年齢は成人を迎える十五歳からとされ、それまでは身内の集まりのような小さなお茶会にしか出席できない。
例外は王族の婚約者が、王家主催のお茶会に参加することで、もちろんヴァイオレットはラルカの婚約者として何度か招かれていた。
しかしそのお茶会は先月開催されたばかりで、一体何のお茶会だろうかとヴァイオレットは問い返す。
「えぇ、何でもラルカが主体になって開催するらしいのよ。ヴァイオレット、貴女も聞いているのではなくて?」
扇で口許を隠しながらこてりと首を傾げるマデラインに、状況はすでに知られているのだろうなとヴァイオレットも扇で口許を隠し答えた。
「わたくしは何も聞いておりません。もしかしたら驚かせるつもりなのかもしれませんわ」
内緒どころか、ヴァイオレットを呼ぶつもりもないのだろうが、そこは口に出さず、笑みを深める。
わざわざこちらから不利になるような情報を与える必要はなく、またヴァイオレット自身もまだ何も決めきれていないのだ。隠せる段階ならば隠しておくことに越したことはない。
「まぁ、そうなの? だったら、あたくし余計なことをしてしまったかしら?」
答えにくいことをさらっと聞くマデラインに「中身までは知りませんから大丈夫ですわ」と返しつつ、マデラインが介入してこようとしている理由を思い浮かべた。けれどもお茶会でしか話さないマデラインのことはあまり知らず、後でウォーレンに確認しておこうと切り替える。
第二王子フィーカもマデラインの子供であるため、王位継承権で揉めることは大きくないはずだ。ラルカには公爵、フィーカには侯爵と、後ろ盾につける爵位も分けられている。
(……考えないと思うほど、考えてしまうものよね……)
マデラインもしつこくヴァイオレットに問うこともなく、待ち構えていたわりにあっさりと帰っていった。
だが、さすが王妃と言うべきか、ラルカ主体だというお茶会の招待状は家令へと預けられていたのである。