【42】その先に満ちるもの(1)
また間があいてしまいました。久方ぶりの更新です。
神官たちに続いて足を踏み入れた大神殿の聖堂内は、思ったよりも人が少なかった。
「両殿下をお出迎えするため、本日に限り一般の信徒や観光客は立ち入りを制限いたしました」
張り付けたような笑みを浮かべた神官が説明する。言われてみれば、聖堂内にいる人影は皆、案内してくれている神官たちと同じ服装だった。その誰もが、突如見出された王女と婚約者であるフェアノスティ王弟に対し、遠巻きにしながら胡乱気な視線を向けていた。
(魔法使い嫌いの国の中枢だものね、ここは)
それでも、メイベルが薔薇色の瞳を向ければ恭しく両手を胸に当て膝を折る。前を歩く案内役の神官たちも、こちらを向いていないときにはいったいどんな表情をしていることか。礼儀をもって接せられているのにこんなにも複雑な気持ちになるなんてと、メイベルはかえって憂鬱になった。
「我が国の王立学院宛に書状を送ってきたバステル神官殿はどちらにおられるのかな?」
「申し訳ありません王弟殿下、私共は両殿下御一行を神域への扉までご案内するよう申しつけられているだけなのです。
神域に入られましたらフェルス神官長様がお待ちになっておられますから」
これ以上話せることはない、ということだろう。
それに、神官長が待っていると聞かされ、メイベルが思わず表情が強張ってしまった。
赤黒い大鷲に似た魔獣の大群に襲われたのは、つい昨日のこと。そしてそれを仕向けたのは、大神殿の神官長の可能性がある。昨日のケッタでの騒動についてベルク兵士長から何らかの報告は上がっているはずなのに、案内役の神官たちから一切言及がないのも不自然に思える。
「メル」
さっき決めたばかりの愛称で呼びかけられ見上げれば、共犯者、もとい婚約者様が意味ありげな笑みを浮かべていた。
「神官長様に会ったら、いろいろ聞いてみようね」
「……そうね、アル」
一人ではないとあらためて感じ、メイベルもふっと笑みを浮かべる。
白い石の敷き詰められた固い床を歩きながら視線を上げれば、ドーム型の天井に白い髪に薔薇色の瞳をした人物が描かれているのが目に入った。
(あれがこの国の神様。ローゼスに魔力を送ってくれている白い妖精……シャルト)
美しい顔立ちに描かれているが、線が細くどちらかといえば少年のような容姿だ。
フェアノスティでも、万物の創造主である妖精王を崇める土地があり、信仰の対象として偶像や絵姿を祀ったりしている。それに、王国に伝わるこの世界の歴史には妖精王が必ず出てくるので、白絹の髪に金の瞳を持つ妖精王の絵姿を目にする機会は結構あるのだ。記憶を辿ると、そこに描かれた姿は性別はどちらともとれるが、年頃は成年であったように思う。
(白っぽい髪だという以外、共通点はないように思うけど)
目線を上げながら歩くメイベルに、隣のレッドがほんの少し顔を近づけて尋ねた。
「メルは、彼からあの大扉の向こうの様子がどんなのかとか、何か聞いてる?」
レッドの言う彼とはローゼスのことで、大扉とは聖堂の最奥にある神域への入り口のことだろう。
ローゼスは、フェアノスティに行く前は神域にいたということや、今の皇王を選ぶ儀式の場にいたことなど、自分のことについては少しづつ話してくれた。だが、神域内の具体的な様子については何も聞かされてはいない。
無言で首を横に振ると、レッドはふむと小さく頷いた。
「あれを潜った後なら、いろいろ話をしてくれるかもしれないよ」
「……?」
レッドの言葉が理解できず、メイベルは戸惑ってほんの少し眉を顰めた。それこそ扉を潜ったら神域に入るのだから、敢えてローゼスからそこにあるものについて説明を受けなくてもいいのではないだろうか。
考えながら黙々と歩を進め、やがて件の大扉の前に到着した。そこには銀の錫杖を手に門の両脇に立つ二人の神殿兵と共に、数名の神官が待ち構えていた。
「お待ち申し上げておりました、王女殿下、並びにフェアノスティ王弟殿下」
神官の一人が、メイベル達それぞれに薔薇のレリーフが刻まれた木札を配っていく。
「神域への通行護符でございます。神域内におられる間は、肌身離さずお持ちになりますよう」
この通行護符を持つ者のみが大扉から神域内へと入ることが出来るらしい。メイベルは飾り紐が付けられた木札の表裏をじっと見る。
(魔道具……じゃない。ただの木札だ)
魔晶石もついていないようだし、特に何の魔力も感じない。黙って手の中のものを見つめるメイベルに、レッドがまた小さく耳打ちする。
「ソレじゃなく、扉の方だね。
危険な術式ではないようだし、そこは心配いらない」
何が、と問わずとも、扉を注視してみればレッドが指摘したのが何なのかがメイベルにもすぐ理解できた。
繊細な文様が彫刻された扉とその周囲にいくつもの魔晶石が埋め込まれている。どうやら、神域の結界内に入るための仕組みの肝心な部分は、この護符ではなくあの扉型魔道具の方のようだ。そこを潜ることで何らかの魔法を付与するのだろう。
「……見ただけで読み取れるの?」
「だいたいは、ね」
言われてみれば、高位魔法使いであった母アシュリーも、メイベルが上手くいかずに悩んでいた魔道具を見ただけでそれに組み込んだ術式の問題点を指摘してくれたことが何度かあった。魔法使いの行使する魔法でも、魔道具でも、見ただけでそこに使われている術式を正確に読み解いてしまう。天賦の才のなせる技というやつだろうか。
全員に木札が配られると、先導の神官が大扉の前に進み出た。
「我らが創世の神、シャルトよ。
貴方様に愛を捧げる子らを、神の領域に迎え入れたまえ」
神官が両手を掲げながら祈りの言葉を唱え、扉の両脇で立っていた神殿兵達がそれぞれ、手にした錫杖の先で扉の縁に触れる。錫杖を伝い魔力の流れが生まれ、扉型の魔道具が起動したのがわかった。いよいよ、王族達と高位神官しか立ち入れない神の領域の中へ入るのだ。その場所はいったいどんなところであるのか、扉の先に何が見えるのかと、メイベルは思わず息を止めてその瞬間を待った。
やがて両開きの大扉が淡く光を放つのを待って、神官たちにより神域への入り口がゆっくりと開かれていった。
「創世神様の許しが降りました。どうぞ、お進みくださいませ」
祈りの言葉を唱えた神官がそう告げて恭しく首を垂れ、メイベル達に進むように促した。
(あ、あれ?)
開かれた扉の向こう側に何か特別な景色が広がっているかと思いきや、そこに見えたのは今いる場所と同じくらいの明るさの聖堂内の続きにあたるであろう空間だった。見た感じで違うのは、こちら側の装飾よりも神域側の方が白が占める割合が若干多いかなというくらいであった。
(いや、ええ? べつに特別ビックリを期待してたわけじゃないけど……にしても、普通すぎない?)
そこには神域内から出迎えにきたであろう数名の神官が待っていて、開かれた大扉を挟んで、神域の内外にいる神官たちが揃って両手を胸に当てて首を垂れて互いに礼をした。それこそ、水面や大きな鏡に映った像を見ているようである。
どうぞ、と再度神官に促され、レッドが背後を振り返って頷く。白銀面を付けた護衛役の二人のうち、まず先にヴィーゴの方が進み出て大扉を潜った。振り返り問題ないと言う意味を込めて彼が頷くと、続いてレッドと彼に手を引かれたメイベルが進み出た。
レッドと並んで神域への境界を踏み越えた瞬間、メイベルは柔らかい紗の布で撫でられたような、微かな感覚を覚えた。扉の魔道具により神域の結界を潜れる効果を直接身体に付与されたということなのだろうが、ただただそれだけで、特に身体に異変は起こらなかった。
正直、大扉が開いた瞬間に神域側からぶわっと澱んだ魔素が溢れ出てくるのではないかと身構えていたのだが、そういうことも一切起こらなかった。むしろ、神域側では澱みが全く感じられなかった。
先ほどまでいた大扉の向こう側にも魔素は漂っておりそれらは澱みを含んでいた。なのに、身体が完全に神域内へと入り込んでからは澱みの気配は感じなくなって、メイベルは逆に困惑する。
(神様の領域内だから清浄だとでも? でも、神域に近づけば近づくほど、澱みは濃かったじゃない。
それになんだろう、魔素が、極端に少ないような気が……)
特使一行の最後の二人、白銀面をつけた護衛騎士とメイドが並んで扉を潜った、その時だった。
ローゼスの身体が、まるで糸が切れたようにカクンと膝から崩れ落ち、隣にいたサリシャが彼を素早く支えた。
(ローゼス……!?)
思わず前に出そうになったメイベルの腰をレッドがぐっと押さえ、隣のヴィーゴに目配せする。だが、進み出たヴィーゴが伸ばした手をローゼスの方から拒んだ。支えていたサリシャの手も断り、自らの足でしっかりと立って「失礼致ししました」と居住まいを正して一礼した。
白銀の面で顔を覆ってしまっているため表情が分からないが、ひとまずはふらつかずに一人で立っていられる程度には大丈夫なようだ。
何事かと眉根を寄せる神官らにレッドが声をかけた。
「旅の疲れが出ていて少し具合を悪くしているようだ。
皇王陛下への謁見の前に、少しの間でも休ませてやりたい。
申し訳ないが、休める場所を用意していただけまいか」
「かしこまりました。
大神殿を出てすぐにある建物を皆様のご逗留場所としてご用意してございます。
ご案内いたしますので、どうぞこちらへ」
神官の案内に従い、一行は再び歩き出す。壁際の扉が開かれると、窓のない通路が続いていた。
「……ローゼス、大丈夫?」
少し後ろを振り返りながらメイベルが小声で背後に問いかけると、ローゼスが白銀面の下でふ、と笑ったような気配がした。
「大丈夫です。それよりも………微かにですが、覚えのある香りがすると思いませんか?」
「…………え?」
それ以上は語らずローゼスは再び黙ってサリシャと並んで歩きだし、メイベルも前に視線を戻した。
案内役の神官が狭い通路を進んで行く。彼の後ろを歩きながら、メイベルは静かにすんっと鼻で息を吸い込んでみた。ローゼスが言った通り、確かに覚えのある香りだ。そして────
(なん、で…………?)
慣れ親しんだ、清涼な香りに満ちた風が、驚愕に目を見開いたメイベルの頬を撫でていく。
最後の扉が開け放たれたその先には、青い空の下で陽光に照らされて濃い緑の葉と薔薇色の花弁を風に揺らす、ローゼルムの花園が広がっていた。




