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術士達は識を織る  作者: 下月 巴
6/9

チョキで殴ります

 やってやんぞ。




 日々木の言葉を借りるなら、久義は識を織っていた。


 場所は吉田診療所の二階。一人ではない。目の前には、いつも通りの無表情を浮かべた日々木がおり、斜め前方には吉田がいつも通りの咥え煙草で、為にならなそうなオカルト雑誌を読んでいる。

 時刻は午前十一時。日曜日。三人の他に誰もいない。今日は休診日ではなかったが、吉田診療所は毎日が休診日のようなものなので、些事である。


「……伊国さん、やる気ありますか? さっきから一向に、熱が下がってないようですが」


 冷たい口調で日々木が言う。そういう風にプレッシャーを掛けられると、緊張で一層体温が上がってしまう気もするが、文句を言う訳にはいかない。三日前、同じ文句を言って四の字固めを決められた久義は、そう思う。

 彼女は目を閉じて、眉間を揉みながら、ため息を吐いた。無表情であるが、苛立ちが隠せていない。というより、隠す気がないのだろう。普段のポーカーフェイスは意図的なものではなく、単に表情筋が死んでいるからなのだなと、失礼なことを思う。


「念のため、確認します。毎日毎日飽きもせず、私たちが朝早くからこんなところに来ている目的は何ですか?」


「私の城をこんなところ呼ばわりされて心が折れそう」


「……えっと、その……俺が『炎熱』の術識を制御できるようになる、ため?」


「ついに久義くんまで私を無視するのかい。遅めの反抗期かい。私は匡の反抗期とか立ち会う前に離婚しちゃったから、対応に困るんだけど」


 対応に困る自虐を交える吉田を、日々木も当然のように無視しつつ、続けた。


「疑問形なのが不安ですが、その通りです。その第一段階として、貴方が垂れ流している三十七度超えの体温を、人並みの平熱にまで下げる。つまり、無意識のうちに使っている術識を解除する。そういう話でしたよね?」


「は、はあ」


 瞬間、久義の顔面に日々木の拳が叩き込まれていた。「あぎゃっ」と間抜けな声を上げながら、転がる。せめてビンタに留めてほしい。畳にハグをしながら、そんなことを思う。


「何ですか、その気の抜けた返事は。第一段階の時点で、既に人の貴重な時間を使い倒している輩が、していい返事じゃありません。もっと申し訳ないという気持ちを前面に押し出してください。殴りますよ」


「ぐ、グーで殴ってから言わないでください……」


「チョキで殴ります」


「どういうことですか……」


「チョキで目を殴ります」


「ぺ、ペナルティが目潰し……!」


 恐れおののきつつも立ち上がれば、久義の鼻から血が垂れた。勿論、先程の鉄拳制裁のせいである。加害者側の日々木は済まなそうな表情を浮かべることなく、淡々と言った。


「伊国さん? 出血した時は、どうするんでしたか?」


「え?」


 日々木が無言でピースサインを作った。「両目抉るぞ」という圧力が、ひしひしと伝わってきた。

 久義は必死で彼女の言葉の裏を読み、そして、目を閉じた。

 鼻腔に溜まる鉄の匂いを意識する。

 言葉を紡ぐ。


「……鼻血が出ている。鼻血が出ているのは、鼻に傷がついたから」


 まずは、現在の状態の認識。そして、その状態を解決するために、識を織る。

 傷は治る、という識。

 素手での丑の刻参りという荒行を、十年以上繰り返してきた経験。その過程で拵えた、万を超える擦り傷や切り傷。その全てが治ってきたという経験。

 そうして形作られた、「傷は治るものだ」という常識。

 それを、拡大解釈する。


「傷は、治る。全ての傷は、治ってきた。だから、この傷だって……」


 この傷だって、刹那に治る。


(……あ、来た)


 久義は、体に薄く膜が張るような感覚を味わった。微々たる疲労だ。生命力を消費したという合図だ。

 そっくりそのまま、識を通して世界観を現実に滲ませたという――術識を用いたという合図だった。

 鼻血は、止まっていた。


「やはり、自己治癒の術識に関してだけは、飲み込みが早いですね」


 日々木が特に褒めるでも満足そうな表情を浮かべるのでもなく、そう言った。飴と鞭を使いこなすには若すぎるのだろう。そんなことを思いながら、久義は少し頭を掻きながら、言った。


「……まあ、人より沢山傷を拵えてきたんで。術識の土壌が、既にできていたというか」


「なるほど。つまり、ずっと昔から識を織ってきたということですね」


 『識を織る』。


 術士の間で使われる専門用語だ。それは例えば、術を用いるために空想を練り上げることを表す。先ほど、久義が傷を治すために思考を組み立てていた行為がそうだ。

 それから転じて、自分の望む空想に反応しやすい識を、意図的に形成することも指す。


 識には傾向性があるのだと、日々木は言っていた。


 一神教世界観を具現化しやすい識、功利主義的な思想を具現化しやすい識、懐疑論的な思考を具現化しやすい識、というように。

 傾向性を形作る第一の要因は、遺伝だ。血や臓器や骨肉と同じように、親から子に受け継がれるのだという。例えば、先祖代々陰陽師の家系に生まれた人間は、へその緒まで陰陽道的世界観を滲ませやすい識が満ちているらしい。

 第二の要因が、世界観の刷り込みだ。例えば修道院で生活を始めたシスターが、頭からつま先までキリスト教的世界観に馴染めば、識もそれに合わせて変化していく。この識を通せば、十字架も聖水も諸々の祈りも、全て現実に効果を発揮するのだという。

 遺伝に対し、刷り込みは後天的に識を変質させる。そのため、特殊な才を持っていない術士は、術識の強化を行いたい場合、もっぱらこの刷り込みに頼ることになる。自己暗示や理論構築、時には薬物まで使って、望みの世界観を骨の髄までしみ込ませ、識を整えていくのだ。


 それが『識を織る』ということだ。


「まあ、『傷は治る』なんて世界観、普通に生きてても育まれますからね」


 日々木が何でもないように言った。


「一定の強さの識さえあれば、そりゃあ容易に術にできるというものです。何度も言ってますが、自己回復の術識なんて、術士であれば使えて当然ですからね。真に重要なのは、それ以外——伊国さん独自の術識を、使いこなせるようになることです。つまりは、炎熱の術識。貴方の体温を高め、皮膚を喰い破った焔を、制御することが肝心要です。……なのに」


 そこで彼女は再び、溜め息を吐いた。


「どうして、炎熱の術識の元になってるはずの世界観に、心当たりがないんですか」


「そ、そんなこと言われても」


 瞬間、頬を張られた。パーで殴られたのだ。あとはチョキを残すのみである。


「口答えしないでください。良いですか? 通常であれば、意識的に世界観を育てて、そこから術識に転化していくんです。それが普通の順序なんです。それを、世界観は知らないけど術は使えるなんて、まるっきり順番が逆じゃないですか。何なんですか貴方は」


「……天才、でしょうか」


 今度はグーで殴られた。さらにさらに、蹲っているところを足蹴にされた。別に調子に乗った訳でなく、ちょっと思ったことを口にしただけなのに、この有様である。やはり現実は理不尽だ。しかし、それを口にしたら今度こそチョキのパンチが飛んできそうなので、黙って地面に横たわる久義であった。


「何度もいうように、伊国さんの術識は危険です。今までは体温が普通より高くなる程度で済んでいましたが、一歩間違えれば前回の二の舞ですよ? 歩く焼夷弾みたいなものです。……伊国さん、ほぼ毎日のように幼馴染の……匡さんのお見舞いに行ってるんでしたよね」


「う……はい」


「彼女の病室で話でもしてる最中に、発火したらどうするつもりですか?」


「いわゆるフレンドリーファイアというやつだね」


 日々木は無言で吉田に近づくと、彼の座っている座布団ごと蹴り飛ばした。雉も鳴かずば撃たれまいとはこのことである。もっとも、こんな芯までニコチンで黒ずんでるような駄目なおっさんと一緒にされるのは、雉にとっても心外だろう。桃太郎だって、こんな中年男性を雇いたくはないはずである。

 一方の久義は、ホウ酸団子でも飲んだように、苦しげに唸っていた。頭の中で、自分の火が匡を焼く姿を想像してしまったのだ。焼くといっても、心の防衛本能で彼女の指が軽いやけどを負う程度のことしかイメージできなかったが、それですらかなりのショックだった。

 なので、彼は懐から釘と自分の名前の彫られた石を取り出した。

 それを見て、日々木はポーカーフェイスのままで、汗を浮かべた。


「伊国さん。何をするつもりですか」


「止めないでください……! 俺は、また匡を傷付けてしまった……!」


「いや、まだ傷付けられてないですから。というか、傷付けないように制御しようという話じゃないですか。何で釘を取り出してるんですか。因果関係がさっぱり理解できないんですが」


「戒めです……! セルフ丑の刻参りです……! これは自分の名前を彫った石板に、拳で釘を打ちつけるタイプの呪いなので、『自分を呪っている』プラス『丑の刻参りを公衆の面前でやるので呪詛返しも起こる』プラス『単純に素手で釘を殴るのが痛い』という三要素が組み合わさって、自傷行為としてとても効率がいいんです……!」


「自傷行為自体がそもそも効率的じゃないんですよ。ダイナマイトの爆風で火を消すような真似やめてください。あ、コラ。膝の皿に石を乗っけるな。釘を取り出すな。拳を振り上げるな」


 日々木の制止もむなしく、久義の鉄拳はガツンと凄まじい音を立てて、釘の頭に叩きつけられた。


 瞬間、彼の尻が火を噴いた。比喩ではなく、物理的に。


「あがががががが!!」


「はぁ。だから止めろと言ったのに」


 日々木は忌々しげに舌打ちをすると、いつの間にか掌に握られていた透明な刃を、彼の肩にそっと触れさせた。瞬間、久義の尻で燃えさかる紅蓮はだんだん尻すぼみになり、煙の筋となって消えた。焦げ付いた尻も元通りになったおかげで、強面の男が十全の尻を丸出しにしているという、地獄絵図が残った。


「はー、今日はまたコメディチックな場所が燃えたねえ。ま、前じゃなくて良かったと思おう。股間を露出させるのが許されるのは埼玉在住の五歳児だけだ」


 他人事なので、心置きなく他人事のようなことを抜かす吉田に、日々木がポーカーフェイスのまま青筋を立てる。


「我が国では尻を露出させることも罪に問われるんじゃないですかね。問われなくても私が罰しますけど。……というか、吉田さんも止めてください。この人が丑の刻参りをしたら、体のどこかしらかが燃えるって、分かってたでしょうが」


 彼女のいう通りであった。

 伊国久義の炎熱は、その発端は分からない。何故、彼の中に紅蓮の焔が宿るのかは、不明なままだ。

 しかし、発動条件は分かっている。

 丑の刻参りだ。

 彼が拳骨やら足やらを用いて、オリジナルの丑の刻参りをした時、彼の身体から炎が噴き出すのである。ちなみに部位は時々によって不明だ。昨日は眉間が燃えたので、「死ぬ気にでもなった?」と吉田が茶々を入れた。実際に死ぬ寸前になったのは日々木に半殺しにされた彼の方だったが。

 数分後、吉田の白衣を腰に巻き、尻を隠した状態で、久義は正座させられていた。頬は腫れている。グーとパーで交互に十回ずつ殴られていた。その後でチョキを出された時には、流石に土下座して事なきを得た次第である。

 お多福のようになった疫病神みたいな人相で、久義は言った


「発動条件すら分かってるのに、どんな世界観に基づいてるのか分からないなんてこと、あるんですね」


「こっちの台詞です。というより、発動条件が分かったせいでより混乱してます。何ですか、丑の刻参りしたら体が燃えるって。それは人間じゃなくて蝋燭の役目でしょうが。伊国さんは蝋燭をご両親に持ってるんですか」


「いや、久義くんのお父さんお母さんは普通の人だよ。良義さんに久遠さんという方でね、学生時代からよくお世話になってたんだ」


 訂正した吉田の横っ面を叩き、日々木は涼しげな顔でこめかみをひくつかせるという奇妙な百面相をしながら、言った。


「そんなことは私も分かってます。……その人達が術士でないということも」


 日々木は当初、久義の両親が術士であると疑っていた。そうでなければ、一般人の識がここまで強くなることなど、滅多にない。


「……貴方の丑の刻参りが、炎熱の呼び水となる理由については分かりません。……まあ、どうして非術士の家系に生まれたあなたが、術を使えるレベルの識を持っているかに関しては、多少見当もついてますがね」


「……識上(しきがみ)、ですか?」


 久義の問いに、日々木は溜め息を吐きつつ、頷いた。

 非術士が術の行使に必要な最低限の識を得ることは、滅多にない。

 滅多にないが、しかしゼロでもなかった。

 原因は主に二つ。

 一つは、とても強力な術識に晒されること。それにより、人間のうちに秘められた識が煥発することもあるのだ。ただ、それは術士側も心得ているので、近くに一般人がいる状態でそんな大技を使うようなことは滅多にない。久義自身もそんな記憶はないので、こちらの線は皆無に等しい。

 日々木が可能性を感じているのは、もう一つの原因であった。

 『識上』と出会うことである。

 あの、巨大な藁人形のような。


「……識上は、土地にこびりついた識に、集合的無意識だとかが反応して生まれた、意思を持つ術識のようなもの。なので、それと対面することにより、識を呼び覚まされる人もいます。恐らく、伊国さんもそうなんじゃないかと」


 少なくとも、今の久義が焔に呑まれるレベルまで識を強めたのは、藁人形との邂逅のせいだと日々木は見なしている。今までは何ともなかった丑の刻参りが、ここにきて人体発火ガチャの様相を呈しているのも、同じ理由からだ。

 だからといって、物心つく頃からの高体温の原因まで、識上との邂逅と断ぜられるのは納得いかない。


「……でも、俺。……覚えてないですよ、識上に襲われただなんて」


 仮にあんな常識外れの存在と出会っていれば、棺桶に入るまで覚えていられる自信がある。

 頑なな様子の久義に、日々木は淡々と言った。


「識上は、周囲の生命力やら何やらを吸収して、活力にしますからね。驚愕や記憶もその一つです。識のある程度発達した術士はともかくとして、何の訓練も受けていない一般人だと、出会うと同時に忘れるケースも多いんですよ。術識が人を襲うとは限らないので、出会った後に生き残り、知らず知らずのうちに識を強めてしまった人も、それなりに居ます。……そうなると困るので、我々術士が人払いの後、人知れず退治してるんですがね」


 そう言われると「そうなのか」という気になる。久義は流されやすい男だった。

 それに、少なからず身に覚えもあるのだ。例えば、藁人形と出会った際、彼は凄まじい生理的嫌悪感と、根源的恐怖を抱いている。あれはもしかすると、過去にあの異形に出会っており、覚えてはいないが無意識のうちにトラウマが引きずり出された結果ではないかと、久義なりに分析しているのである。

 まあ、嫌悪感の大半は、異形そのものというより、藁人形の造形に対して抱いたものなのだろうが。


「あるいは伊国さんの人体発火も、その時に出会った識上由来なのかもしれません。……仮にそうだとしても、結局のところ何の解決にもならないんですがね。世界観の基礎となる理屈ごと忘れてるってことなんで」


 日々木はそう言って、それから少し黙った。何かを考えているようだ。そして、ふと顔を上げ。


「……まあ、いいか」


 と言った。

 久義は、何だかとても不安になったので、


「な、何がです……?」


 と聞いた。


「バットの製造方法を知らなくとも、振り方さえ知っていれば、ホームランは撃てるということです」


 彼女は、久義の肩にポンと手を置いた。


「案ずるより産むがやすし。今までの久義さんの発火を見てると、死ぬレベルまでの大炎上はないようですから、いっそのこと何度か体焼いて覚えましょう。百回ぐらい燃えれば、何か掴めるかもしれません」


「……いや、俺も……丑の刻参りするぐらい罪悪感がバーストしてる時じゃないと、燃えるのは怖いんですけど……」


「怖いからこそ、燃えないように必死でコツを探すんじゃないですか。……あ、それから私は、ただ丑の刻参りをしろだなんて言ってませんからね」


「……どういう意味です?」


 日々木は無表情だった。しかし、久義は何となく分かった。

 あの鉄仮面の下で、彼女が悪い顔をしていると。


「実戦形式です。丑の刻参りを戦闘に織り込みつつ、燃えてもらいます。勿論、相手は私です」


「……一応聞きますけど、チョキは出します?」


 日々木は何も言わず、こちらをじっと見つめた。


(……自己回復の術識、頑張ってモノにしよう)


 そう強く決意する久義であった。


 やってやんぞ。

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