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術士達は識を織る  作者: 下月 巴
7/9

ならば、今、この瞬間だって

 やってやんぞ。




 木陰が威張り腐るウスグ森にも、開けた場所はある。人為的に伐採したのか、隕石でも落ちたのか、最初から木の根付けない痩せに痩せた土壌だったのか、理由は定かではないが、およそ小学校のプールならばスッポリ入るぐらいの荒れ地が居座っている。大地は比較的渇いており、他の場所のように、水を吸ったスポンジのようにはなっていない。

 そこにアウトドア用の簡素な椅子を広げ、吉田は呑気に煙草をふかしていた。


「いやー、懐かしいね、久義くん。思えば昔、私たちはここで出会ったんだっけ。覚えてるかい? ほら、あの大きな木だ。そこで、君らはピクニックをしててさ」


「……それ、今しなきゃいけない話ですか」


 久義はひっくり返って、呻くように言った。案の定、その顔はボコボコである。日々木から肘打ち掌底その他もろもろ、多種多様な暴力を頂戴したのだ。

 今日は火曜日、時刻は十五時、ただ今は戦闘訓練の真っ最中である。久義と日々木は大学を終えることで、吉田は診療所の扉に『骨休み中』とたわけた看板を掲げることで、ウスグ森に集まっていた。どうして訓練の場所にここを選んだかと言えば、四方を簡単に見渡せるからだ。視界を遮る大木もないので、前回のように藁人形が襲ってくれば、すぐに迎撃体勢に入れる。

 もっとも、藁人形に襲われるより先に、日々木によって満身創痍にされそうな久義だったのだが。


「伊国さん。いつまで休憩しているつもりですか」


 淡々とした声が聞こえる。そちらを向けば、例の苦無のような透明な刃を順手に構える日々木が、すらっと立っていた。すぐにでも、どの方角にも動けそうな、絶妙な脱力を感じさせる立ち姿だった。

 転がりながら、久義は呻く。


「……まだ、十秒も転がってないんですけど」


「十秒あればあと七回転んで八回立ち上がれるでしょう」


「……俺は起き上がり小法師ですか」


 そんなことを言いながら、よろよろと立ち上がった。回復の術識は使わない。既にアバラの罅と折れた鼻を治すのに、二回ほど使ってしまっている。お陰様で言いようのない疲労感がある。


「もうグロッキーですか。生命力が足りませんね」


 日々木が無表情でいう。そんなこと言われても、仕方がない。術識を使うのにはスタミナ、もとい生命力が必要なのだ。そして、識を使うのに慣れていない久義では、一度の術の行使に消費する生命力も半端じゃない。アスリートと運動不足の人間では、同じ距離を走った際の疲労度合いが全く違うように。


「さあ、早く息を整えて下さい。まだ、私に一撃も入れられてないでしょう」


 アスリート側の日々木が涼しい顔で言った。表情筋さえ人並みにあれば、その口元には不敵な笑みが浮いていたことだろう。表情筋さえ人並みに、最悪ファミレスで出てくる薄いステーキ肉ぐらいあれば。

 久義は肺から酸っぱい空気を絞り出すと、腹を凹ませて、鼻から大きく息を吸った。こうすれば乱れた呼吸が整うと、昔父親から教わったのだ。バーベキューでの肉の焼き方と同じくらい、教わったきり使わないと思っていた知識だ。人生何があるか分からないものである。

 日々木との距離は十メートル。すぐに詰められる距離だが、ここから拳足の届く範囲ではない。


 まずは、牽制。


 久義はゆっくりと、自らの太ももに右手を伸ばす。そこには錆色のズボン越しに、ホルスターが巻かれていた。表面に、黒い流水の渦巻くような文様が刻印されている。裏地には無数の筒が設けられており、ひとつ残らず銀の釘が差し込まれている。久義はそこから一本引き抜くと、そのまま右手の親指を、コイントスのように添える。

 普通に弾いたならば、とてもじゃないが、十メートル先に届かせることは難しい。


 精神を集中させ、識を織る。


「筋力。筋肉。人体」


 一つ一つ、口に出す。経験の浅い術士は、言葉に乗せることで思考を整理し、術に変える。そんな日々木の言葉が頭を過り、術識のための思考に追いやられていく。


「骨。皮膚。爪。全て、堅牢に、強靭に、変わってきた。ならば、今、この瞬間だって」


 みきり、と手の甲に青筋が浮く。指の一点に、通常の三割増しの剛力が密集しているのを感じる。

 キィン。猛禽類のような爪が、金属を弾く硬質な音。銀の矢が、森の湿った空気を貫き、甘倉の薄暗い明かりを追い抜いて、目にも留まらぬ速さで飛んだ。

 日々木へと迫る。


「とろい」


 ゆらりと、日々木の手元の世界が揺れた。正確には、彼女の握る透明な刃が、光をすり抜けながら奔った。

 コッ、と軽い音が響き、地面に二つの影が落ちる。もとは一本だった釘が、両断されていた。


「まだまだっ……!」


 続けざまに、四本五本と釘をはじき出す。それぞれ、日々木の手や足に向かって、真っ直ぐ飛ぶ。常人離れしたコントロールだが、これは術識ではなく、久義の練度に由来する精度だった。生命力の消費は、指先の強化分だけで済む。

 薄い影を作りながら向かってくる銀色の群れに、しかし日々木は狼狽えない。

 チッ。

 舌打ちが、久義の耳に届く。彼女のものだ。

 日々木が術を行使する合図。

 術識の名を。


「【日々の造形(ノーマル・フォーム)】」


 空間の揺らぎが、二つになった。

 一つは、元から彼女が携えていた硝子のようなナイフ。

 もう一つが、今彼女が造り出したナイフ。

 エコロケーションで読み取った輪郭を、コピーし、生成するというのが、日々木の術だった。

 その透明な造形で、虚空に幾何学模様でも描くように、彼女は刃を振るった。

 間断のない金属音と、細切れにされた釘の欠片が、ウスグ森を舞った。

 疾風のようなハンドスピードと、細い釘に寸分の狂いなく攻撃を当てられる精密さが、その一回の迎撃に詰まっていた。

 日々木歌子の練度の証明。


「くっ……」


 久義は再び、左右の太ももから釘を抜き取ると、両手からマシンガンのように撃ち出す。

 六本、七本、八本、九本、十本。

 日々木は、ただ一言。


「あくびが出ます」


 大げさに回避する素振りも見せず、緩く前傾姿勢を取ると、伸びるように駆けた。ぐぅん、と音が聞こえそうなほどの急加速で、ウスグ森の草原を這うように越え、両手の刃で釘の弾幕を全て撃ち落とす。

 あっという間に、三メートル。

 二メートル。

 制空権。


「ふんっ!!」


 久義が、力強く地面を踏み込む。その脚を軸に、腰を捩じり、腕にパワーを伝える。力の束が膨らみながら筋肉を通過していき、前腕に到達し、右拳で爆ぜる。

 チョッピングライト。

 石のように固く、分厚くなっている久義の剛打が、ぎゅるぎゅると風を削りながら、日々木に迫る。

 三十センチ。

 二十センチ。

 十センチ。

 目と鼻の先。

 きろりと、日々木の茶色い瞳が動いた。久義の拳の動きに、ぴったり同期しながらだ。

 見えているのだ、この一撃が。

 彼女が少しだけ首を動かし、少しだけ虚空が生じた。弾丸のような巨拳が、その虚空を打ち抜いていく。

 つまり、空振り。

 間髪おかず、久義の胃袋のあたりで、衝撃が弾けた。

 ナイフを握り込む日々木のボディブローが、深々と突き刺さっていた。

 湿った土に靴裏が滑る。泥が跳ねる。二人の距離が広がる。

 苦しみが渦を巻き、苦みを纏い、口内に溢れる。地面に吐瀉物が落ちる。


「くっ……がぁ!」


 痛みを誤魔化すように、叫ぶ。吐き捨てるような気合いと共に、左の拳を放つ。

 彼女の頭が消えた。当たったのではない。沈んだのだ、彼女自身の意思で。

 お辞儀でもするように、顔が地面へと沈み込み、動きやすそうなスニーカーが起き上がってくる。

 一回転。

 胴回し回転蹴り。

 踵が、久義の鼻にめり込んでいた。

 首が後ろに傾ぐ。

 膝が笑い、ゆっくりと倒れていく。

 やや上を向いた視界に、鮮血がばらける。

 その中に、透明な刃が舞った。


「四角」


 日々木の声が響く。

 瞬間、時が止まった。

 しかし、舞い散る血は動いていた。甘倉の曇り空も動いていた。久義自身も動いていた。

 投げられた刃だけが、空中で静止していた。

 羽毛のように跳躍し、日々木がその柄を握る。

 地上二メートル五十センチで、彼女は止まった。その挙動は、あの日、箱内病院から落下してきた日と、似ていた。映像を一時停止でもしたような不動。

 似ているに決まっているのだ。同じ術識によるものだから。


 【日々の造形】。


 周囲の物の輪郭を、エコロケーションで写し取り、まるで3Dプリンターのように再現する術。そうして生み出された寸分の狂いもない、プラモデルのクリアパーツの如き透明な造形。

 この術の真骨頂は、形状の模倣ではない。

 形状に込められた意味の模倣である。

 例えば、四角。

 そこに込められた意味は『安定』。

 上下左右然り、東西南北然り、火水風土然り、あらゆるものは四つの属性が組み合わさることで成立している。そこから、人間は四点を繋いで完成する図形、すなわち四角こそ、物事を調和に導く形状だと結論付けた。

 人類史に紡がれた、形に対する共通認識。目に見えない、科学では捉えられない効能。

 神秘とでも言えるだろうそれを、日々木は透明な造形に閉じ込め、自在に引き出す。

 透明な刃の直方体の柄から、『安定』の意味を引き出して、行使する。

 この瞬間、彼女の肉体を重力から解き放ち、空中で安定させたように。


「歯、食いしばってください」


 日々木の声が降る。彼女は空中にいながら、大地に立っている時と同じように、足を振り上げる。

 強烈なサッカーボールキックが、久義の顔面を強襲した。

 鼠取りのバネ細工のように、勢いよく地面に叩きつけられる。下が柔らかい泥でなければ、意識は暗転していただろう。


「まだですよ」


 日々木が、刃から手を離す。再び、彼女は重力の中にいた。二メートル五十センチ上空から、右膝が降ってくる。

 ニードロップ。

 肉を打つ重い音。

 落下速度が漏れなく、久義の胃の腑に食い込む。

 それでも。


「ま、だぁ……!」


 久義は血に濡れながら、分厚い左手で、細やかに、速やかに、釘を抜き取ると、先ほどと同じように放った。

 ゼロ距離の指弾。

 トスッ、と軽い音がした。

 日々木の右太ももから、釘が生えている。


「それで終わりではないでしょう」


 淡々と日々木は言った。声と同じぐらいのタイミングで、日々木の左拳底が顔面にめり込む。これぐらいの痛みじゃ止められないのだろう。精神力が半端ではない。


(そうだ。終わりじゃない)


 久義は左拳を握りしめ、彼女の右足に放った。体重の乗っていない、ほとんど手打ちのパンチ。それでも、彼の拳は鎌のような軌道で、日々木の太ももに接近した。

 太ももに刺さった釘の頭へと。

 インパクトの瞬間、久義はホルスターを強く思った。自分の両脚に巻いている、釘の装填された黒い波濤。


(黒は五行で水を表す。波の模様は火除けを示す)


 その意味を、識に練り込む。

 練り込みながら、呟く。


「丑の刻参り」


 ガツン、と固い音が響いた。 

 鉄槌を振るうように、久義の拳が釘に打ち込まれた。

 瞬間、ボジュウッと音がした。肉の焦げる匂い。


「ぐぅっ……!」


 久義の右頬から、火が上がっていた。赤々とした、灼熱。

 しかし。


「火は順調に小さくなっているね」


 興味深そうに、吉田が横から言った。

 彼の言葉通り、前までは松明のようであった炎が、今や蝋燭と同じぐらいの大きさまで縮んでいた。

 ホルスターの意味が、三日目にして、ようやく識に馴染んできた。


「甘倉は雨が多い地域だからね。長い歴史の中で、川の氾濫や、それに伴う洪水なんかも多発していた。そのせいか、水に関する識が、土地に深く根付いている。だから、火除けにまつわる術識も、他の地域と比べればバフがかかりやすい」


 吉田の無駄話を他所に、日々木は久義から少し離れたところで、膝立ちになっていた。釘をゆっくり抜き取って、地面に投げ捨てる。


「……しかし、これでは焼け石に水です。勝手に発動する術を、別の術で抑え込んでいるだけですから。生命力をいたずらに消費するばかりで、制御とは程遠い」


「まあねえ。それに、火はまだ消える訳じゃないしねえ。小さくなっただけ」


「……でも、俺としてはありがたいです。消すのが簡単になったんで、一人でも丑の刻参りができるようになりました」


 久義が地面に寝転がりながら言う。頬を濡れた地面に押し付けながらだ。何だか滑稽である。

 日々木はそんな彼をじっと見るが、それだけだ。危害は加えてこない。ひとまず、実戦訓練はインターバルに入ったらしい。しばらく追撃の心配はなさそうだ。久義は安堵する。

 冷たい顔で溜息を吐き、彼女は言った。


「まあ、私としても毎回毎回、炎上する貴方に術を使う必要がなくなったんで、楽ではあります。……しかし、そもそも丑の刻参りをしなければ良いだけの話でしょう。訓練時ならともかくとして」


「ううん。……でも、やっぱりやらないと落ち着かないっていうか」


「丑の刻参りを貧乏ゆすりと同じような理由でやってるのかい君は」


 吉田は呆れたように言いながら、オカルト雑誌を読んでいた。久義が日々木にタコ殴りにされていないので、退屈なのだろう。つくづくろくでもない医者である。


「そもそも」


 日々木は透明な刃の尻の部分を足に当てた。柄に付いた輪の部分だ。その形状は円、秘めし意味は『無欠』。欠けた部分が満ちるように、傷が癒えていく。


「丑の刻参りは由緒正しい呪術です。久義さんがしっかり識を織れば、この呪いそのものを戦闘に組み込めるのではないですか。自傷用の丑の刻参りに反応しないよう、術識として用いるほうは藁人形に釘を打つとか、区別して刷り込むようにしながら」


「わ、藁人形ですか? う、ううん。……あまり、使いたくないです」


 久義はモニョモニョと呟く。藁人形はどうにも好かない。形といい材質といい、見ただけで震えが走る。


「それなら、藁人形と異なる形代と関連付ければいい」


 吉田が煙草をプカプカ吹かしながら、眠そうに言った。


「相手の人体の一部、髪の毛とか服の切れ端だとかを千切って、そこに釘を打ち込むとかさ。漫画とかラノベとかで丑の刻参り使う時も、大体そんな感じだろう? ごっこ遊びだと思って、まずチャレンジしてみたら?」


「一理あります。識を織るには、そうした行為を通しての刷り込みも大事ですから」


 納得したように言って、日々木は吉田を見た。


「じゃあ、吉田さん。取りあえず、白衣千切って下さい」


「え、何で」


「伊国さんの芻霊〇法の藁人形代わりにします」


「せめて芻霊術識とぼかしてくれ。というか、やだよ。十回に一回でも成功したら、私呪われちゃうじゃん。こちとら君と違って、魔除けの術識なんて使えないんだぜ?」


「そうですね。じゃあ、それを踏まえた上で白衣千切って下さい。骨は拾うので」


「日々木さん、もしかして私のこと嫌い?」


 吉田への悪感情を否定することなく、ちっと舌打ちをして、日々木は地面から土を掬い上げた。

 水を含んだ泥に、血が付着している。釘を抜いた際、散ったものだ。


「吉田さんが非協力的なので、私の血を使ってください。いつもの石板に塗り付ければ、藁人形の代わりになるでしょう」


「ええ。で、でも……そしたら日々木さんが」


「私には魔除けの術識があります。丑の刻参りとか、そういう呪いの類であれば防げますよ。そも、伊国さんのようなヘボが使う呪いなんかで、私を害せると思わないでください。舐められてるようでムカつきます」


(逆鱗がデカすぎる……)


 箸が転んでもブチ切れてきそうな日々木に戦々恐々しながら、久義は泥を受け取ると、石に塗り込んだ。そして、膝に乗せて釘を立て、いつものように殴る。

 明るくなった。

 久義の頭が蝋燭のように燃えていた。


「あづづづづづ!!」


 ゴロゴロと地面を転がる久義に、日々木は冷たい視線を寄越した。


「馬鹿ですねえ、伊国さん。今、火除けの識を織り忘れていたでしょう。丑の刻参りをすると同時に、ほぼ反射で発現できるようになるまで、ホルスターの存在は常に念頭に置いてください」


「いや、苦言の前に助けてあげなよ。久義くん、このままじゃ毛根死滅しちゃうって。あるいは今以上にチリチリ頭になっちゃうよ」


 日々木は溜め息を吐くと、久義の胸に刃の輪部分を当てた。瞬間、心が凪いで炎が消えていく。彼女の円には回復効果と同時に、リラックス効果もあった。数秒後、久義の頭部は皮膚に関しては完治していた。頭髪はパンチパーマのままだったが。放っておいても、命に別状はないから、生命力の消費を厭うて、そのままにしたのだろう。

 久義は試しに自己回復の術を使ってみたが、戻らなかった。まだまだ修行不足だ。


「ううむ。何というか」


 吉田が唸る。久義のパンチパーマを弄りながらだ。その様子は、猿の毛づくろいのようである。


「丑の刻参りの術識云々は、この炎の謎を解いてからのほうが良い気がするねえ。久義くんは術を知って日が浅いし、火除けと丑の刻参りの識を同時に織ることもできないだろう」


「一体全体、いつになったら正体が分かるのやら」


 日々木は無表情で溜め息を吐いた。


「体温も、まだ下がらないんですよね?」


「そ、そうですね……面目ない」


 無意識下の術の行使。肉体に籠る炎熱は、一向に解ける気配がない。実戦練習を始めて数日、既に数十回ほど体を焼いたが、未だに焔の手綱は取れていない。


「いけませんね。術識はどれほど微弱なものであれ、使用しているうちは生命力を消費します。久義さんが今こうして力尽きずにいられるということは、生命力の消費分よりも回復分が上回っているからでしょうが、それでも万が一があります」


「前回みたく藁人形にボコボコにされてしまったら、その弾みで一気に生命力が枯渇してしまうかもってことだね」


 吉田の言葉に彼女が頷く。その理論でいえば、毎日のように修行でボコボコにされている現状も、かなり危険ではないかと感じたが、久義は黙っていた。日々木への口答えは痛みを伴う。修行で得た収穫の一つだ。


「……吉田さん。お知り合いの術士に、炎熱系の人っていないんですか? 餅は餅屋、炎にまつわる術であれば、その道の術士に教わった方が、色々と分かるのでは?」


「そうは言われても、私って友達少ないからねえ。それに、特定の宗教……例えばゾロアスター教だとか、修験道だとか、そうした派閥由来の炎であれば、同じ派閥の術士から知恵を借りることもできるけどさ。何度も言うように久義くんの場合、そうした宗教に属している訳でもないし、無論非術士の生まれだしで、全くもって炎の由来が掴めないんだ。その道のプロに聞こうにも、そもそも久義くんがどの道で迷ってるのか分かってないんだよ」


「それも含めて、何とかしてください。仮にも私たちの上司でしょう」


「部下の自覚があるんなら私のことをボカスカ殴らないでくれ。中年男性は恋する乙女より繊細なんだよ。主に腰とか」


 日々木は吉田の意見を無視して、こちらを見た。


「この数日間色々とやってきましたが、炎熱を戦闘に組み込むには、もっと多くの時間がかかりそうです。……伊国さんとしては、それは好ましくないんですよね」


 彼女の言葉に、久義は黙って頷いた。


「そう、ですね。……俺も、早く戦力になりたいです。……あの藁人形を、倒さないと」


 そのために、こうして実戦訓練を積んでいるのだ。体を燃やし、傷だらけになり、血まみれになり、痛みに呻きながらも。

 何故なら、あの識上は。巨大な、藁人形は。


「……ではやはり、自己治癒と肉体強化の術識を、集中的に研磨していきましょう。合わせて、釘の指弾についても、今以上に練度を高めましょうか。指の爪で弾く分には、炎も反応しないようなので」


「……おねがい、します」


 そう言って、久義はゆっくり立ち上がった。日々木も立ち上がり、向かい合う。

 構える。


「丑の刻参りがない分、今までよりも攻撃を強めます。今までよりも必死に受けて、攻めに転じるように意識してください。そうでなければ、識上は倒せませんから」


 無言で、頷く。

 どんな痛みも耐え抜き、強くなる必要があった。

 あの藁人形を、倒さねばならなかった。倒して、守らねばならなかった。


(俺が、匡を)


 幼馴染を強く想って、久義はゆっくりと釘を抜き放った。



 やってやんぞ。

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