【19】魔法使いの安息の地
「あらメイベル、いらっしゃい!」
メイベルがマルゴ&メリー商会ベーゼ支店を訪ねると、いつも通り支店長のナルシーが明るい笑顔で迎え入れてくれた。
「こんにちわ、ナルシーさん」
「薬草の納品?」
「はい。あと、先日宿の方を紹介した三人組の件でお礼とお詫びをと思いまして。
ご迷惑をおかけしました」
「いいのよ、全然問題ないわ。
それに小神殿での騒ぎ、聞いた。体調崩してる人を門前払いしたって」
「信徒でない者に治癒を使ってくれないのは彼らも知っていたようなんですが、一か八かで掛け合ってみたそうで」
「そうだったの」
そこで一度言葉を切ると、ナルシーは手を口元に持っていき小声で尋ねた。
「心の狭い神様、って言ったんだって?」
「ええ、あの……はい」
「それね、シャルティアに来た外国人ならちらっとは思うことよね……口に出さないだけで」
「はは……」
声のトーンは落としているとはいえ、こんな話ができるのは支店の従業員が皆信徒でもシャルティアの民でもないかららしい。
「今はその旅人さんたちはメイベルのおうちにいるの?」
「はい、うちで薬草茶を飲んで療養されてます。
話を聞いたら良く知っている人の知り合いだったようで、これも縁かと思って」
「そう……貴族の方っぽかったって聞いてるけど、大丈夫?」
「思ったより、気さくな方々で。
ご心配、ありがとうございます」
「あの後、前より街中で神殿兵の姿を見かけることが増えたわ。
気を付けた方がいいわね」
「……分かりました。それでは今日はこれで。
ありがとうございました」
「何かあったら、ちゃんと相談するのよー?」
ぺこりとお辞儀をして支店を出る。
通りを歩けば、確かに以前より神殿兵の数が多い。例の小神殿前も通ってみたが、立っている神殿兵も増え、なんだかピリピリした雰囲気も感じた。
(こりゃ、もうしばらく大人しくしといたほうがいいかもしれないわね)
早く白い妖精を見つけなければと焦る気持ちはあるが、先日普通の民からフェアノスティ人に対しての嫌悪が溢れ出したのを見たばかりだ。悪戯に神殿を刺激してシャルティアにいられなくなったりするのは避けたい。
同じように思ったのだろう、三人の客人達も薬草店の敷地内から出ずに過ごしている。マテオ達も見回りなどで忙しくしているのか最近は薬草店に立ち寄ることもないので、三人を隠したりしなくてすんでその点は楽だった。
(あと数日したら、また街の様子を見に行こう。早く妖精探しを再開しないとね)
考えながら歩いて帰宅し薬草店の勝手口を開けると、長椅子の上でクッションを抱えて丸まった背中と赤い髪が見え、メイベルはため息をついた。
同居生活開始直後、サリシャにあらためて懇々と言い含められたレッドは、腕輪をして家の中に籠って大人しく魔力回復に勤めていた────が、大人しい状態は最初の一日しかもたなかった。
腕輪は外していない。だが、だんだんと落ち着きがなくなり、部屋の中をウロウロ歩き回ったと思ったら、今のように長椅子にごろんと寝転んで無気力状態になる。
(母様の時とおんなじね……)
腕輪をして今日で三日目。
見覚えのある光景に、メイベルは彼の体調回復のため仕方ないとはいえ、少々気の毒には思った。
「退屈だったら、母様の蔵書の魔法書でも読む?」
親切心からそう提案してみたのだが、レッドはこの世の終わりのような悲壮な顔つきになった。
「魔法書なんて読んだらすぐにでもその魔法を試してみたくなるだろう!?」
「あー…………」
それもそうかと、メイベルは軽率な提案をしたことをちょっとだけ反省した。
確かに、自分がもし手を怪我したりして使えない状態のときに読んだことのない魔道具の解説書なんか見た日には、試したくても試せないジレンマで悶えること請け合いだ。
「魔法が使えない今の状態じゃ、そんなの、蛇の生殺しじゃないかっ……!
玻璃越しの子猫、絵に描いた骨付きソーセージ……そこにあるのに手が届かないなんて辛すぎる……っ!」
「骨付きソーセージ、好きなんだ……」
「魔法使いは魔法を使ってこそ魔法使いなんだぞ!?」
「はいはい、我慢するレッドくんはえらいよ」
魔法が使えない禁断症状で例え方もなんだかおかしくなってきている。
長椅子に突っ伏して嘆くレッドの背中をメイベルがぽんぽんと叩いて宥めた。
腕輪を付けさせているのは薬草師としてメイベルが提案したことなので、責任を取る感じで世話係になっているのだが、なんというか終始こんな風でわりと手がかかる。
当然年上の男性感はゼロなので、最初使っていた敬語もすぐに取れてしまい、さん付けはくん付けに置き換わった。
「じゃあ、私の持ってる魔道具の本とかは? それも駄目?」
魔道具師も大まかにいえば魔法使いの類に分類される。
魔道具作りの根幹、魔法陣の作製は魔法の手順を理解して行うからだ。
やっぱ駄目かぁとメイベルが思った時、レッドの耳がピクっと動き、伏せていた顔を上げた。
「見たい。
というか、君が作った魔道具とその魔法陣を見せてほしい」
意外と駄目じゃなかったとちょっぴり嬉しくなり、メイベルは研究資料の一部を持ってきてレッドの前に広げる。
どさっと置かれた資料を前に、レッドが少しだけ躊躇いをのぞかせた。
「言っといてなんだけど、これって他人に見せてもいいモノ?」
「構わないから見せてるんだよ。レッドくんならあんまり他所でべらべらしゃべったりしないと思うし、見たからって普通はそれだけで簡単に理解できるもんじゃないし。
それに、レッドくんは魔道具見ちゃったらそれの術式だって大体わかっちゃうんでしょ?」
「んー、まぁ、ね……」
言いながら、レッドが手に取ったのは一応と思ってメイベルが資料と一緒に持ってきた『魔道具基礎概論』という教本。メイベルが初めて母アシュリーから与えられた魔道具関連の書物だ。
懐かしさを覚えながら、レッドが開いたページに描いてある内容を解説する。
「実行する魔法を図案化して、魔力の循環と収斂を意味する円で囲むのが魔法陣の基本」
「なるほど、魔法の図案化ってこうやるのか。
今まで魔法そのものについてばかり研究してて、魔道具や魔法陣なんかはちゃんと学んでこなかったから。あらためて見ると、面白いな」
「でしょ?」
「泉のとこで被せられた認識阻害の外套。あれも君が?」
「そう。かくれんぼ専用外套『カメちゃん』だよ」
「かめ……」
「カメレオンのカメ」
「……なるほど」
「神殿兵さんたちの持ってる魔力検知器は、ある一定以上の魔力の流れを検知するみたい。
具体的に言うと『ミミちゃん』八個分」
「みみちゃん……?」
「ミミズ型の、土を耕してくれる魔道具」
「…………ネーミングセンスが独特だよな」
「なに?」
「いえ……」
メイベルの指が資料のページをめくり、ミミズ型耕作用魔道具について書かれたところを開くと、内容に視線を走らせながらレッドが感心する。
「それにしても、神殿兵の魔道具についてよくそんな詳しく調べられたね」
「うまいこと協力者をゲットしたのだよ」
「うまいこと言いくるめたって、ってこと?」
「そうとも言う」
その時、何かに気付いたようにレッドが「あ」と声を漏らす。
「ここのとこ。ここはこっちの方が持続運転時間が長くなると思うんだ」
開いていたページの魔法陣の一か所を指差してなぞり、羽ペンで余白にささっと書き込みながら説明したところで、レッドがサッと顔色を変えた。
「ご、ごめん、勝手に……」
「……………………」
無言で魔法陣とレッドの書き込んだ内容をじーっと見ているメイベルに、レッドがますます焦ったような表情になる。
「ほんと、ごめん……僕……」
「………………………………すっごい」
「…………へ?」
「すーごいすごい! なるほどなー! 確かにそっちの方が効率的だよね!」
目をキラキラと輝かせて見てくるメイベルに、先ほどまでの焦りからまだ脱し切れていないレッドがたじろいだ。
「えっと、怒ってないのか?」
「え? なんで?」
「いやだってさ、自分の研究内容にとやかく言われたり、面と向かって訂正されたりするのは嫌じゃない?」
「なんでさ。見せてんだからアドバイスもらえたら嬉しいに決まってるじゃん」
「自分の理論について意見されるの、嫌う人もけっこういるんだよ。
他の魔法使いから研究中の魔法理論について意見聞かせてくれって言われて相談に乗った後、すごく機嫌を損ねたこと、何度もあるし」
それを聞いたメイベルがじーっとレッドの目を見る。
「正解を言っちゃうからじゃない?」
「……え?」
「相手の人の性格とか、その時の言い方とかもあるかもしれないけど。
自分が悩みに悩んで辿り着けなかった答えを一瞬でレッドくんが出しちゃったから悔しかった、ってパターンもあったかもしれないよ、って話」
「あ……」
「さっきのアドバイスは私は嬉しかったし、その考え方で他の魔道具も改良できるかもってわくわくしてる。
でも、場合によっちゃあ怒る人もいるかも。難しいよね」
「そっか、そうかもな……」
レッドは魔法が好きだ。知らない魔法について学ぶのも、新しい魔法や既存技術の応用を考えたりするのも好きだし、効率の良い術式を考え出すのも得意だ。同年代の子と比べれば、魔力量も多く、魔法を身に着けていく速度も早かったし、知識量も並外れていた。それだけに、同年代の子の中に放り込まれる形で入った王立学院ではレッドは異質な存在だった。レッドの生家のせいもあったろうが、理由は間違いなくそれだけではなかった。馴染めなくて早々に飛び級して卒業し、大人の魔法使いばかりの環境に飛び込んでみたが、そこでもやはり周囲から距離を置かれがちだった。近づこうとしてくれた人がいても、しばらく行動を共にしているうちに怒らせたり、離れて行ってしまうので。
(おかげで、僕の周りにいるのは人外級じいさんだけになっちゃったんだよなぁ)
正直、それほど寂しいと思ったことはない。場に馴染めなくて悪いなぁと思っていたくらいだった。
先ほどいつもの調子で意見してメイベルを怒らせたと思った時、すごく動揺してしまったことに自分自身驚いていた。この子もいつか自分に腹を立てて離れていくのかもしれないと思うと、少しだけ胸が痛かった。
認識阻害魔法の外套の資料どこだっけ、と言いながら研究資料を捲るメイベル横顔を見ながら、レッドの顔に笑みが浮かぶ。
カエル扱いされたりして出会い方は独特だったけど、珍しく話が合いそうな同年代の女の子に出会えて浮かれているのかもしれないとレッドは自嘲する。どのみち、今目の前にいるこの魔道具師とは、シャルティアでの仕事が終わったら離れることになるじゃないか、と。
「どしたの、レッドくん?」
「……なんでもない。お母上は魔法使いだったって聞いてるけど、助言をもらったりはしなかったのかな、と思って」
「あはは、お母上なんてガラじゃないけど。
たしかに母様は魔法使いだったけど、自分の研究以外にはあまり興味を示さなかったし。
なんか、親だからこそ自分が書いた魔法陣とか、研究資料の内容とか、見られたら恥ずかしいとか気まずいとか、ない?」
「あー、それは……ちょっとわかるかも」
「ね?」
「明後日、お母さんの蔵書も見せてもらえたら嬉しい」
「見たら蛇の生殺しって、言ってなかったっけ?
ていうか、なんで明後日?」
「神殿兵さんの魔力検知器のだいたいの値を教えてくれたからね、思いついた策を試してみようかと。
これくらいの魔力回復速度なら、明後日くらいにはいけると思うんだ」
「?」
そんな話をしてから宣言通りの二日後、腕輪をしてからだと五日目の朝。
レッドは薬草店にいる面々全員を裏庭に集めた。
「では、ここに我々の安息の地を構築しよう」
「またそんな大層な言い方を……」
「我々、ではなく、其方の、だろう?」
満面の笑みを湛えるレッドに、ヴィーゴとサリシャはげんなり気味な顔になる。彼が何をしようとしているのか、連れの二人は分かっているらしい。
何が始まるのかと訝しむメイベルに魔法使いはニッコリと笑いかけると、見せつけるように戒めの腕輪を外した。
「あっ、ちょっと、レッドくん!?」
慌てるメイベルを「大丈夫だろう」とサリシャが止める。
皆の視線が集まる中、腕輪をローブのポケットにしまうと、レッドは目を閉じ上向き加減になって深呼吸する。深く吸った息をゆっくりと吐く彼の表情は恍惚として、戒めから解き放たれた喜びに満ち満ちていた。
魔法使いは両の掌を向かい合わせ、小さく呪文を唱える。すると掌で囲われた空間に、小さなシャボン玉のような透き通った球体が出現した。
「あれって結界……?」
レッドが展開しようとしている魔法に見当がついたメイベルだったが、そこに使われている魔力が極端に少ないことに驚く。
そうしているうちにも魔法使いの詠唱は続き、ゆっくりとだが確実に球体は大きくなってレッドの身体を、続いて見守っているメイベル達をも包み込む。
やがてレッドを中心に裏庭と二階建ての薬草店の建物をすっぽりと覆うほどの大きさにまで成長した。
球体が十分大きく拡がったのを確認し、レッドは詠唱を完結させる。すると球体は一瞬光った後見えなくなった。
「戦場で、本陣を魔力的に隠したりするための手法だよ。
普通に結界魔法を展開したら、魔力探知できる魔法使いが敵にいた場合、『ここにいるぞ!』って大声で叫ぶようなもんでしょ?
だから、探知不能なくらいに魔力を最小限にして、シャボン玉を膨らますようなイメージでゆっくり展開・拡張して、その一帯を魔力的に隠蔽するんだ。展開時の魔力はミミちゃん八個分より断然少ない魔力量だから神殿兵の魔道具でも反応しないはず。
物理的な物には反応しない結界だから出入りは自由だよ。
あの感じで魔力が回復していくなら今日あたりにはこの家を包むくらいの結界は張れると思ってさ」
「だからあの時、明後日にはって言ったの?」
魔力の回復速度から、結界を張るのに必要な魔力量が戻るのが今日くらいだと踏んでの宣言だったらしい。
「今回張ったのは通常の魔法攻撃への防御結界とは逆で、外からじゃなくて内側からの魔法を通さない結界。要は、内側の魔力の流れを外に漏らさないようにするから、結界内なら魔法使い放題、魔力が減っても澱みがないここでなら息するのも楽だし、魔素循環で魔力も回復し放題ってわけ。どう? すごいでしょ!」
嬉々として説明する赤髪の魔法使いに、結界の展開前に彼が言った『安息の地を構築』という言葉の意味を知る。息ができる云々ではなく、魔法が使える場所こそが彼にとっては安息の地ということか。
呆れるメイベルの目の前で、笑顔の魔法使いの身体がふらっと傾ぐ。
「あぁほらぁ、やっぱり魔力切れになりかけてるじゃない!!」
「回復した魔力量、結界張るのにギリだったから……」
慌てて支えようとしたメイベルに、それこそギリギリ踏ん張ったレッドが「だいじょぶ」と苦笑いする。
「あと数日じっとしてれば倒れない程度には魔力が回復したのに……それまで我慢出来なかったの?」
「魔法を使えないのがもう限界で」
「まだたった五日だよ? 限界来んの早すぎるでしょ」
「うちの魔法馬鹿がすまない、メイベル殿」
「レッド様はいつもこんな調子なんです。
この方の場合、息するように魔法を使うというより、魔法使えないと息できないという感じなので」
ヴィーゴとサリシャが申し訳なさそうにする。
ふらつきながらも「解放感!」と両手を広げて声を上げるレッドの自由さに、お目付け役二人の普段の苦労も押して知るべしである。
「メイベル! お母上の蔵書の魔法書を見せてくれ!!」
「レッド様、それだけお元気になったんなら、妖精探しの相談が先でしょ? もー」
「分かってる! でもちょっとだけ!」
「其方は子供か……!」
イライラもしくは無気力状態から一転、気持ちだけは元気いっぱいになったレッドにメイベルは苦笑する。
(でもなんだか憎めないんだよね、この人)




