【40】加護を与えられるということ
早朝に国境の街ケッタを出て、一行の乗る天馬馬車は真っすぐ北を目指した。国境添いのケッタは雪景色だったが、さすがは常春の国の首都というべきか、ベーゼに近づくにつれ景色は白から茶色と緑の斑へと変化していった。
眼下を流れていく景色でのみ天馬の駆ける速さの凄まじさが窺える。本来なら低温と豪風に晒されるところだが、馬車の周りは車体に搭載された風魔法でシャボン玉状にくるまれ、外の暴風も音も遮断されているそうで。おかげで振動も音もない空の旅で、馭者台で手綱を握るヴィーゴの髪も靡いてすらない。
馬車の中には、ヴィーゴ以外の四人が乗り込んでいる。ローゼスは最初、ヴィーゴと共に馭者台に乗ると言ったのだが、レッドがそれを止めたのだ。
「ローゼスさんの身体からは妖精の魔力が溢れ出てる。
天馬たちが落ち着かなくなるから馭者台は危ないかも」
実際、ローゼスが馬車に近づいた時、天馬たちは彼の方を見ながら不安そうに耳を伏せていた。そんなわけで、馬車の後ろ側、天馬たちからなるべく距離が取れる方にメイベルとローゼスが並んで座り、対面してレッドとサリシャが乗り込んだ。
室内は広く、大人四人が乗った状態にもかかわらず手狭な感じはしない。さすが王族仕様の馬車である。
「もうすぐベーゼです」
馭者台のヴィーゴが、車内の四人に向けて告げた。
「居眠りする時間もないな」
「あっという間でしたね」
斜め向かいに座ったサリシャの言葉にメイベルが頷く。国境からベーゼまでは本来なら往復一カ月以上かかる道のりだが、行きはレッドの移動魔法を使い、帰りは俊足の天馬が曳く馬車だ。首都を離れていたのは実質一日ちょっとということになる。
だが如何せん、その間にいろいろありすぎた。
「なんだか、薬草店を出たのがすっごく前だった気がする……」
「昨日は早朝から夜までずっと慌ただしかったからね」
「あまり眠れていないのではないのか、メイベル殿?」
「ちゃんと寝ましたよ! 寝たんだからね!」
「え? あ、うん、よかったね?」
顔を見て念を押してくるメイベルに、向かいに座っているレッドは戸惑いつつも頷き、ローゼスは苦笑を漏らした。
そのままふん、と鼻を鳴らして窓の外を向く。
「ベーゼの様子が気になる?」
尋ねられて再び車内に視線を戻せば、まだ見慣れない王弟仕様の青年が小首を傾げて見ていた。
何となくムキになってしまったことが気恥ずかしかっただけなのだが、レッドの言うように留守中ベーゼの状況がどうなったかが気にかかっていたのも確かだ。
「澱みが酷くなってないといいんだけど……」
「そこは、わりと大丈夫かもしれない。昨日の夜、残敵がいないか探索魔法を展開した時も思ったけど、北からくる澱みが薄くなった気がするから」
「そうなの!?」
「うん、なんか僕らがベーゼにいた時より澱みが減ってシャルティアの門が安定してる感じがするんだ。
たぶんだけど、妖精から接触があったんじゃないの? ローゼスさん」
「え……?」
妖精からの接触と聞いて、メイベルは驚いて隣を見た。ローゼスはレッドの問いかけに静かに頷いている。
「実は昨夜、メイベルに危険が迫っていることを教えてくれたのは、彼なのです」
「白い妖精がケッタに現れたの!?」
「貴女が危ないと言って、お二人がいる場所まで導いてくれました。
だからこそ、私達はまっすぐあの場所まで辿り着けたのです」
メイベルとレッドが神殿兵達と対峙していた場所に、三人は宿から真っすぐ向かってきたらしい。それは、ローゼスにだけ聞こえる声で妖精が導いてくれたからだったそうだ。
「白い妖精が現れたのなら、ケッタで浄化をすれば……!」
白い妖精シャルトを浄化さえできれば、神域に乗り込んでいく危険を冒さなくともローゼスの不調の原因は取り除けるのだ。
ずっと探していた白い妖精が姿を現したと聞いてメイベルは驚きつつも希望が見えたと思ったが、レッドとローゼスが揃って難しい顔になった。
「現れたといっても、シャルト本体じゃないんでしょう?」
「その通りです。声を聴いたのは確かですが姿ははっきりとは見えませんでした」
「たぶん、強い思念、いわば分身のようなものを飛ばしてきたんじゃないかな。
ほら、ベーゼを発つ前、僕達薬草店に魔力を通さない結界張って籠ってたでしょ?
結界の外に出たことで、ようやく感知できたローゼスさんの所に思念体を送ってきたんだろう。
もしかしたら、この前ベーゼの状況が急速に悪くなってたのは、結界でローゼスさんの気配が辿れなくなって妖精が荒れてたのかも」
「儀式が失敗したからじゃなくて?」
「妖精シャルトが儀式に姿を現したのも、居場所が掴めなくなったローゼスさんを探して来いって言うためだった可能性もある。
狂化が進んで妖精の理性も崩壊しつつある状態だ、充分あり得るね。
思念体であるとはいえ、加護を与えているローゼスさんにケッタの街で接触できたことで、妖精が少しだけ安定したのかもしれない」
「こんな言い方していいものかと思うけど、なんか、熱狂的なファンか、執念深いストーカーみたいに聞こえる……」
メイベルの喩えにレッドが「あぁ~」と言いながら苦笑する。
「妖精から強い加護を受けるっていうのは、つまりその妖精に愛されてるってこと。悪く言えば執着されてるってことだから」
「執着……」
「一つ確認したいんだけど。ローゼスさんは自分の意思でシャルティアを離れたの?」
「……そうとも言えるし、違うとも言えます」
レッドの質問に、憂いの滲む表情でローゼスは答えた。
「彼は、神域内で過ごしていた頃の、数少ない友のひとりでした。
特定の場所でというわけではなく、私が一人でいるとき近くの泉などに呼び寄せられ、そのたび互いの話相手になっていたのです。
そうして過ごしていたときは、まさか彼が、シャルティア皇王に加護を与える存在だとは思いもしませんでした。
そして、十八年前のあの日。
現皇王の選定の儀が開かれた際、私も……その場におりました」
目を閉じて脳裏に浮かぶ、白い地下空間での出来事。ローゼスは閉じた瞼を開き、藤色の瞳を静かにレッドに向けた。
「前例のないことが数多く起きた儀式の末、本来現皇王が受けるはずだった加護が、私に与えられてしまいました。
私の身を護るため、シャルトが道を開いて、私をフェアノスティにいたアシュリー様のもとへと逃がしてくれたのです」
「妖精の道の魔法か。なら、ローゼスさんと離れることになる今の状況は、シャルトの意思でもあったわけだ」
「はい。
ですが、シャルティアに戻らず、アシュリー様とメイベルの傍に居続けたのは、私自身の意思です」
「……なるほどね」
決意を込めた表情になったローゼスに、少し間を置いてレッドは頷いた。
どこか納得した様子のレッドに、メイベルが「なるほど?」と尋ねる。
「なんでここまで妖精が持ちこたえたのか、気になってたんだよ」
「持ちこたえた、って?」
「妖精から受ける強い加護はその妖精に愛されてるってことだって言っでしょ?
妖精は本来、加護を与えた人間とは離れたくないものなんだ。下手すると、離れることで自我を壊してしまいかねないから。
そして門番であるシャルトは、シャルティアの門の傍からも離れることが出来ない。
ローゼスさんをフェアノスティに送り出すっていうことは、加護を与えた者との離別に他ならない。
それを分かっていてもなお、シャルトは自分の意思でローゼスさんをシャルティアから送り出し、その後も魔力を与え続けた。
しかも、その状態を十八年も維持して完全に狂化することなく、かろうじてではありそうだけど現在もまだ自我を保っているんだ。妖精自身の固い意志の力と、ローゼスさんへの強い想いがあってこそだろう。
だからこそ、強い加護を与えられたままのローゼスさんは、シャルト以外からの魔力を受け付けられない。
ローゼスさんの中のシャルトの加護が、無色の魔力ですら拒んじゃうから」
「本当に、ローゼスは白い妖精から大事に想われてるんだね」
レッドの言葉に、メイベルはストーカー呼ばわりしたことを心の中で深く謝罪した。
「アシュリー様も、私になんとか魔力を譲渡できないかと手を尽くしていろいろ調べてくださいましたが、解決には至りませんでした。
そうしているうち、シャルトから送られる魔力に澱みが酷く混じるようになりました。
本当は私独りでシャルティアに来るつもりでしたが……」
ローゼスは隣のメイベルへと視線を移すと、彼女のちょっと拗ねているような表情に苦笑した。膝の上に置いたメイベルの手に、自分の手を重ねてぽんぽんと宥める。
「一緒に方法を探そうと、メイベルと約束しましたので。
それに、私の願いを叶えるために独り苦しんでいるであろう友を、そのままにはできません。
なんとかしようとシャルティアに来たものの、私の存在も、メイベルが生まれていることも、できれば皇王達には知られたくなかった。
ですから、神域に近寄らないままでもなんとかシャルトに接触する方法はないかと考えました。
水辺でよく姿を見たことから、メイベルが浄化した場所で私が呼べばシャルトが来てくれるのでは、と」
「だから旅の途中やベーゼにある水辺を片っ端から浄化して回ってたのか」
「そう。地道にやるしかないよねって。でも結局、妖精は現れなかったの。
やっぱり、浄化するには神域に入るしかないんだよね。
この際だから、ケッタでやったみたいに広範囲浄化魔法を掛けるとかは?」
「それも難しいと思うよ」
レッドが馭者台に居るヴィーゴに首都ベーゼの上空を旋回するように頼む。
レッドに促されて覗いた車窓からは、まだ早朝の域を脱したばかりの首都の街並みが見えた。石造りの建物が密集した市街地と、その区画の東西のほぼ中央の位置にありひと際目立つ大神殿の半球状の大屋根、そして大神殿を円周の一点とした広大な円形の森。大小の宮殿が点在するその森のすべてが、神域と呼ばれる区画である。
ベーゼ到着以降、メイベルは自分の足で市街地から神域の外周ギリギリの部分までは歩いてきた。だがこうして上空からベーゼの全域を見渡してみると、いかに神域が広いか、そして自分が知るベーゼは都市全体の三分の一に満たない狭い範囲でしかなかったことがよくわかる。
「こんなに……広かったの……?」
「歩いてみただけじゃ、街全体の規模ってわかりにくいよね。入れない場所があるんじゃ尚更だ。
さすがは一国の首都。都市部分だけでも、ケッタの数倍はある。それ以上に神域は広大だ。
この広さに独りで浄化魔法をかけるのは、魔力量的に言っても無理がある。確実に魔力切れを起こして昏倒するから。
やるなら森のエルフを総動員でもしないと」
先日、ケッタの郊外で使った規模の浄化魔法なら、メイベル自身豪語したように一晩で魔力が回復できるほどの消耗で済んだ。
だが今眼下に広がる神域の森を見ながら、メイベルは自分が言った先ほどの案は実行不可能であることを認めるしかなかった。
「私も、レッドくんみたいに魔力循環型だったら、魔力回復しながら広範囲浄化も出来たかもしれないのに……」
「もしそうだったとしても、やっぱり独りじゃ無理だと思うよ」
残念そうにするメイベルに、レッドが「駄目だからね」と念を押す。
「……わかってる」
「魔力切れで昏倒するの、かなり苦しいんだから。目覚める確証だってないんだよ?」
「わかってるってば」
「それに、神域の周囲には結界が張られてる。あれは物理防御と魔法防御、両方のやつだった」
「外からの魔法を遮断しちゃうんじゃ、神域外で浄化魔法を使っても駄目か……」
やはりどうあっても、神域内に入ることが不可欠であるようだ。
眼下に広がるベーゼの景色を見ながら、メイベルは決意を新たにするのだった。




