【21】閉ざされた扉
建国から二五〇年、シャルティアを支え続けてきた十二氏族は、七つは国の南側、残り五つは北側に拠点がある。
首都ベーゼを含む南部地域は街道を行き来する旅人や隊商の中継地兼交易の場として古くから栄えてきており、どちらかというと商人気質の者が多い。
対する北部地域は、氏族数も少なく国土に占める面積も狭いのだが、質の良い鉱物が多く産出し武具の生産が盛んなのに加え、古くから軍馬の飼育にも力を入れていて、武を誇る傾向がある。
国民全体の精神的支柱としてシャルト神殿の教えがあり、軍事面は北部氏族、経済と交易は南部氏族が主に担い、国の大まかな方針については皇王と十二支族長による大会議で決める。そうやって、シャルティアという国は動いてきた。
代々の皇王は十二氏族それぞれから一人ずつ妻を娶って子をもうける。生まれた王の子供たちは皆、瞳の色が創世神シャルトと同じ薔薇色で、それこそ皇王の血筋の証でもあるとされていた。その子らの中で創世神シャルトに選ばれた者が次代の皇王となる決まりだ。
現皇王は名をカイルゼン・マルタラ・シャルティアといい、母である先王妃は北部のマルタラ氏族出身であった。
マルタラ氏族は北部でも最強の軍事力を持つ。シャルト神への信仰心が厚いことで知られ、代々の皇王にはマルタラ出身者も多くいる。
カイルゼンは先代皇王の十六番目の王子で、マルタラ氏族から先王に嫁いだ妃の第三子だった。幼少期から文武両道で、誰にも分け隔てなく接し微笑みを絶やさない彼は人望もあり、常に人に囲まれていた。二人の実兄でも、他の年上の王子達でもなく彼が皇王に指名された時も、誰も意を唱えることがなかったほどだった。
他国、特にフェアノスティ王国に対しては公費での留学を取りやめるなど先代までよりも頑なな姿勢を取っているが、その一方で、国内に向けては民意に添う政治を行い、神殿にも自らの私財で寄進をするなど、民からの人気は高い。
その日、皇王カイルゼンの第一子である王子がシャルティアの成人年齢である十七歳を迎えるのに合わせ、次代の皇王を決める選定の儀が大神殿地下の継承の間と呼ばれる空間で執り行われることになっていた。
選定の儀は、現皇王と、その子供たちが揃う中、大神殿の神官長の主導で行われる。神官長が創世神の降臨を願うと、継承の間中央にある泉に創世神シャルトが姿を現し、次代の皇王を指名するのだ。
姿を現すといっても、実際に創世神の姿を見ることが叶うのは儀式を行う神官長と、現皇王、および選ばれた次期皇王の三名のみで、臨席した他の者達の目に映ることはないのだという。
代々、王の第一子が成人したタイミングで最初の選定の儀を執り行うことになってはいるのだが、その際に王の指名があるとは限らない。次を担うに足ると創世神のお告げがもたらされるまで、毎年繰り返し選定の儀を執り行うのだ。
また、第一子が次の皇王として選ばれるとも限らない。王の子全員が儀式に参加するのが許されていて、臨席していた幼い王子が次代に指名されたこともあるのだ。
実際、現皇王カイルゼンは先代が執り行った三度目の儀式で次代に選定された。最初の二度の儀式の際には彼が他国に留学中で選定の儀に臨席しなかったため創世神のお告げがなかったのではないか、というのが神官長他高位神職たちの見解であった。
「────というのが、選定の儀の流れになります」
皇王の執務室にて、神官長であるフェルスから今日の儀式の最終説明を受けながら、カイルゼン皇王は窓から見える神域の景色を眺めていた。
臣下や妃たちの前でいつも見せている柔らかい微笑みは消え、その表情には翳りが見える。
「陛下? 何か疑義でもございましょうや?」
フェルス神官長が皇王の背に問いかける。彼もまた、マルタラ氏族の中でも有力な家の出身者だ。
「……ああいや、十八年前の、自分が王子として臨席した日のことを思い出していたのだ」
「左様でございましたか。
あの時は、大変でございましたな」
「ああ……」
十八年前、当時十七歳だったカイルゼン皇王は、留学先から呼び戻されて選定の儀に参加した。
その際、継承の間にある泉に異変があり、カイルゼンと他一名の王子が泉の中に落ちると言う珍事があった。創世神の力の宿るとされる泉は大きさも深さもさほどではないはずだが、二人の王子の身体は完全に泉に引き込まれ姿が見えなくなった。
儀式の中断をし王子捜索に当たろうと皆が動き出そうとした矢先、泉からカイルゼン王子が再び姿を現した。
ずぶ濡れになったカイルゼンは引き込まれた先で創世神に会ったと証言し、後日改めて行われた選定の儀で正式に次の皇王として指名された。
カイルゼンと共に泉に落ちたもう一人の王子は戻ることはなく、異母弟を失ったことを悲しんだカイルゼンが即位後神域内に慰霊の碑を建てたというのは、シャルティア国民なら皆知っていることだ。
「前代未聞のことではありましたが、すべてはシャルト神の御導き。
巻き込まれお亡くなりになった王子殿下のことはお気の毒でしたが、陛下がご自分をお責めになることはございません」
「…………」
「此度は予定通り、恙なく儀式を執り行えることでしょう」
「……継承の間へ、参ろうか」
「はい」
フェルス神官長を伴いカイルゼン皇王が継承の間に到着すると、すでに十二人の王の妃に伴われて第一王子や彼とひと月ほどしか生まれが違わない腹違いの第二王子、それからまだ生まれたばかりの乳飲み子まで、すべての王子王女が集まっていた。我が子が次の皇王として選ばれるかもしれない大舞台だ。どの妃も出身氏族の栄華を象徴する存在としてここぞとばかりに着飾り、選定の儀が行われるその瞬間を今か今かと待ち構えているのだ。
継承の間は円形の空間で、天井や壁、床までもすべて乳白色の石でできている。八方に設置された魔法の灯りで照らされた室内は、地下空間とは思えないほど明るい。王族でも儀式の際にしか入れない場所に、幼い王子や王女は歓声を上げたりあちこちを珍し気に眺めたりしていた。中にはこの場に満ちた何かを感じ取ったのか母の袖を引いて息苦しさを訴える子もいたが、どの妃もそれどころではないと静かにするように言い含めるばかりだ。
やがて、泉のほとりに作られた祭壇にカイルゼン皇王とフェルス神官長が並び立ち、儀式の開始を告げた。
最上段に登った神官長が両手を掲げ、創世神シャルトの降臨を願う祈りを捧げる。創世神の姿は皇王達一部の者にしか見えないとはいえ、神への敬意を表すため、皇王と神官長以外にその場にいる者は神官も王族も皆一様に膝を折り首を垂れる。
そしてついに、神官長の口から次代の皇王の名が告げられて儀式が完了する────はずだった。
次期皇王の名前が一向に告げられないことに訝しんだ者たちが一人また一人と顔を上げ、一様に息を呑む。
祭壇の向こう、先ほどまで透き通るようだった泉が王族の持つ瞳の色、早咲きの薔薇のような濃く鮮やかな赤に染まっていたのだ。
そしてもっと驚くことに、泉の中央には、白く光る髪と身体を持った何者かが姿を現していた。
カラン、と甲高い音がして、壇上にいるカイルゼン皇王の手から王の象徴である錫杖が落ちた。
王族に背を向けているためその表情は窺い知れなかったが、いつも堂々としている自分達の皇王が動揺にその身を震わせているのは感じ取れた。
皆の視線が集まる中、泉の上に出現した者がゆっくりと瞼を開いた。その瞳もまた、王族達と同じ、濃い薔薇色だった。
「創世神……さま……?」
幼い王子が思わず呟いた言葉に、隣にいた妃が咄嗟にその小さな口を自らの手で覆って閉じさせた。
徐々に、神官や王族達にざわめきが拡がっていく。
皇王と神官長、そして次なる皇王に選ばれた者にしか姿が見えないはずの神。
王子だけに見えるのなら我が子が次の皇王だと喜ぶところだが、妃自身の目にも、そしてどうやら周囲のものすべての目にもその姿が映っているようだ。
これはただならぬ事態が起きているとその場にいた誰しもが考えた時、頭に直接響くがごとく声で、創世神と崇められる妖精が語り掛けた。
──此処ニハ真ノ王トナルベキ者ハイナイ
──正統ナル王トソノ後継者ヲ連レテ来ルガヨイ
ざわめきはますます大きくなっていく。
創世神たる妖精シャルトが皆の前に姿を現したことも驚愕すべきことだが、それ以上に告げられたことに動揺が広がる。
皇王カイルゼンの子はすべてここに集っている。この中に次なる皇王となるべき者がいないとなるとはどういうことか。
混乱する人々に、再び妖精の声が届く。
──此処ニハ真ノ王ハイナイ
──正統ナル後継者ヲ連レテ来ルガヨイ
妖精の言葉と共に、継承の間の中に風が巻き起こる。それは次第に強くなり、立っていられぬほどの暴風へと変化していった。風にあおられた人々が混乱しながら我先にと地下空間から外へと繋がる扉を目指して押し寄せる中、護衛の兵士達に護られながら皇王カイルゼンも継承の間から外へ出る。
扉を抜ける瞬間に振り返った皇王と、妖精シャルトの視線が真っすぐぶつかった。
──真ニ王タル者ヲ、連レテ来ルガヨイ
最後の一人が地下空間を出ると、驚愕に目を瞠るカイルゼン皇王の眼前で、暴風吹き荒れる継承の間へとつながる扉はひとりでに閉じたのだった。
「いったいどうなっているんだ!?」
「選定の儀に創世神様が皆の前に姿を……こんなことは初めてだ!」
「これは吉兆か!? それとも……」
「今ここにいないと仰るなら、まだ生まれてもいない王子や王女が、次期皇王だとでも?」
大神殿地下の継承の間から逃れて、皇王殿大会議室に移動した十二支族の長たちが様々な意見を述べる中、首座に座ったカイルゼン皇王は血の気が失せた顔で押し黙ったままだ。
何も言葉を発しない王を横目に見たフェルス神官長が、各氏族長に静かに声をかける。
「どうか皆さま、落ち着いてください」
「しかし、神官長様、これは……」
「前例のないこと故、困惑されるのも無理はございません。
ただ、創世神様が我々信徒の前にああして御姿を見せてくださったのには、何かしら意図あってのことでしょう。
今はまず、先の出来事から創世神様の御心を汲んで、今後どうしていくかを考えねばなりません」
「正統なる王と、後継者か……」
氏族長たちがそれぞれ、無言を貫く自分達の皇王を見る。その中の幾人かは王族特有の薔薇色の瞳の持ち主で、カイルゼン皇王の異母兄弟でもある。
「皆も、見たのだな。創世神の姿、顔を……」
「ええ、見ましたが……」
「どう、見えた?」
呟くように零したカイルゼン皇王の言葉に、氏族長たちは顔を見合わせる。
「神殿にある創世神様の像とよく似ておられましたな」
「いやむしろ逆か。創世神様の御姿に似せて像や絵は作られているんだからな」
「陛下は、十八年前の継承の際にも、創世神様とまみえられているのでしょう?」
氏族長たちの問いには答えず、カイルゼン皇王は再び沈黙してしまった。
再び氏族長たちが思い思いの意見を述べ始めたところでパンパンと手を打つ乾いた音がして、皇王以外の視線がフェルス神官長に集まった。
「皆様、今日はたくさんのことが起こりすぎました。
我々神殿としても、神の言葉の意味するところをどのように解釈するか、意見をまとめるお時間を頂きたい。
本日のところは一度お帰りいただき、日を改めて今後のことをご相談されるということにいたしませんか?」
神官長の言葉に、氏族長たちはそれぞれ思うところはあるものの互いに顔色を窺いながらも頷くと、ぞろぞろと大会議室を出て行った。
見送ったフェルス神官長はカイルゼン皇王に視線を向けた。
「下級神官からの報告では、継承の間へと続く扉は固く閉ざされてしまっているとのこと。
このままでは、再度選定の儀を開くこともままならない。
何事もなければ今頃は、無事にマルタラ妃の第一子を次代皇王と宣言して立太子式の準備をしているはずでしたのに。
まさか本当に妖精が姿を現してしまうとは……面倒なことを引き起こしてくれたものだ」
「私は……」
「どうも今日は朝から御心が晴れないご様子。
もしや、過ぎし日の出来事を振り返りでもされたのですか?」
「…………」
「私の目には、かの御姿は大聖堂の壁画のご尊顔とよく似ておられたように映りましたが……
陛下の目にはどのように見えたのでしょう?」
最後の問いかけに、カイルゼン皇王の肩がびくりと動いた。
カイルゼン皇王のすぐそばへゆっくりと歩み寄ったフェルス神官長。その手には、儀式の際に皇王が取り落とした王錫があった。
「十八年前のあの日、陛下は自ら選ばれた。
そして、神殿と国の根幹にある真実を知った上で、この王錫を受け取り皇王となられたのです。
そのことをお忘れではありますまいな?」
目の前に差し出された王錫に、カイルゼン皇王は息を呑む。
机の上に組んだ手を甲に筋が浮くほど強く握り、しばしの逡巡の後震える手を伸ばしてそれを受け取った。
そんな皇王の姿をフェルス神官長は冷たい眼で見降ろし、小さくため息をつく。
「妖精の語ったあの言葉の意味……正統なる後継者、とは、いったい誰のことを指すのでしょう。
陛下はどのようにお考えで?」
「留学中、あれと親しくしていた者がいた。黒髪の、魔法使いだった。
子がいるということかもしれん……」
「……なるほど。調べてみる必要はありそうですな。
では私は大神殿に戻り、神官を集めて今後のことについて協議をしてまいります。
陛下は神の国シャルティアの皇王、もっと御心を強く持っていただかねばなりません」
「……わかっている」
皇王の返事を受け、フェルス神官長は大会議室を出て行った。
独り残されたカイルゼン皇王は、手にした王錫の冷たさに耐えかねたようにそれを机の上に置き、両手で顔を覆った。
カイルゼン皇王の脳裏に、継承の間で見た妖精の顔が浮かぶ。
──真ニ王タル者ヲ
顔を覆う指の間から覗いた薔薇色の瞳が濁っていく。
「テオ……」
皇王が呼んだその名が誰のものなのか、その声に交じる感情がなんであるのか。
理解する者も慮る者もなく、ただカイルゼン皇王の消え入りそうな呟きだけが広い大会議室に零れ落ちた。




