王妃マデライン
マデラインはクリペレアン帝国の六大伯爵の一つ、リゼアレイの次女であった。
野心のない平凡な両親が、何故マデラインを王太子の婚約者に推薦したのか未だ不明である。
当時の情勢を見ても公爵家や侯爵家から婚約者を選べなかったわけではないのに、婚約者候補を飛ばしてマデラインは王太子の婚約者となっていた。
王家の婚姻ともなれば政略結婚であり、そこに恋愛要素は絡まない。むしろ絡ませてしまっては、国という機関を動かしていく同志として、判断を誤る恐れもあった。
順調に婚約期間は過ぎ、王太子は国王となり、やがて婚姻を結んで二人の子宝に恵まれたが、相変わらず恋愛感情は浮かばない。もちろん嫌悪するような間柄ではなく、それなりに良好な関係は築いてきたつもりだ。
大きな挫折もなく生きてきたマデラインはこのまま次世代へ引き継いでいくのだと考えていたが、挫折なき人生は存在しなかったのである。
長子ラルカが五歳を迎えた頃から始まった婚約者選びで、婚約者が決まる度ラルカが婚約破棄してしまうのだ。正しくはラルカが婚約者の令嬢に暴力や暴言を吐き、婚約者の保護者から婚約破棄を伝えられるというものだったが。
何度か婚約破棄が続いた辺りでラルカに話しを聞いてみるも「好きで王子になったんじゃないから、ぼくはこんやくなんかしない」だとか「かのじょたちは王子ってことしかみてない」と言うだけで、明確に婚約破棄をしたい理由はなかった。
王子について、国王について、そして国については教えてきていたつもりだったが、ラルカは全く理解していなかったのだとマデラインは茫然としたことを覚えている。
攻防戦は五年も続き、年齢の釣り合う令嬢も多くいたはずが、もう後には引けない状況になっていた。この時残っていた令嬢が、王弟が婿入りしたブラッドレイン公爵家のヴァイオレット一人であり、血縁の近さから候補にすらならなかった令嬢である。
すぐさま王命でヴァイオレットを婚約者に指名した。どんなに恋愛小説が流行しようと、近隣他国の王族が恋愛結婚しようと、クリペレアン帝国ではまだその下地すらない。そのため六大伯爵までの貴族との婚約は必須だった。
ブラッドレイン公爵家にはヴァイオレットの婚約が整うところだったと抗議を受けたが、マデラインも形振構っていられない。王弟ウォーレンがいるのなら、王族としての役割りは理解しているだろうと、半ば脅して納得させた。
ラルカにもヴァイオレットと上手くいかなければ婚約は保留にすると伝えることで納得させ、あの手この手でヴァイオレットに迷惑をかけるラルカを叱りながら、何とか婚約を続けて四年。
学園に入学して二年目、ラルカはとある令嬢と出会い、恋愛に傾倒していった。報告者によればヴァイオレットの噂を流し、婚約破棄を目指しているらしい。
(……上手くいかなくなったら婚約は保留にするって話、忘れてしまったのかしら……)
婚約自体が王命であることをラルカには明かしていなかったが、ラルカから婚約について申し入れがあれば対応するよう準備はできていた。
むしろあまりに暴言が多いため、ヴァイオレットを解放したほうが良いという意見すらあり、王家としても検討している最中である。もちろんまだ確定ではないため外部へ漏らさないよう徹底させた。
噂程度であればヴァイオレットも対処するだろうと彼女が入学してしばらく様子を見ていたが、ヴァイオレットは半年経っても何も対処する気配がない。学園ではラルカを避けるように、それでいてラルカから批難されないよう一人で過ごしているようだった。
(……あたくしですら、学園生活はお友達と楽しく過ごしていたのに……)
徹底して王家の婚約者としてあろうとするヴァイオレットと、それでいてラルカに対処しようとしないヴァイオレットと、二面性がはっきりと感じられる報告にマデラインは罪悪感を募らせていく。
子供二人の人生を王家の勝手で振り回しているのだと強く実感していたある日、ラルカがお茶会を開催すると報告された。
「お茶会?」
どうやらラルカが主体ではなく、入れ込んでいる令嬢が主体となり、けれどラルカの名で王城の中庭を開放するらしい。マデラインとしてはこのお茶会でヴァイオレットとの仲を断つのであればそれも致し方ないと考えていたが、招待状は作成されたもののヴァイオレットには送られていなかった。
婚約者であるヴァイオレットを呼ぶことにラルカが難色を示したらしいと聞いて、婚約者と歩み寄ろうともしないで何甘ったれているのだろうと呆れしかない。
「待っていたわ、ヴァイオレット」
女性物の香水が染み込んだ招待状を持って、マデラインはブラッドレイン公爵家を訪れた。ラルカは当にならないためヴァイオレットへ託そうと考えての行動である。
先触れもなく訪れたマデラインに、出迎えたウォーレンも、学園から戻ったヴァイオレットも、一瞬呆けてから礼をとった。そんな二人の仕種に親子なのだと可笑しくなりながらも、マデライン「先触れを出さなかったのはこちらなのだから楽になさい」と声をかける。
詳細は話さずラルカ主体のお茶会があると告げれば、やはりヴァイオレットは知らされていなかった。それなのに「もしかしたら驚かせるつもりなのかもしれませんわ」と感情のない声色で返され、ぐっと言葉に詰まる。
扇で口許を隠していなければ、歪んだ表情がヴァイオレットに見られていただろう。
「まぁ、そうなの? だったら、あたくし余計なことをしてしまったかしら?」
意地でも見せるわけにはいかず、何とか反論を返したが、ヴァイオレットは流すような返事しかしなかった。まだ十代だというのに貴族というモノを理解している。
(……このまま義娘になってくれたら助かるけれど、それは望みすぎかもしれないわ……)
手応えなくブラッドレイン公爵家を辞したマデラインは、週末お茶会にヴァイオレットが参加したことと、そのお茶会はよく解らないまま終了していたことを報告されることをまだ知らなかった。